#443 竜の被造子
「アスタート──ッッ!!」
今まさに眼前で消えていく男に向かって、私は力の限りに叫んだ。
伸ばした手は届くことなく……人と竜の戦争を終わらせた英傑アスタートは、粉々に砕け散るように滅してしまった。
開いていたはずのゲートもその時点で掻き消えてしまい、私は受けた衝撃によってその場に倒れ込む。
「うぅ……あっ、が──」
頭が割れるように痛い。全身の血液が沸騰しているかのように熱く、喘ぐ声も枯れていくほどに苦しい。
のたうち回りたくても動けないほどに、内側から無数の針が飛び出していくかのように……。
「っ──はぁ……はぁ……」
しかしそれが急激に楽になっていく。
『大丈夫か、アイトエル』
「……えっ?」
『"魔空"からの情報流入だ、俺の魔力で少しばかり整えた』
「あな、た……だれ、どこにいるの?」
アスタートの声ではない。
目を開けてもそこには自分一人しかいなかった。
『"第三視点"と呼んでくれ。話すことは山ほどあるが、すぐには理解できないだろう……とりあえず体の方は大丈夫か?』
「あ……うん、よくわからないけどあなたが私を助けてくれた?」
『結果的にはそういう形になる。正確には俺自身も流出した形になるのかな、咄嗟に君に定着させる為に魔力の同調を──』
「えっと……そ、そう──あの、感謝します、ありがとう」
何を言っているのかさっぱりだったが、私はとりあえずお礼を述べる。
しかし決して警戒を解かない。ヒトが竜や獣に対してやってきた仕打ちを私は知っている。
「よければ姿を見せてもらえたりとか?」
『それは多分無理だ、そういう魔法だから』
「……」
『もし君が俺に直接会える時があるとすれば──そうだな、数千年後になる』
「……はァいィ!?」
嘘を吐くにしてももうちょっと言い方があるだろうと思うが、男の声は気にした様子もなく続ける。
『俺は遠い未来でアイトエル、君に助けられた。そして今度は俺が助ける為に、君のもとにやってきたというわけだ』
「なにそれ」
『鶏……はまだ家畜化されてないか。言うなれば"竜が先か、卵が先か"──まぁこの際は君と俺のどちらが先に助けていたとしても構わない。ただ俺はアイトエル、君にとっての無条件の味方だと思ってくれれば』
「んっ──」
『……っていうか普通に共通語が通じるんだな。神族は初期から高度な言語を持っていた、と。いや魔法を使えるなら当然っちゃ当然なのか──』
何を言っているかはわかるが、何を言いたいのかさっぱりなことを、男の声はさらにブツブツと独言のように繰り返す。
ただこの"囁き"は、少なくともアスタートが言っていたアカシッククラウドのことを知っている。
用心深くかつての仲間から避けるようにしていたアスタートのことだ。
それを知るのは信頼できる人間か、あるいは事情を知っている人間に限られる……はず。
「ねぇベイリル、だっけ」
『っと……あぁ、なんだ? 疑問があればなんでも聞いてくれ』
「アスタートは……どうなったの?」
『あぁ……やっぱり今この瞬間は、アスタートが消えた時だったんだな」
「消え、た──やっぱり、見間違えじゃなかったんだ」
『彼は肉体を保ったままアカシッククラウドに触れたことで、おそらくは"情報生命体"となった」
「……???」
『えーっとそうだな、とにかくこの世にはいない。ただ死んだというわけではなくて、違う形でアカシッククラウドに存在していると言えばいいか』
「そう……」
結局──アスタートは私のことなんて最後まで眼中にはなかったのだ。
笑顔で私に近付き、私を通して竜を利用しただけ。その後の私にちょくちょく会っていたのもきっと──
『ただ、伝言は預かっている。"君のことをよろしく"ってね、そんな言葉がなくても俺は君の助言者だが……」
「──ッ!?」
私のことをよろしく? 一体どの口が言うのか、なんて身勝手な。
死んでなくてゲートの先にいるのなら、文句の一つでも言ってやらないと気が済まない。
『さて──いざ囁いてみたものの、これからどうすればいいのか漠然としすぎてるな。とりあえず何か困ってることがないか? あれば言ってほしい』
「魔空への行き方」
『それは今は難しい。さっき実際に体験したように、頭と体をを強くしないと耐えられない。でもいずれできるようになるさ」
「じゃあ……強くなりたい」
『よしきた』
「もう誰にも利用されたくない。私は私として生きたい」
竜やヒトの顔色をビクビクと窺いながら生きていくなんてもうイヤだった。
『人に教えるのは久々だな──まずは基本として、何事においても意識と無意識を自覚するところからかな」
「……よくわかんない」
『んあ~まぁまだ若いし理論的なことは後にして、体の使い方から始めようか』
「うん」
『そうか……そうだ、良ければアイトエル。君の肉体を借りてもいいかな』
「あなたに体を、貸す?」
『あぁ、君の血液──血管に流れる魔力を利用して……いや能書きを垂れても仕方ないんだった。えっと……俺が君の体を動かして、実際に感覚を掴んでもらうってこと』
「……乗っ取り?」
私は見えない声に対して、虚空に疑わしい目線を向ける。
『君の心を奪ったりはできないから安心してくれ。あくまで同意の上で少し使わせてもらうだけだから』
「う~ん……」
『それに俺は君の体を借りると同時に、多分だけど君は俺の視点を借りられる──』
「ベイリルの視点? って?」
『少しだけ未来を視られる。それでしばらくは格上だって相手にできるだろうな』
「……」
信用して良いのか悪いのかわからない。でも……なんとなく、本当になんとなくでしかないのだが大丈夫な気がした。
『それと今後、話す時は声に出さずに心の中でいいよ。他の人から見たら変な人だからな』
(──これでいい?)
『そうそう、オーケィだ。俺の声はどのみち普通の人には聞こえない、心に直接語りかけてるようなもんだから』
(もしかして……私が心の中で思ったことも全部聞こえてるの?》
『それは無理かな。アイトエルも俺の心で思ってることは聞こえていない、だろう?』
(うん、バーカ)
『まぁしばらくは悩んでもらってくれても構わないよ』
どうやら本当に心の声までは聞こえてはいないようだった。
『俺としては、君が決断してくれる時間まで跳べばいいだけだからね』
(……いいよもう。私の体でよければ貸したげる)
結局は新たに利用されるばかりの人生からは抜け出せない。でもそれだったら、こっちだって利用してやるんだ。
『ありがとうアイトエル、それじゃ──』
「んんっ……」
不思議な──はじめての感覚だった。
たしかに自分の体だけど、自分の意思とは関係なく動いている。
グッパグッパと左右の手を握っては開くを繰り返し、トントンッとその場でステップを踏む。
「あ、あーラララ~~~、んぐっ!?」
『ごめんごめん、とりあえず声も出そうと思えば出せるみたいだな』
「勝手なことしなっ──」
その瞬間、私の体はグイッと引かれるように近くの岩場へと走っていく。
まるで自分の肉体とは思えない速さで──私よりも私を動かすのが上手いなんて、すごく複雑な気分にさせられる。
『しっ、声を出すな。誰か来る』
(ほんと……?)
私が心の中で疑問を口にしたらすぐに、空から二つの影が降りて来る。
「っ……あっれ~? ここらへんだと思ったんだけどなぁ」
「気の所為だったんじゃないのか?」
「いやーでも前にも一度感じたのと同じ気がしてさ……遅い"黒"に歩調合わせたから、きっと間に合わなかったんだ」
「アホ、その名で呼ぶなと決めただろうが」
「そうだったそうだった、ついクセで──」
それは白を基調とした綺麗な女の人と、髪から服装まで全て真っ黒な男の人だった。
(ほんとにきた……ねぇ、ベイリル)
『……』
(ベイリルってば、どうしたの?)
心の中で語り掛けているのに、一向に反応がなう。私の声が上手く届いていないのかと不安になる。
『"イシュト"、さん──』
ベイリルがようやく声に出してくれたと思ったら次の瞬間、私の体は勢いよく岩陰から飛び出しながら私の声で叫ぶ。
「イシュトさん!!」
「へっ……?」
そして私の体は白くて綺麗な女の人のほうへと、思いっきり抱きついたのだった。




