#442 魔空
不可思議な空間だった──しかし事前に聞いていたからこそ、そこがどこなのか理解できる。
("魔空"──)
情報の海、というよりは宇宙そのもののような……しかしそれを確認しようとは思わない。
どう表現しようとも、まともに捉えてしまえば、負荷に耐え切れず分解されてしまうに違いないと直感的に知っていた。
ゆえに意識と無意識の間で素通りする。
「やぁ」
しかし不意に声を掛けられたことで、俺はマズいと思いつつも反応してしまう。
直接相手を見ているわけではないにもかかわらず、何故だか対面しているという曖昧な感覚の中で──
「……"アスタート"」
既知の名を口にする。
声に出したわけではなく、心の中で呟いたのとも違う……それでも言葉として喋る。
「はじめまして、キミの名は──ベイリルだね」
「はい、貴方は魔空で生きているの……ですか?」
「生きてもいないし死んでもいない。ただキミがボクを認識している間だけ、こうして生じる程度の存在さ」
認識が実体化する、あるいは現象そのもの。
彼はもしかしたら全知とも言える存在か、はたまた道半ばの探究者か、もしくは砂の一粒か。
「気をつけて──他を認識しようとすれば、たちまち情報に呑まれるからね」
「……まぁ、意識と無意識の扱いは慣れてるんで大丈夫です」
「それはすごい。こんなに有望な後輩が、後の世に生まれるとはなぁ……」
「俺一人の力じゃぁありません。数え切れないほどの人の支えと助けあってこそです」
「ああ、知っている」
「"そういう存在"だから、ですか」
「──少し、違う。そうあってほしい、そうあるべきといったキミの想像・願望のようなものも影響している。基本骨子はアスタートの情報だけど、構成要素にはキミも入っている」
俺が認識する、アイトエルから聞かされた俺にとっての英傑アスタートも含まれているということか。
恐らくは最初の転生者にして、魔法を生み出し、アカシッククラウドへと触れ、情報生命と化した存在。
「キミにとって既知のことは知っている。そしてキミの知りたいことを、情報として引き出すことができる。そんな"端末"というのが最も適切かな」
「随分と都合が良──」
「ただし、一つだけだ。それ以上を引っ張るのはリスクになる」
「リスク……」
「引き出すということは、すなわち波紋を起こすということ。一つ目の波紋に二つ目の波紋がぶつかったらどうなると思う?」
「波と波がぶつかって――」
「超情報空間でそれを引き起こすということは最悪の場合、共振をも生んでしまうことを留意してくれ」
「だから、引き出せるのは一つだけ」
「そう一つだけなら問題ない、たった一つだけ教えるランプの魔神とでも思ってくれ」
(一つだけ、全知の書庫から取り出すことが可能)
そもそもアカシッククラウドへこんな形で到達するとは思ってもみなかった。
肉体がない、精神体のみの"第三視点"という形をとっているからこその噛み合い。
そして思わぬ嬉しい、降って湧いた贈り物。
(俺は、何が……知りたい)
文明に役立つ未知のテクノロジー? 真っ先に浮かんだ望み。
魔法の深淵? さらなる高みへ、より多くの者と行けるかも。
地球と行き来する方法? 向こうの知識を好きなだけ持ってこれる。
他にも列挙すればキリがないだろう。そして──俺は自らの心に従い、問い掛ける。
「俺がこの身を後にした、世界はどうなりましたか?」
それを知る機会があって、しかして聞かなかったとしたら……今後何をするにおいてもしこりになると思った。
アイトエルには俺だけの道を往けと言われたが、だからこそ俺はせめて知る必要があると考えた。
「大丈夫、消えたりはしていない──存続している。たとえキミが改変しようとも、それは変わらない」
アスタートは端的に望んだこと、知りたかったことだけを教えてくれる。
「俺にとって都合の良い答えをしているわけでは……」
「──ない、ということがキミにも理解できるはずだ」
言っていることが真実であることは、一つの情報として深く刻まれたような感覚を覚える。
「世界は無数にあるわけではない、ただ無限に存在することはできるというだけ」
「……」
「これもまた流れの一つ、強いて言うならば伸びる大樹の枝のようなもの。つまりは……──」
「つまりは……?」
「世界は広い、それくらいでいい。一人の人間の小さな脳でわかるほど、ちっぽけなものじゃあない」
よくわからないけど、わかった気がしないでもない。
世界は広く雄大で、人智などを他所に時間は進みゆくもの。
宇宙という空間的・時間的スケールは本当に途方もなく、それが複数の世界という形でさらに存在しているのだから。
「さっベイリル、長居は無用だ。魔空は通過点に過ぎず、キミにはキミの成すべきことがあるはずだ」
「わかっています、その……お達者で」
ノイズのように振れて、薄くなって消えていくアスタートは──最後に一言だけ告げる。
「アイトエルを……よろしく頼むよ」
俺は頷きながら第三の眼へと感覚を集中させるのだった。
◇
──俺は、世界を俯瞰する。
(どこに、出られれば、都合が、良い、のか)
遠心加速分離させ、濃縮した蒼い魔力は大量であっても限界がある。
"第三視点"としての俺が介入する必要性がある部分を、的確に選ばなければならない。
歴史という大河を逆流するのを、俺は改めて想定していた計画を巡らしていく。
(俺が"第三視点"として憑依できるのは、アイトエルと俺自身だけ──)
厳密には偶然にも近い魔力色の者がいれば、その者を利用することもできる。
しかし第三視点の状態では共感覚である魔力色を確認できず、新たに探索している暇はないし、俺という情報に耐えられる器まで持っているような都合の良いことは無きに等しい。
(幸いにもアイトエルは神話の時代から生き続けている。つまり歴史の潮流の中に抜けはない)
アイトエルが生まれる以前とは竜と獣の時代であり、そこまで遡って過去改変する意味はない。
(そして彼女の若かりし頃に俺が救ったらしい──助力が必要ということは、少なくともその時代に降り立つ必要がある)
四次元だけでなく三次元的にもアイトエルを探す必要がある。
上る、登る、昇る、遡る──その内に、いきなり引き寄せられる感覚が俺を襲う。
(なんっ──)
"第三視点"の俺に干渉してくる流れに抗おうとするも、為す術なく覚悟を決めるくらいしかできなかった。




