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#436 無二たる I


 カエジウス特区――帝国領は縮小し、統制力を失い、今や文化圏からはずれて特区としての機能はほとんど果たされていない。

 名目上は帝国に帰属していても浮いた土地であり、(なか)ば独立した都市国家のような状態にあった。


 それでもなおどこからも侵略されていないのは、ひとえに英傑である"無二たる"カエジウス本人の威光が健在なことに他ならない。


「最初に訪れた時が、本当に遠い昔だ」


 ワーム迷宮を起点とした街はかつての頃よりも何倍にも拡張されているが、基本的な見た目はそこまで変わってはいない。

 ただただ魔力災禍によって世界全体の人口が減り、荒れてはいないものの活気が失われている。


 迷宮攻略などに(うつつ)を抜かせる冒険者は少なく、さらに言えば粒も揃えられないのが今の世の中である。



「なにやら避難所みたいだのう」

「言われてみると……確かにカエジウスという英傑の傘の(もと)、治安の(たも)たれた街──行き場をなくした民が流れ着いても不思議じゃないですね」


 一見するとゴーストタウンのようにも見えるが、家屋の数と広さに対して人の気配がかなり多いように感じる。

 そして俺とアイトエルの様子を(うかが)う視線もまた、複数向けられていた。


「まぁよかろ、用事をとっとと済ませ──っと?」


 アイトエルが歩幅を広く早くしようとした瞬間、奥に見える噴水周りに探し人を見つける。



「おんしが自宅と迷宮以外に外に出ているなど珍しいではないか、カエジウスや」


 そこにいたのは老齢で髭をたくわえた男性──いつか見た"無二たる"カエジウスの姿とほぼほぼ一緒の姿であった。

 カエジウスは交渉していたと思しき交易商人を下がらせると、こちらとの相対距離を詰めてきて5メートルほどのところで止まる。


「誰かと思えば……"竜越貴人"、また(・・)厄介事を持ってきたか」

「相変わらずじゃのう、またと言っても何百年前の話じゃろうが。まっ……厄介事に違いは無いんじゃがの」


 あからさまに顔を歪めながら、カエジウスは俺のほうへと視線を移してくる。


「そっちは……見覚えがあるな」

「お久しぶりです、カエジウス殿(どの)。かつて迷宮を踏破したベイリルと申します」

「姑息な裏技を使った若僧か」

「もう若くはありませんが……はい。今さらな話で恐縮ですが──残った一つの願いを叶えてもらいに参った所存でして」



 俺は敬意を払って一礼し、カエジウスが特に悪感情を(いだ)いてないことを確認する。


「何百年越しか、まったく随分とのんびりした願いだ」

「まだ叶いますでしょうか」

「約束は約束だ、聞くだけ聞いてやらんこともない」


 カエジウスが腕を組んで耳を傾けてきたところで、俺の言葉をアイトエルの言葉で塗り替えられる。


『|"虹の染色"を《海魔獣を倒す》お貸しください(のを手伝えぃ)



「ふざけているのか」


 カエジウスは冷ややかに眼光鋭く睨みつけてくるのを、俺は我関せずとばかりにアイトエルへ流す。


「いたって本気じゃ。おーーーそうじゃ、戦力が足りぬだろうから"黄"も連れてくるがよい」

「調子に乗るな、"竜越貴人"。仮に願いを聞くとしても、残った特典の一つまでだ」

「ほっほー、そんな邪険に扱ってよいのか?」

「何が言いたい」


 バシィッと俺はアイトエルに背中を叩かれ、一歩前に進み出てしまう。


ベイリル(こやつ)あの(・・)"第三視点"じゃぞ。カエジウス(おんし)にはたとえ100の願いを叶えてなお、お釣りを渡す義務があろう」

「なっ──!? いや……虚言だろう、そこまでしてワガママを押し通したいつもりか。恥知らずな」


「断じて嘘ではない。それに願いを叶えるというより、一時(いっとき)預けていたものを返してもらうだけとも言えよう」



 背筋が凍るような英傑と英傑の応酬。

 傍若無人としか見えないアイトエルの口振りに、カエジウスは真剣な瞳でこちらを見据えてくる。


「ベイリル、キサマがか……」

「まぁそうらしいです。今の俺にはまだ未知の出来事ですが、俺が"第三視点"として戻ることで未来を変えるつもりです」


 しばし無言の時間が流れ、俺はその間ずっと値踏みされ続ける。


「ふんっ、ならば見届けさせてもらおう。もしも虚偽であったなら、(しか)るべき(すじ)というものを通してもらうぞ」

「あー構わん構わん、真実じゃからな。それと黄も連れてくるのだぞ」


「念を押す必要などない。海魔獣を相手にするなどと面倒なこと、たった三人でやっていられるか」



 言いながらカエジウスは腰へと手を伸ばすと、外した"腰帯(ベルト)"を投げてよこした。


「おぉ、これが……」

「魔法具"虹の染色(わたしいろそめあげて)"──使うのなら慣れておくがいい」


 魔王具の中でも最初に創られたというベルトは、3メートルを超えるくらい長く、複雑な紋様と装飾に(いろど)られていた。


「四人ではまだ少し心許(こころもと)ないかのう。加減なしで殺すだけなら造作もなかろうが……」


 片割れ星のワームのように消し飛ばすだけなら、"虹の染色(わたしいろそめあげて)"で安定した魔力供給を実現した"冥王波"でも可能であろう。

 しかし海魔獣の体内に小さな増幅器がある以上、破壊してしまってはご破算になってしまうのであまり無茶苦茶な攻め方はできない。



()でも引っ張ってくるとするか。あやつの氷雪は海上決戦するにおあつらえ向きと言えるでな」


 またしれっとぶっ飛んだことを思い立ち、それを実行できるのが"竜越貴人"アイトエル。


「さてさてカエジウスや、(わし)が青を連れてくるのと、おんしが黄を連れてくるの……どっちが早いか競争しようか」

「バカも休み休み──」

「勝負じゃッ!!」


 特に承諾はしていないカエジウスを無視して、アイトエルは"神出跳靴(あるかずはしらず)"で既に転移して消えてしまっていた。


「まったく……相変わらずなやつめが」

「競争、するんですか?」

「結果は見えている。"竜越貴人"は行きは早かろうが、帰りは青竜が飛行してくるのが最速。魔領の最西端からここまで一日以上は確実に掛かる」



「でもまともに迷宮を攻略したらそれ以上掛かる──ということは、やはり各層へ到る短縮移動手段があるということですか」


 かつての俺が裏技でショートカットしたように、ワーム迷宮を改装するのだからそれくらいは備えているのだろう。


「言うまでもなかろうが。それは"竜越貴人"とて知っているはずなんだがな」

「……まぁ、ああいう人ですから。自分も年を重ねましたが──ああいう天真爛漫さが長命を生きる上で大事なのも、今はしみじみ(せつ)にわかる気がします」


 常に新鮮な心であること、世界に対して刺激と好奇心を忘れない。それが"長寿病"予防で最も大切なことだろう。

 カエジウスもワーム迷宮(ダンジョン)というクリエイティブな趣味を持っているからこそ、人生に飽きずにいられてるに違いはない。

 


「……キサマも来るか、最下層へ。少しばかりキサマと話をしてもよいと思っている」


 少し恐ろしくもあるが、あるいはカエジウスの本音の部分が見えるかも知れないと俺は決意を固める。


「お付き合いさせていただきます」


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