#433 英傑 III
「異空渡航──まさか、異世界へ転移する魔法!?」
「左様、アスタートは元の地球へ帰る夢を捨てきれなかったんじゃろうな。そして……同時に計算高く、自分が試すよりも先に強靭な竜族を利用して実験台にすることにしたわけじゃ」
「ヒト種から見れば敵性種族の追放。竜族側からすれば、己が種族を裏切った新天地への導き手──」
両面にとって戦争を終結させたまさしく"英傑"。
「最初こそ英傑として祭り上げられたアスタートじゃが……しかし、"初代神王"として世界を統治しようとする"ケイルヴ"にとっては目障りにもなった」
「……旗頭となるべく人間が複数いると、本人にその気がなくても派閥や勢力争いに発展するのは常ということですか」
「実に空しいことよ。後に名乗る高き王の名を提案したのもアスタートだったんじゃがのう」
「そうか、ケイルヴ・ハイロード。英語の響きはそのままの意味だったのか」
「うむ。とはいえ転生者であるアスタートはそういった機微にも敏感だったようでな」
「明確に睨まれて厄介者として排除される前に、行動に出た……──地球へ帰還したわけですか」
歴史的にはケイルヴが初代神王である以上、アスタートは何らかの形で退いたと思われる。
であれば彼の取るべき選択肢は……話の流れからして、ほぼほぼ一つに絞られる。
「実際には帰還できなかったがの」
「えっ死んだ、んですか……? それとも失敗して次元の狭間で未来永劫さまよい続けるみたいな──」
あまり……というか、後者に関しては絶対に考えたくない想像であった。
「ベイリルは"アカシックレコード"という言葉を知っているか」
「えぇはい……過去から未来まで、ありとあらゆる情報の記録。"集合無意識"とか"阿頼耶識"とか似たような概念もいくつかありますね」
「アスタート本人は"魔空"と呼んだ。曰く、情報とはそれ自体がエネルギーとして存在している」
(単なる情報がエネルギーを持つ……? 確かなんかの実験で──"マクスウェルの悪魔"だったか、熱力学第二法則の否定だとかなんとか)
「宇宙全体が魔力の源となる粒子によって、脳のシナプスのように繋がっている総体じゃと言っておった。要するに、世界そのものであるとな」
世界それ自体を、情報として捉えるのはとても興味深い話であった。
「そもそもの発端じゃが、アスタートは地球へ戻ろうにも"基点"となるものを知らなかったゆえ、今のままでは故郷と繋ぐことが難しいと──竜族を送り出した時に感覚的に理解したようじゃ」
もし地球が今いる宇宙と同一ではなく、まったく違う次元にあるのなら──時間と空間と座標のようなものを特定する必要がある。
「知らなかったが、あやつには知識を得る為の理論があった」
「……それが、魔空」
「そうじゃ、アスタートは隠遁し没頭するようになった。ついには魔空の存在と、魔法を利用した到達の仕方を突き止めることに成功した。そこで……アスタートの目的はすげ変わってしまった」
「ありがちな考えだと……もしかして地球への帰還ではなく、魔空を掌握しようとした──?」
「あぁ、まっこと大バカなことよ。あやつは真に"神の座"を求め……そして、自らの魔法で渡ってしまった」
魔法の開発から仮説立て、理論の証明と実践。はたして彼が正常であったのか異常であったのかはわからない。
最初の転生者であったとされる彼は、分野は違うものの大魔技師と並ぶか……まさしくそれ以上の天才だったのだろう。
「結果、あやつは……"情報生命体"となった。伸ばした手は魔空へと到達したが、直後に分解され──そのものとなったのじゃ」
「より高次の存在へ、ということでしょうか」
いわゆるSF的にはシフトアップとも言われる、ある種においては"進化"とも呼ぶべきもの。
フィクションに慣れ親しんでいるので感覚的には理解できるものの、現実的に定義する為の頭脳を俺は持ち合わせてはいない。
「意図したものとは違ったが、たしかに"真に全知の神"に近い存在にはなったであろうな。じゃが世界に干渉できるわけではない。全能どころか無能と言えるかも知れぬな」
つまりは魔空と同化してしまったということ。
莫大な情報量に耐え切れなかったのか、単にそういう性質の超情報空間なのか。
「ちなみに儂は、アスタートが消える場に立ち会っていた」
「……そうでしたか」
するとアイトエルは、少しばかり俺のことを意味ありげな色を湛えて見つめる。
「ついでにあやつが分解されゆく最中、反射的に残った手を取ろうとして……間接的に魔空にわずかに触れる機会を得たのじゃ」
「つまりそれが……貴方のどこか未来を読んだかたのような知識のカラクリだったわけですね」
「いや、違う」
「うん……んっ、えぇ!?」
あっさりと一刀両断に返された俺は、やや間抜けな表情を晒す。
「たしかに儂はあの時の出来事をキッカケにして数千年の後、"魔空に接続する為の魔導"を会得したがのう。それとこれとは別の話じゃ」
さらりととんでもないことを言ってのけるアイトエルに、俺は平静を保つ暇すらなくなる。
「魔空へのアクセス!?」
「なんのことはない。何年分も貯め込んだ魔力を使って、ほんの少しだけ引き出せる程度よ。頂竜の血と鍛えた身体があっても、不用意に引き出せば耐えられぬ。基本的に長年で摩耗する自分自身の記憶を更新しておるに過ぎん」
軽いことのように言うが、限界があるにせよ全知の書庫に自由に入って、知識を引き出せるということに変わりはない。
「あるいは──アスタートが本当に消滅してしまったのかを、確かめたかったのかも知れんな。最初に魔導を発動させた時に、悲しくも真実はあっさりと理解できたがの」
「言葉もないです」
アイトエルは特に悲観的な様子も見せることなかったが、スクッと立ち上がって遠く空の彼方を見つめた。
「なんにせよ、アスタートが英傑であったことは不変の真実。そしてその伝統は……今もなお続いている、少なくとも儂が生きておる限りはの」
俺もアイトエルに続くように腰を上げ、彼女の壮絶な人生の一端を知れたことにただただ恐縮する思いだった。
「はてさて。いささか思い出話が長くなったが──そろそろ核心へと迫ろうか、ベイリルよ。おんし自身のことをよく知った、儂の知識の源泉──すなわち情報提供者の存在」
なんとはなく心臓がにわかに高鳴りはじめ、喉が渇く感じがして俺は唾を飲み込んだ。
「ずっと以前にも話したか、囁く者──"BlueWhisper"。若かりし儂を救ってくれた人であり、儂しか知らぬ英傑のことを──」




