#429 結社の最後 IV
「この結末は──決して悪くない」
亡霊の真意を読もうとし、ベイリルは肺から吐き出そうとしていた言葉を止める。
「冥王、いやベイリル……キミなら理解できるはずだ。私は今、あるいは生まれてハジメテの感情に打ち震えていると言っていい」
「もったいぶるな」
「私が抱いた志と、キミが歩んできた道は同じなのだと気付いたということだ」
「……人類を、導く──"文明回華"と"人類皆進化"」
シップスクラーク財団を象徴する二重螺旋の系統樹、根から伸びた二本の幹に託されたスローガンにして願い。
遺伝子構造と上昇し続ける進化。さらには魔導と科学をそれぞれ表し、頂点で収束・交差しそこから無数に枝分かれたテクノロジー系統樹と果実を意味する。
「気付くのが遅すぎた、いや今にして思えば私は認めたくなかったのだろう。私は自分自身の手で大義を成し得たかった……」
亡霊はグッと拳を握りしめ、じんわりと指環を見つめ続ける。
「それこそが私の存在意義だったからだ。人ではなく、しかして命を得た私自身が……自我が選んだことだったゆえ──」
心静かに受け入れるように頷いた亡霊は、目を見開いてベイリルを見る。
「キミは同じ転生者でありながら……"大魔技師"とはまったく違ったやり方で世界に変革を起こした」
「大魔技師、か。亡霊、お前の人格は──」
「あぁ、大いに影響を受けている」
大魔技師の人となりについては、七人の高弟からにわかに伝聞が残っている程度であった。
もっとも魔術具の思想からしても悪人ということはありえず、彼はただ人々を豊かにする為に生きたことは容易に想像できるというもの。
「時代が違うし、恐れ多いかも知れんが……一度くらいは会って話してみたかったもんだ」
「なんのことはない。彼もまた思い悩む一人の人間だった」
「──まぁ大魔技師が築きあげた礎の上に、俺も甘えさせてもらったのは確かだ」
度量衡を統一するだけでも大変だが、それは既に魔術具制作を通じて大魔技師が広めてくれていたおかげだった。
さらにはクリエイターの地位が向上し、後世により多くの技術者を生み出す土壌を作ったとも言えよう。
「そういえば……俺が転生者なのは知られているんだな」
「もちろんだ。人類を急激に促進させる、時に危険な知識群──それをシップスクラーク財団という組織と、自由な魔導科学という思想でもって舵を取った」
経済を活性化させ、魔導科学を推進し、人々を救い、増やす。
産業を発展させ、芸術文化を振興し、人類の価値観を変化させる。
戦争を手段として用い、より多くの利益を享受させ、人同士を繋いだ。
「キミが結社に囚われていた時に、戦帝によって世界に混沌の種が撒かれた時も……財団は秩序を守り、その立場を崩さず保っていた」
亡霊にはそれが……狂おしいほどに羨ましかった。
心からの理解者を得て、創設者がいなくなったとしても初志を貫徹すべく運営される、シップスクラーク財団の在り方というものに。
変質することなく人々の内側へと浸透し、新しき知恵と合理的思考を植え付け、実利と救済を与えたフリーマギエンスの在り様というものに。
「俺自身、誇りに思っているよ。多くの縁によって支えられ、俺にはもったいないくらいに成長してくれた自慢の組織だ」
「叶うならばキミに見つからないまま、行く末を見届けたかったという気持ちもなくはない。しかし満足だ、ベイリルにならば私は諦められる」
「たとえば……見苦しく命乞いをし、生き足掻いて財団に協力しよう、などとは思わないのか」
「それをするには、もう遅すぎた。今にして思えば意地となって、取り返しのつかないこともし過ぎた」
「……そうだな」
「キミが許したとしても私は私を許すことができないし、今さら"心"に折り合いをつけることもできない」
「心、か──亡霊。お前はどうしようもなく人間が好きなだけだったんだな」
ベイリルはわすかばかり口角をあげてフッと笑った。
奥底で煮立たせるように渦巻いていた感情はいくつもあったのだが、そういった類とはまた別の感情によって。
「あぁ……あるいは、もし仲介人が死んだあの時に、キミの描いた未来と同道できたなら……」
「詮無いことだな」
「まったくもって。だがそうして踏み出すことができていたなら、未来は違うものとなっていたのかと……思わない日はないのだ」
ありえなかった未来を語り、想いを馳せる。
非生産的な行為ではあるものの──人はどうしたって考えてしまうもので、時に人はそうして己を見つめ直す。
しかし往々にしてそれは、淡く"儚い"願い……まさしく"人の夢"なのだと。
「さて……語りたいことは充分に話せた。長話に付き合ってくれて感謝する、ベイリル」
「──こちらも、思ったより実りがあった」
「話を語り継ぐ必要はない。ただキミだけが知っていてくれればいい」
立ち上がったベイリルは、自分でも思っている以上に穏やかな心地で、殺す為の心身を整えていた。
「指環を破壊すればいいんだな?」
「貴重な魔法具をこの世から滅するのは躊躇うかね? だが殺すにはそうするしかない」
「不本意ながら魔王具を壊すのは慣れたものだ。破格の性能は惜しいと、後ろ髪を引かれるのを否定しないがな」
亡霊はゆっくりと命脈の指環が嵌められた右手を、ベイリルへと差し出す。
「"未知なる未来"を、祈っている」
「……あぁ、さらばだ亡霊。そしてアンブラティ結社──」
パチンッと指が鳴らされ、一陣の風が霊廟の中に吹く。
そうして最後に作られた魔王具"命脈の指環"は切断され、空気の塊は収束し粉微塵に砕かれ消えたのだった。
◇
宿主が消失した遺体がその場に倒れ伏し、ベイリルは噛み締めるように実感というものを味わっていた。
「終わったな……」
人類は自ら歩き出し、もはや文明に対して介入する必要はないように思う。
唯一アンブラティ結社だけが、こびりつくように残されていた因縁であったが、俺自身の役目はもう無いと言って良い。
(あとは神領と魔領くらいか、いずれは人領に対してアクションを……──あるいは人族側から喧嘩を売ることも考えられるか)
争いによって一時的に後退しても、元は同じ種族から派生して進化した知的生命体同士。
いつかは垣根そのものも取り払われていくと信じたい。
「見届けよう。共に歩みながら、いなくなった皆の分まで――その行く先――"未知なる未来"を」




