#426 結社の最後 I
──誰からも忘れ去られた、数千年以上前に建てられし霊廟の奥。
そこには同じように誰からも忘れられたはずの一人の男が、沈黙し、粛々と、祈りを捧げるかのように瞑想をしていた。
白髪交じりの男の右手の中指にはリングが嵌められ、どこかくたびれた様子で浮世離れしているようにも見て取れる。
「待っていたよ」
男は目を瞑ったまま、背後から音も無く近付いてきた人物へと声を掛けた。
「逃げ隠れしていた奴がよく言う、だがもう王手詰みだ──"亡霊"。アンブラティ結社は今日ここで終わる」
亡霊は振り返って、待ち人へと真っ直ぐ瞳を交わす。
「私は命を惜しまない。だがその前に少しだけ話をしないか? "殺し屋"、いや"冥王"と呼ぶべきか」
かつて結社に"殺し屋"として潜入し、敗北し囚われ"冥王"として人体の改造・洗脳をされたベイリル。
彼はアンブラティ結社の創始者にして首魁である亡霊を前にして、少しだけ考えてからその場に固化空気椅子を作って座る。
「いいだろう、お前で最後だからな。時間はたっぷりある」
たとえ時間稼ぎの魂胆があったとしても、問題ないと見越した上でベイリルは会話に興じることを決める。
「ありがとう。私が最後ということは……あの"生命研究所"さえも殺し切ったか」
「奴には苦労させられたよ。あらゆる流通や人の流れを監視して、百年の間に増やし過ぎた複製体や寄生キマイラ屍体どもの総滅に時間を取られすぎた」
放置すればあわや世界滅亡の危機ですらあったが、なんとかそれは防ぐことができた。
しかしながらその過程で少なくない犠牲が出たことも──忘れることはできない。
「驚くまい。"将軍"に始まり、我らが手を焼いた"血文字"。"実姉にあたる"運び屋"でさえ……その手で殺したキミだ。こうなるのも時間の問題だった」
「お前が姉さんのことを口にするな」
ベイリルは表情を変えることなく、淡々とした口調と声色でもって亡霊を見据えた。
「失礼、私が直接的に関わったわけではないが……遠因になったことは確かだ。他意はなかった、そのあたりも含めて聞いてほしいのだ」
「……いいだろう。言葉選びには気を付けろ」
座ったままのベイリルはグッと腰を落とすように前かがみになり、状況に対応できるよう視線は外さない。
「"幇助家"が裏切ったあの落日──いや冥王、キミの復讐はもっと以前からになるか」
「そうだな、俺がまだ子供の頃に故郷を燃やされてから数えれば──もう二百年を軽く越える、随分と費やされた」
転生して野望の為に奔走した20年。昏睡し洗脳されて過ごした記憶なき100年。
"血文字"を殺してから、文明の行く先々に介入しながら結社と生命研究所を磨り潰して回った百数十年の日々。
「生命研究所には引っ掻き回されたが、亡霊を見つけるのにも一手間かけさせられた」
「遠い昔に抱いた私の大いなる志、かつての熱は冷めても……半ばに潰えることは忍びなかった。あるいはもしもキミたちがいつか衰退することがあれば、もう一度だけ奮起しようと身を隠していた次第」
亡霊は空虚な笑みを浮かべつつ、腕を広げて顔を上方へと向ける。
「随分と長い目で見ているようだな……亡霊は、どれだけ費やした?」
「結社を創ったのは──ごく最近と言える。私が生まれた時を思えば、十分の一にも満たぬ実に短い時間であった」
「なんだと?」
少なくとも300年をゆうに越える間、世界中で争いの種を撒いてきたアンブラティ結社。
であれば亡霊の年齢は、最低でも3000歳を超えることになるというのか。
「語ろう──そして是非、最後まで耳を傾けてほしい。因縁深きキミがたった一人でいい、誰も知らぬ私の生涯を覚えていてくれるだけで満足だ」
ベイリルはわずかに考えてから、小さく頷いた。
亡霊を満たすことになるのはいけ好かないものの、好奇心のほうが勝ってしまう。
「まず最初に明かしておこう。この肉体は私のモノではない」
「本体が別にいるってことか?」
「そうとも言える、私が生まれたのは……"二代神王グラーフ"が代替わりする少し前の時代だった」
「──っ!? そんなにか」
グラーフの時代ともなると4000年ほど前にまで遡る。
「いや生まれたというのは、いささか語弊があったな。私は──その頃につくられたのだ、他ならぬグラーフと……そして魔王の手によってな」
「グラーフと初代魔王か……なるほど、お前の正体は──意思を獲得した"魔王具"そのものか」
「さすがだ、キミは昔の知識もよくよく蓄えているのだな」
ベイリルは亡霊の右手中指へと視線を移し、答え合わせをするように話を続ける。
「俺の既知の範囲内で所在不明で、かつそんな効果がある魔王具は唯一ツ。死者すらも蘇生させるという"指環"だな」
「"命脈の指環"と、初代魔王は名付けた。正確には──生物・無生物問わず物質に生命を与えるシロモノだ」
ベイリルは絶句する。かつて白竜イシュトが、我が仔である灰竜アッシュの卵を蘇らせる為に探していた魔王具。
それは噂に聞いていたよりも──もちろんソレ相応の膨大な魔力量を必要するのだろうが──さらにぶっ飛んだ性能を持っているようだった。
「この肉体もいつかどこかで死んで転がっていた男のモノ──これまでに何度も、何度も、何度も……乗り換えてきた」
「秘密を教えなければ……俺はお前の肉体のみを徹底的に破壊し、指環は捨て置かれ……生き延びる芽もあったんじゃないのか。あるいは俺の体を乗っ取るとかな」
「それは、ない。今さら言いにくいことだが、信じてほしい……私は終わらせてほしいのだよ。他ならぬキミにな」




