#422 生命研究所 I
血文字が消滅してから、1年余りが経った──
昏睡していた空白に比べればたった1/100だが、皮肉にも濃密な時間を過ごした。
「──あとはベイリルさんにおまかせします。困ったことがあったらいつでも手伝いますから」
プラタは引退し、正式にシップスクラーク財団総帥の座を引き継いだ俺は、知識を詰め込みながら100年進んだテクノロジーと世界を堪能した。
「──海中基導要塞"アトランティス"の技術をさぁ、もっと簡単でいいから内海にも使いたいんだよ」
「──なぁところでベイリル、もしかして我々は……アイヘルから数えて最も古い付き合いになるのか?」
オックスと協力し、スィリクスと連携しながらサイジック法国と財団をさらに大きく、フリーマギエンスを広めるべく精力的に活動した。
「──"白の加護"を使えないのは、肉体を魔改造された影響もあるのやも知れんな」
「──ベイリルさんの魔導体はもっと融通が利くと思います。そうたとえば……"何か別の力"を付与するような」
サルヴァから竜の加護の具体的な秘法の使い方について教わったり、エイルと魔術や魔導のことを煮詰めたり。
「──ベイリルさぁ、いらん世話だっての。……でも食材だけはもらっておこう」
「──やはり真・特効兵装の復元は、開発・仕様書類が残っていても技術的に不可能ですね。先達の凄さを本当に再認識させられますよ」
「──頼まれていた氷像はできている。……なに? それでは約束が違う。いや、だからといってわたしが人界に出向くつもりは……生は別格だと? 本当に小賢しく口が回るやつだ」
レドの大魔王への道に少しばかり支援したり、ロスタンの研究・開発にアイデアを出したり、青竜フラッドとの交流を深めたり。
「──自分の料理はクロアーネさん直伝ですから。そうです……母、家庭の味というやつです」
「──クァァアア、ァアアウウゥ」
俺のそばにはいつもヤナギとアッシュ、さらに"烈風連"があった。
「──幇助家はその役割柄、貸しを多く作っていますので。かなりの結社員を個人的に招集することができますわ」
並行して幇助家イェレナ・アルトマーと画策し、外と内からアンブラティ結社を削っていった。
当時の結社員の多くは寿命で既に亡く、また"魔線通信"や"電信回線"の大元は財団が持つ技術である為、盗聴など大いに利用させてもらった。
必要であれば殺し、場合によっては捕え、取り返しがつくようであれば脱退させ、有能であれば抱き込んだ。
「──わたしの名前は"模倣犯"、得意なことは擬態だ。己についてはあまり覚えてない……だが、役割を与えてくれるならそれを全うしよう」
そうしてアンブラティ結社を潰すべく、有力な協力者も得ることができた。
そう、1年余り──収集した情報を統合し、さらに深く調べあげ、"生命研究所"の地中移動拠点のルートを割り出し、次の補給位置と時間を把握したのだった。
◇
「──"魔獣"の封縛措置、成功しました。灰竜も上空からいつでも吐息砲撃可能です」
巨大なモグラをベースに、角だの牙だの翼だの鰭だの複眼だの手足だの──無造作に混ぜられた化物が、地上で干上がるように静止させられていた。
学苑陸亀"ブゲンザンコウ"のように魔獣という巨大な生体を利用し、内部に作り上げられた移動拠点こそが、行方知れなかった"生命研究所"の本拠点。
「おつかれ、それじゃ最期を拝みにいくとするか」
「自分を除く"烈風連"の面々はこのまま釘付けを継続しつつ、即応できるよう待機させておきます」
シップスクラーク財団における、現有最大戦力である俺とヤナギはたった2人で魔獣内部へと入っていく。
「……ワーム迷宮を思い出すが、もっと陰鬱で醜悪だな」
踏み入れて進んでいくと、魔術具による光量が確保されている為、その気持ち悪さがよくよく目に映る。
カエジウスが自ら挑戦者の為にあつらえたワーム迷宮が、いかに配慮が行き届いていたかがわかるというもの。
「骨の破片があちこちに刺さりっぱなし……失敗した被検体を消化させて、魔獣の栄養にでもしているのでしょうか」
「ありえそうだな。まったくロクなもんじゃあない」
俺はドンッと強めに震脚をすると同時に音波を発し、"反響定位"で内部構造と人員配置を即座に把握する。
「見るに堪えん、最速で突っ切るぞヤナギ」
「はい、ベイリルさん」
俺とヤナギは揃ってパチンッと指を鳴らして"風擲斬"を放ち、十字に交差して切り開いた肉壁を通り抜ける。
するとそこには薬品類が並べられた棚や、大布が掛けられた複数のベッド。
照明や各種道具類が置かれた台に、ガラスでできた培養槽に入った魔物など──いかにもといった研究室らしい大部屋へとたどり着く。
そして椅子に座った1人の女"が、こちらを観察するように見つめてきていた。
「まさか研究所ごと止められるとは思っても見なかったけどお、なあ~るほどキミの仕業だったなら納得だあ。ひさしぶりだねえ"冥王"、ワタシの傑作の一人」
生来なのかボサッとした黒髪が肩ほどまで伸び、広めの目元に鳶色の三白眼。
「まああああ、上手くいったのはかなり運の要素が強かったけどお……でもでもお、ハーフエルフって素体としてはやっぱり良いよねえ。成功すれば長保ちしてくれるしい、ちょっとくらい寿命が縮んでも問題なくてさあ」
100年以上前だし、格好も違ってはいる。
「ってえ、あーーーー!? せっかくの特別な左腕が置き換わっちゃってるう。それは……義手? やっぱりさあ機械よりも生身のほうがイイよお、また同じのつけてほしい? もしかしてそれが目的で来たあ?」
"トロルの腕"は移植されていないし、"蟲のような連接尾"が生えているわけでもない。
「キミはもともと素体としての完成度が高くてさあ、けっこう無茶をやったんだけど──そうだ、せっかくなら新しいのを試してみるのはどうかな? かなあ?」
しかしその顔と声には見覚えがあった。
「ねえねえ、どーしたのお? ずーっと黙りこくっちゃってさあ。あーーー意思決定能力と言語能力喪失してたんだっけえ、じゃあ操ってるのはそっちのお嬢さあん?」
「いいえ、違います。……ベイリルさん?」
生命研究所と思しき女の言葉を否定したヤナギは、俺のことを心配そうに声を掛ける。
一方で俺はずっと以前の既視感から、女の抑揚と語り口を通じて完全に思い出し……その名前を呼んだ。
「──女王屍」
その姿と声は間違いなく。
若かりし学苑時代──遠征戦において戦い、この手で葬った──自らをキマイラと化した、寄生屍体軍団の女王に他ならぬのだった。




