#420 零の聖堂
「ッ──あぁ……」
ひんやりとした冷たさを感じながら俺は瞳を開ける。
「とりあえず生きているか」
俺は直近のこと──墜落した時のことを思い出しながら、とりあえずはまた100年とは言わずとも数年眠っていた……なんてことはなさそうだった。
夜空から照らされる星光と空腹具合、最低限の保温機能は残っているボロ衣に、未だ拭いきれぬ疲労感でおおよその推測が立つ。
(長くても半日くらいか、それにしても……)
周囲を見渡せば、そこは──氷上の平原であった。
しかしすぐに気付く、わずかに像がボヤけているということに。
満点の星空も歪んで見えている。遠くに見える"白い森"も、ハーフエルフの強化視力をもってして実像がはっきりとしていない。
同時に俺は──まるでその場で浮いているかのように──地面と距離が空いているのだが……、確かに"座っている感触"が存在する。
「そうだ、この場所は恐らく……──」
俺は意識が途絶する直前の記憶を蘇らせながら、指をパチンッと一つ鳴らして状況の把握に努める。
増幅された音によって"反響定位"を行って確信する……──ここが室内であり、想像していた場所に相違ないと。
「目が覚めたようだな」
いつの間にかそこにいて、声を掛けられて振り向くと……そこには短めの薄青髪した少女が立っていた。
たとえば触れただけで脆く壊れてしまうんじゃないかと思えるほど、氷の彫刻にそのまま命を吹き込んだかのような……この世のものとは思えない美しさ。
あるいはその者は人でないからか、現実味のない幻想的な少女に俺は床へと立って頭を下げる。
「助けていただいて感謝します」
「別に、ただの気まぐれだ。治療したわけでもないし、食べさせるモノもない」
「それでも外に放置されていれば、死んでいたでしょう。だから……ありがとうございます」
少女はスッと視線を動かして俺を一瞥し、瞳が合ったところでまたすぐ興味が無いとばかりに目を逸らす。
「一つだけ問おう、おまえは不埒なことを考えてここへ侵入したのか?」
「いえ成り行きといいますか……空よりもさらに上で、少しばかり死闘を演じまして──」
「……あの光か」
「地上からでも見えていましたか。まぁそんなわけで魔力もほとんどなく、落ちるままにやむを得ず"貴方の領域"へと降下するに至った次第です」
俺の態度に少女はわずかばかり眼を細めて、咎めるでなく口を開く。
「どうやらわたしが何者か、理解しているようだな」
「もちろんです。ここは"零の聖堂"、ですよね?」
「そう呼ぶ者もいるらしいな、わたしは特に名を付けた覚えはないのだが」
大空隙よりもさらに南、魔領の最西端に位置するそこは──大陸でも数少なくなく存在する、絶対不可侵の土地の一つ。
「そうでしたか。何にせよこれほどまでに透明度の高い氷で造形された、素晴らしい建築芸術。惚れ惚れします」
普通の氷属魔術ではまずもって創り出すことのできない美しさと完成度。
しかし彼女にとっては……きっと造作もないだろう。
「私の名前はベイリル・モーガニトと申します、"青竜"殿」
この場所こそ、七色竜が一柱──"氷雪"を司りし青竜の棲まう領域。
「おまえは竜が人と成れることを、"白"を見て知っていたわけか」
「"白の加護"があること、やはりわかりますか」
かつて白竜イシュトが伴侶とした黒竜と最期を共にした際、灰竜アッシュと共に託された──大切でかけがえのない繋がりである。
「だからここまで運び込んだ」
「なるほど、それで結果的に命を救われたと──やはり縁は宝ですね。ちなみに七柱の内、紫竜以外とは面識あります」
「数奇な人生を辿っているようだな」
「えぇ、良くも悪くも……」
俺は自らの天命を思い馳せながら、しみじみと肺から白い吐息を漏らす。
「よろしければ"青竜"殿の、人化している時の名前を教えていただければ幸いです」
「──"ブリース"だ。好きに呼ぶがよい」
「どうもです、ブリース殿」
竜の真名はどのみち発音できないと思われるので尋ねることなく、親しみやすく俺は人界での名を呼ぶ。
青竜はどうやら領域に引き籠って無関心なだけで、話せばわかるタイプのようであった。
とはいえこうして話を興じることができているのも"白竜の加護"があるからこそなので、態度や言葉は慎重に選んでいきたい。
「遠慮がないのだな」
「短いながらもイシュトさんと過ごしましたので」
人懐っこく、光の速さで距離を縮めてきた白竜。
人間が好きで、愛を知り、最後まで味方であり続けてくれた竜。
「白か、久しく顔を見ていないな」
「っ──え?」
「昔は不定期ながら会いにきてくれていたものだったのだが」
「……そう、ですか。世俗から離れてるがゆえにご存知ないのですね」
不穏の色を隠せない俺の言葉に、青竜ブリースの顔がわずかばかり歪む。
「イシュトさんは、黒竜殿と一緒にその生涯を終えました」
青竜は静かに目をつぶると、ゆっくりと冷たい息を吐き出した。
「協力を仰いだ緑竜グリストゥム殿と共に、その最期を看取りました」
「……そうだったか」
「その時に、この"白竜の加護"と──白と黒の仔である灰竜アッシュを託されたのです」
「灰竜──そうか、白は望みを果たせたのだな」
「いったん土地に戻ったら、そう遠くない内に灰竜と一緒にまた顔を出させていただきます」
「……あぁ、一度くらいは会ってみるのも悪くはないか」
光速であっちこっち移動していたであろう白竜イシュトは、大陸の端っこにいる青竜ブリースにもフットワークを軽く会いにきていたのは想像に難くない。
青にとって白が大切な存在だったのだろうことは、その声と表情から十分すぎるほどに窺えた。
「あるいはブリース殿から会いに来ていただくという形でも」
「あいにくとその気はない」
「残念です……よろしければ、人嫌い? の理由をお尋ねしても大丈夫でしょうか」
少しだけ逡巡してから、俺は意を決して質問する。
顔色と空気を読みつつ、声色と距離感──体温は冷たすぎて判断がつかないものの──鼓動も含めて測る。
「わたしは白や赤のような奇特さは持ち合わせていない。争うばかりの人間種は見るに堪えない」
原初の七色竜がヒト種と言えば、当然ながらエルフといった亜人種や獣人種、神族や魔族も当然含まれる。
「ですね、かつては頂竜のもとで恒久的な平和を築いていた竜種からすれば……一方的に戦争を引き起こし、あまつさえこの世界から追放したヒトはあまにも野蛮」
「昔話にも詳しいようだが、心得違いをするな。残ったわたしたち以外の者は、嫌気が差して新天地を求めて旅立ったに過ぎない」
「そうでした、失礼しました。自らの世界すらも魔法によって崩壊させかねなかった我らの祖先──さらには何千年と経った今もなお、同族でも相争い続ける人類はさぞ愚かに見えることと思います」
度し難い、そんなことは前世でも今世でもわかりきっている。
「ですが、興亡を繰り返し……時に大きく衰退しても──遅々として進歩してきたのもまた人類なんです」




