#416 血戦 I
「こっちを見ろ」
それは反射でしかなかった。他者の口から聞くのは実に100年以上振りではあったが、母国語はいつだって詩という形で己の中にあった。
だからこそ不意を突かれた言葉に、ワタシは無意識の内に反応してしまっていた。
次の瞬間──否、反応したまさにその刹那。
突如発生した風圧によって、自身の肉体が天高く宙を舞っていることを自覚する。
"透過"は使わず、風に身を任せるように、大人しく彩豊の都の遥か外側にまで運ばれた血文字は──"追従するように着地した男"と相対する。
その双眸には意志が込められていて、明確な目的あって実行したであろうことが見て取れた。
「今度こそお前の"死に目"に立ち会いにきたぞ、"血文字"──」
「はて、どこで会ったかな。ワタシが見逃した人間など数えるくらいなはずだが」
覚えは、ない。
見たような記憶があると言えば有るが、ないと言えば無い。少なくともその程度の人物。
しかしワタシのことを知り、かつ潜んでいたワタシを捕捉し、さらにはこんな場所まで運んだ手腕がタダモノではないことは確かであった。
「いやそうか、英語を……喋っていたな。同郷──あの時の君か」
「思い出してくれなくても結構だったんだがな、まぁいい」
そうだ、あれは確か"断絶壁"だった。
あの時のワタシでは彼の命を捉えられず、3つの組織の幹部全員の大量殺人をした直後で満たされていたがゆえに……互いに見逃した。
「これは復讐だ。そしてお前の存在そのものも障害だ、だから殺す」
「今は、渇いているぞ。あの時のように見逃すことはない」
「こっちも逃がすつもりはないさ、乾いて死んでゆけ」
予想外、嬉しいサプライズだった。
ワタシは一振りのナイフを取り出しながら、男の記憶を透過する。
「……"ベイリル"、と言うのか。せっかくだ、キミにはお気に入りの血詩をプレゼントして──」
言葉の途中で、脳が揺れた。
視界は振れて、耳鳴りがズキズキと響くようだった。
それははたしていつ以来だっただろうか。まだ魔導を覚える以前……この世界に転生して、記憶を思い出し、くだらない大人に殴られた時だったか。
「俺は名乗った覚えはないはずだが……まっ、とりあえず効いてくれたようで安心したよ」
油断はしていない。既に肉体は透過の魔導でもって、ベイリルの攻撃など透り抜けるはずであった。
しかし気付けば右のストレートを、顔面に貰い受けて地面へと大きく倒れこんでいた。
「噛み締めろ。一撃一撃、丁寧に殺し尽くす」
「な……に、だろうね、これは──」
起き上がりながらベイリルへと問い掛けて、相手の頭の中を"透過"させる。
魔力──魔導──色──濃度──視る──溜める──塗り潰す──雑多な単語群の中から、答えを導き出す。
「そうか……魔力の色、そんなものがあるのか。どおりでワタシを見つけられたわけだ」
「……」
「キミは魔力の色とやらを見ることができる。そして自らの魔導による濃い色でもって、ワタシの魔導の薄い部分の色を塗り潰し、その上で刹那の二の撃を加えた」
「なるほど、どうやらお前は記憶が読める……──頭の中まで"透過"できるってところか」
ワタシは呼吸を整えながら、久方振りのまともな痛みを堪能する。
「だが普通に喰らったことも鑑みるに、"俺の知る専門家"には程遠いようだな」
「キミの魔導……守護天使か。ああ、実に厄介なことだ──」
ベイリルの姿が掻き消えたかと思えば、ミシミシと右腿が悲鳴を上げていた。
恐らくは蹴られたのだとは思うが、単純な身体性能と白兵能力の差があまりにも開き過ぎていて認識できないのだ。
彼がワタシに対してダメージを通せるのは魔術ではなく自らの肉体だけのようで、かつ魔力色を濃く溜めるインターヴァルがあるようだが、それらを差し引いても……いささか具合が良くない。
「ッ……しかも意識せずとも攻撃に移行できるとは、見事なものだ。あまりにも……そう、相性って言うのかな? が、悪い」
「あの時、お前を取り逃さざるを得なかった時から対策はずっと考えていた。その為に会得した魔導と魔力色覚ってわけでもないがな、今なら殺せる」
「はっ……はは、何度も何度も殺すと……まるで自分に言い聞かせているようじゃあないか、不安を覆い隠さんとするように」
「言霊──って、英語圏じゃ知らないか。言葉は力だ、未来を確定させる。地面の下にだって逃がさない、殺し切る」
水月へと飛んできた拳を受け、ワタシは膝と両手を地面につけて無様に血反吐を吐く。
「赤い、血だ──ワタシの」
己の血液。しかしこれで詩を書くにはまだ早い。
「お前が死んだ後には何も残さない。肉の一片も、骨の一欠も、血の一滴さえな」
ベイリルは至って冷静な思考で深追いはせず、わずかな時間で魔力を濃く溜め、こちらの濃淡を判断。
その上で初動を無意識の中に隠し、確実に打ち抜いてくる。
我慢勝負になってしまうが、いずれ限界がきて透過の魔導そのものが維持できなくなる可能性もないとは言えない。
そうなれば後は好き放題に解体されるだけとなる。
「ああ……キミは実に完成された戦士だ」
今少し、彼と親しくなる為に。その血で、詩を書く準備をする為に。次のステップへと進もう。
「だからワタシも……キミとなろう」
「ッ──!?」
"変成の鎧"──多大な魔力を必要とするが、己の肉体を如何様にでも改変することができる魔法具。
同郷、ハーフエルフの男。まさしく鏡合わせのように、ワタシはベイリルの姿でもってベイリルと対峙する。
瞬く間に抜き放たれた"風太刀"の居合いを、ワタシも同じように居合い抜きで防ぐ。
「……負った傷も、変身すれば全快か」
「ああ素晴らしい肉体と反射だ、ベイリルきみの血肉は考えずとも動いてくれた……よくぞここまで練り上げたと素直に称賛できる」
「俺に成ったからって俺に勝てると考えているのなら、浅はかとしか言いようがないな」
「ワタシはただただキミと親密になる為──より良き"死に目"を見る為の下拵えのようなものさ」
「まっダメージリセットも想定内だ、魔力切れまで磨り潰し続ける──」
「存分に味わわせてもらおう」
激突──雷が迸る竜巻の中でまったく同じ両雄がぶつかっても、その肉体の操作、強靱な精神力、保有する知識と経験、無意識の活用においてベイリル本人が優位に立つ。
さらに肉体が同じとて魔導は別物である。先ほどと同じように間隙を縫って差し込まれる魔力色の攻撃によって、ジワジワとダメージを蓄積し鈍くなっていく。
しかしそんなことはどうでもよかった。
ベイリルと同じ姿になることで、さらには透過することで、内に秘めたる激情の一端を垣間見ることができる。
より、相手へと、近付くことが、できる。
そうして暴風が消え失せると──互いに同じ見た目ではあるが片一方は無傷、片一方は傷だらけという様相を呈していた。
「所詮は猿真似ってところか」
「っハァ……たしかに、ここまで分が悪いとは。素晴らしい肉体だが、操作が思ったより難しい。魔力の色とやらも、まったく見えない」
「簡単に知覚できるほど、安っぽい技術じゃあない」
鍛え澄ましたハーフエルフの肉体は、今までにない世界に対する見方を教えてくれた。魔力の流動のようなものまでは直観的に感じ取れる。
しかしわかるのは精々がその程度であり、魔力の色──ましてや濃淡まで理解できるとは……同じ肉体・感覚のはずでもここまで差異を感じたのは初めての体験であった。
「さて……そろそろ次の変身でもする頃合か、次は誰になるつもりだ? ありきたりに俺の大切な人にでもなって、手を止めさせる作戦でも取るか?」
「そんなものが通用しないことは、ベイリルになったことで理解できている」
強く、気高く、美しい。
かつて殺し損ねた同郷の転生者が、ここまで極め付けな獲物として帰ってきてくれるとは思ってなかった。
「より一層の興味が湧いた、だからキミに贈ろう。もっと知る為に、見せてくれ──」
ワタシはそう口にし、癒着しているかのように我が身と一体になっている魔法具"変成の鎧"が蠢くのを感じるのだった。




