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#415 血溜まり


 ──年端もいかぬ頃のことを覚えている人間は、一体どれだけいるのだろう。


 ──物心がついた時期の記憶を鮮明に思い出せる人間は、そう多くはないだろう。


 ──もし仮に己が生まれた時があるとするなら、それは母から産まれた時ではなかったと断言できる。

 母が死んだ時(・・・・・・)こそ、ワタシは血溜まりの中からこの世へと現れたと言えるのかも知れない。

 


 "血の海"。

 それは母の赤色だった。ワタシはまだその時、ただ子供らしく泣き叫んでいるだけだった。

 しかし瞳は閉じることなく、その色がワタシの視線を通じて血管と神経の隅々まで行き渡ったような……そんな感覚を今でも思い出せる。


 なんのことはなかった。母は珍しくもない、たまたま運悪く抗争に巻き込まれ、銃弾を浴び、ワタシを(かば)って、倒れ伏した。

 残された父によってワタシは育てられた──そしてある時、父はワタシの衝動(・・)に気付き、そのコントロールを教えてくれた。



 15歳の誕生日──ワタシは母の"死に目"からようやく、父の"死に目(それ)"を自らの手で(・・・・・)見る機会を得ることができた。

 

 赤ん坊であった時は母からの無償の愛を感じ、無条件の愛で(こた)えていたに違いない。そんな近しい人の、暖かい血の中で──

 厳格であった父からの、子を守る愛に対し……ワタシも精一杯の誠意を返した。そんな近しい人の、冷たくなっていく血の中で──


 "死に目"とは他のナニモノでもない、"最期の独占"。

 それに立ち会えないなど……ましてや他人になんて渡すなど考えたくもない。

 好きなことは、なんでも知りたくなるだろう。好きなものであれば、トコトンしゃぶり尽くしたくなるだろう。


 あるいはもっと他に楽しいこと、好きなことを見つけられるかと思い、およそ1人の人間が人生で味わえる娯楽・悦楽は試し尽くした。

 多彩な趣味を(たしな)んだ。世界中を巡って娯楽を味わった。

 時に薬の(たぐい)も使ったが、ワタシを真に満足させるには至らなかった。巡り会った妻を愛し、我が子を育ててもそれは変わらなかった。



 ──歩んだ人生の(かたわ)ら、いつだってワタシの渇きを癒してくれたのは"死に目"と……ささやかな"詩"のみだけだった。

 親しくなった者の死。大して親しくない者の死。見ず知らずの他人の死ですらも、ワタシの飢えは満たされた。

 普段の生活では詩を読んで心を平穏に(たも)った。


 男でも女でも、人種も関係なく、大人も子供も老人も、権力者であろうと社会的弱者であろうと。

 想像しうる……ありとあらゆる方法でもって"死に目"を見てきた。


 血が流れ、死んでいく──最も()かれ、()がれる瞬間だ。

 それが一番だと自覚してからは、不必要に苦しめて"死に目"を見ることは極端に減った。



 60と余年、"死に目"に()い、愛、相尽(あいつ)くした。

 捕まることはなく、ついぞ疑いすらも掛けられることなく、やりきった。 

 最後は3人目の妻と、巣立った5人の子供と、孫を含めた家族全員──だが(つい)に自分自身の"死に目"だけ……確かに見たはずの記憶だけがすり抜けていた。



 そう認識できたのは──"第二の人生"に恵まれがゆえ。


 これまでワタシが"死に目"を見たこともなかった生物がひしめく世界。

 信心深かったことは一度としてなかった。そんなワタシでも転生(・・)できたのは……一体なぜなのだろうか考えた時もあった。


 神がいたとしたら気まぐれなのか、あるいはひどく底意地が悪いのか。

 運が良かったのか、それとも他が悪かったのか。

 ワタシが知らないというだけで、誰もが機会に恵まれたのだろうか。


 なんにせよ肉体が変わっても"ワタシがワタシでしかなかったこと"が、これ以上ない僥倖(ぎょうこう)であったと言えよう。

 今度こそ……いずれ(きた)る自らの"死に目"も含めて、堪能し尽くさなくてはならない。



 徐々に記憶が蘇ってきた頃──異世界(こちら)の新しい母が、ワタシを産んだ時には既に死んでいたことがわかった。

 今度は自らの手で"死に目"を見たかったのだが……非常に残念なことであった。

 父も既にいなかった、行きずりの相手だったがゆえにわからなかった。


 いわゆるスラム街と呼ばれる環境の中で、孤児だったワタシは互助組織の一員として幼少期を過ごした。

 より年長の者がより年少の者を庇護し、皆でできることをやっていくサイクルの中で、過酷な世界を生き抜こうとする小さな意志の群れは……実にたくましく、美しかった。


 ワタシには知識と経験があった。

 さらには魔術というこの世界の(ちから)にも恵まれた。

 最初の頃は敵対者の血によって、渇きを癒した。誰にも知られることなく、狂おしいほどの飢えを何度も満たした。



 魔導と呼ばれる領域へ至る頃、スラム街での立場は逆転していた。

 弱者は強者へと、強者が弱者へと。一つの都市国家史の終焉、あるいは転換。


 怒りによって煽動された者たちは、領主屋敷へとなだれ込んだ。

 そして──屋敷から、ただの一人も(・・・・・・)、出てくることは、無かった。誰しもが平等に"死に目"に()った。


 血溜まりの中の充足感。

 やはりワタシはどこにいようともワタシでしかなかった。


 ふと骨董品と思しき古い革でできたような軽鎧が、血に濡れていないことに気付く。

 それこそが新たな"死に目"を見る為の出会いであった。



 "変成の鎧"──その身に着けることで、想像しうるありとあらゆる生体へと変身することができる魔法具。

 己にとっての真価にはすぐに気付いた。これを使えば、自分自身に殺される(・・・・・・・・・)相手の"死に目"にだって立ち会うことができる。

 さらにはそのまま成り変わることで、周囲の人間関係を維持したまま、親しき者に殺される人間の"死に目"をも簡単に見ることが可能だと。


 使用には相当の魔力を要し、最初こそ指先をほんの少しだけ変質させられるくらいであった。

 だが自在に変身できるということは、器も変えられるということに他ならない。


 すぐに中身はそのままに、外見のみを変化させる(すべ)を覚えた。

 魔力容量に優れた器に変身し、外皮(ガワ)だけを服のように着替えるようになった。

 ただ……なぜだか3つの泣きぼくろだけは残ってしまった。本来転生した肉体には存在しない、前世であった頃の身体的特徴。



 ──寿命とは無縁となり、ほどなくして元の素顔を思い出せなくなっても問題なかった。

 ──時に獣に変身し、人を狩った。人の姿でなくとも理性を(たも)つのにはすぐに慣れた。

 ──神器と呼ばれる者の肉体を得たことで、より膨大な魔力を貯留できるようになり、変身の幅が広がった。

 ──他者の記憶を"透過"するに至ったことで、より自然に、より親密に、人の心の(うち)へと入り込むことができるようになった。

 ──多種多様な(こと)なる生物の特質を自在に混ぜ合わせ、存在しない融合魔獣を創り出すことも難しくなくなった。



 異世界(こちら)で可能となったあらゆる状況、数多(あまた)の方法を試したが……結局のところ、たった一本の刃さえあれば十分だった。

 暖かく流れ出る血の赤色、ゆったりと喪失し冷たくなっていく──今際(いまわ)に表面化する感情と言葉の"死に目"に(まさ)るものはない。


 そして殺した相手の血液によって詩を(つづ)り残す。

 己にとってある種の神聖な儀式だとかそういったものではなく、ただ気が向いてやったことが習慣化したに過ぎない。


 終わりなき血の詩。

 人類が滅亡するその日まで……ワタシは持ちうる(ちから)でもってこの快楽を享受(きょうじゅ)し続けるだろう。


 さておき今回はどうしてくれようか。アルトマー商会、バロッサ財閥、ディミウム株式会社、自由協商組合。

 4つの大きな商業組織によってバランスが成り立っているこの街で──殺すべき人間、殺したい人間を探す。



 いつだったか、3つの組織を同時に殺し尽くした時のことを、ふと……思い出していた。


こっちを見ろ(Look at me)


 そして……すれ違ったその瞬間に投げかけられた言葉。

 その懐かしき響き(・・・・・・)に、ワタシは自然と振り向いてしまっていたのだった。


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