#410 血跡
しっかりと食事を摂り、どっぷりと眠りについて起きてから──俺はヤナギに連れられ、空中機動要塞"レムリア"内を歩く。
散策するだけでも何日掛かるかわからない、巨大で入り組んだ構造を進み、俺は一つの部屋の扉をくぐる。
そこは元々単なる大広間であったようだが、現在は様相をまったく異としているようだった。
床には巨大な世界地図が描かれていて、おびただしい数の記事が無数のピンによって刺し止められ、さらに赤い紐が複雑に結ばれ交差している。
それらは天井近くから俯瞰することで相関性が浮かび上がり、また壁一面には事件の詳細が時系列に沿って個別に貼り付けられていた。
「こいつは──」
「100年分です。"血文字"が起こしたとされる最初の事件まで遡って、可能な限り網羅しています」
俺はヤナギに案内される形で、"血文字"対策室の内部を歩く。
「なるほど……奴はその手で"死に目"を見た相手の血で詩を書き残す。だからこそ血文字の事件であることは明白で、転じて情報も収集しやすいわけだ」
「詩の内容と翻訳はスミレさんがやってくださいました。死後も既存のデータと照合して、部分的な単語は訳してあります」
歩く中で俺は、奴と最初に遭遇した"断絶壁"の事件のまとめが目に映り、当時のことを振り返る。
"死に目"を見たい──ただそれだけの理由で、大量殺戮をして回った特大の異常者にして、俺と同じ異世界転生者。
俺が壁外でボコボコにしたことで難を逃れた"ロスタン"を除き、三つの勢力組織の幹部らを一日の内に血の海に沈めてしまった。
老若男女どんな人間にも"変身"し、時に相手と関係を築いた上で殺す、歪みきった人格。
殺した相手の血で、こちらの世界では馴染みのない英語の詩を綴ることで、"血文字"という名が広まった。
シリアルキラーは殺した相手からいわゆる戦利品などを収集すると聞くが、奴にとってはこの無数に散らばる犯行の痕跡そのものがそうと言えるような印象を抱く。
(対話はもちろん不可能、今さらする気もない)
多少なりと会話を重ね……同じ地球人とは思えず、そして決して相容れることはできないと思わされた。
"透過"することによってあらゆるものをすり抜け、時と場所を選ばず侵入し、また掻き消えるように逃げおおせる殺人鬼。
(……俺が昏睡する少し前にも事件を起こしているのか、しかも帝国領内とは)
読みながら歩を進めるうちに、俺は一つの記事──愛したハルミアと、愛するはずだった娘クラウミアの──を見つける。
「あっ……──」
「変に気を遣わなくていいよ、ヤナギ」
俺が眠っていた間に起きたその事件を、冷静に読んでいく。
沸々と湧き上がるあらゆることは己が内に納め、後は爆発させる時を待つのみである。
「ヤナギが俺を早々とここに連れて来たってことは、何か意図があってのことなんだな?」
「……はい。結論から言いますと、財団は既にかなり絞り込んでいる状況にあります」
「なるほど。さすがに100年も犯行を重ね、それを追っていれば──傾向分布も掴めているわけと」
「そういうことになります」
「どうやら空白を埋めるよりも先にやる必要があるようだな」
トンッと俺は空気を掴んで浮かぶと、ヤナギもそれに追従する。
「現在判明している最新の事件から、次の犯行可能性の高い区域に人員を配置し、即時連絡できる態勢を整えてあります」
「それはつまり……次の事件発生後、迅速に俺が動けるように──ということか」
「新たな犠牲者には申し訳ないことですが……それが最も確実な方法です。それと……」
「俺が血文字の野郎を殺せるかどうかに懸かっている、か?」
「かつて遭遇した際には決着がつかなかったと伺っています」
「そうだな、確かにあの時は決め手に欠けた。だが魔導師となった今の俺なら、十分な勝算をもってあたることができる」
問題があるとすればこの100年の間で、血文字がどれだけ積み重ねたかということ。
しかしこればっかりは実際に相対してみないことにはわからないし、暗殺するのであればその限りではない。
「さて──」
俺はゆっくりと全体を眺めながら、血文字の流れ──その血の跡を辿っていく。
「……烈風連は手透きか?」
「はい、命令次第でいつでも動けるよう控えているつもりです」
「ならあそこだ、あの街に配置しておいてくれ。あくまで俺の直観だがな」
俺はピッと指差すと、ヤナギは丁寧に解説を始める。
「彩豊の都"マール・カルティア"──旧共和国でも有数の交易拠点だった街です。"独立解放戦争"時においてもほとんど被害なく切り抜け、都市国家の一つとして繁栄し続けています。
現在は主にアルトマー商会、バロッサ財閥、ディミウム株式会社、自由協商組合。四つがそれぞれ持つ流通路を活かし、非常に活発な競争が行われています」
「アルトマーは相変わらずとして、"ディミウム"株式会社?」
「はい、ニア・ディミウムさんとナイアブさん。それから息子の"ネクター"も尽力した有数の企業で、現在もシップスクラーク財団とも懇意にさせて頂いています」
「そうか、ニア先輩……夢を果たしたんだな──」
落ち目だった家を再興する。
学生時代からそう言って、シップスクラーク商会も利用する為だと公言して憚らなかった。
成り行きのままにシップスクラーク財団における物流の多くを任され、時に忙殺されながらも仕事はきちんとやり遂げてきた努力の秀才。
「それにナイアブ先輩との子供か……」
「現在は死去しています。素晴らしい才覚をお持ちで、同時に破天荒な人物でもありました」
「そいつは会ってみたかったもんだ」
言いながら俺は現在の世界地図と、100年前の世界地図とを重ね合わせる。
戦帝によってあちこちで引き起こされた"戦争を目的とした戦争行動"によって、大国のほとんどが領土を縮小し空白地帯が増えている。
それに伴って不安定になった各国では様々な激動が起こり、また災害によって地形すらも変化している箇所もある。
一方で時流に乗って独立した"サイジック法国"は、南のキルステン領とモーガニト領の一部を併合し、東の王国領土の一部も掠め取って拡大していた。
(相も変わってないのは……"カエジウス特区"くらいなもんだな)
"折れぬ鋼の"が没し、"大地の愛娘"の名が五英傑からはずされてなお、気ままにワーム迷宮を運営する奇特な爺さん。
(全てが終わって、いつ落ち着くかもわからんが……また潜るのを一つの趣味にしてもイイかも知れんなぁ)
俺はヤナギと共に着地し、ゴキリと右手を鳴らす。
こうも早く復讐の一つを果たせる巡り合わせに、心胆が打ち震えるようであった。
「では"烈風連"はご指示の通り、マール・カルティアに配置しておきます。ベイリルさんはひとまず、急ぎ"技術開発局"の方へ──」
「技術開発局……?」
「新しい義手の選択、および調整を行ってください」
「確かに、片腕のハンデを背負って決着をつけたい相手ではないな」
今度こそ逃がすことがないよう万全に、確実に殺し切れるよう十全に、戦闘準備は整えておくべきだろう。
するとガチャリと扉が開け放たれ、地に車椅子をつけずホバー移動する老婆が現れる。
「……"プラタ"」
「ベイリル先輩、あらためまして」
一礼するプラタを見て、俺は刻の流れというものを再認識させられる。
「プラタさん、こちらは既に段取りを決定しました。ベイリルさんを技術開発局まで案内するのを頼んでよろしいでしょうか」
「はいはい、構いませんよ」
「……よろしく頼む」
「もちろんです、ベイリル先輩」




