#402 目覚め II
「──随分と久し振りだな"オックス"」
病室へ新たにやって来たその人物は、学苑に通っていた頃に同じ魔術科の同季生として友情を育み、自治会長も務め上げていた男。
「そうだなベイリル、こうして話すのは……だいぶ久し振りになる」
コツンッと俺とオックスは握り拳を当て、旧交を温める。
「学生の頃から変わったのは髪型くらいか? すぐにわかったぞ、なんならむしろ若返ってるようにさえ思える」
「はははっそりゃどうも。そう言うベイリルもさっすがハーフエルフだけあって、大人にはなったが老け込んではいないようだ」
「まだまだ若いさ。ところで、わざわざ見舞いに"内海"くんだりから来たわけじゃないんだろう?」
「まっ用があったのはサルヴァさんにであって、おまえはついでだよ」
「言ってくれるね、それでも懐かしい顔は嬉しいってもんだ」
そこで俺はふと疑問符が浮かび、率直にオックスへと訊ねる。
「っつーかサルヴァ殿をよく知ってたな?」
「ああ、まあな。ベイリルおまえは知らないだろうが、オレも割りと財団と関わるようになったもんでな」
「そうだったのか。一体いつの間に──まぁ俺も最近は多忙だったから……色々と報告が溜まってそうだ」
「デスクワークするには丁度いいんじゃないか、しばらくは立つのも難しいんじゃねえの?」
「いやさすがにそこまで臥せってないと思うが。左腕の義手はともかく、右腕や足はそこまで衰えた感じはしない」
喉の調子も問題なく上がってきたし、経過していても精々が10日といったところだろうか。
「──それならそれでイイことかもな」
「ただ腹がめちゃくちゃ空いてるわ。できれば病院食じゃなく、クロアーネの愛妻料理を食いたい気分だ」
冗談と本気を半分ずつ笑いながら俺が言ったところで、オックスはやや真剣な表情で問うてくる。
「……ところでベイリル、オマエさんどこまで覚えてるんだ?」
「んあ~~~そうだな、やられたところまでは──」
仲介人が現れ、姉である運び屋がヴァルターを殺し、俺は背中を刺されて左腕を喪失した。
(それから……どうなった?)
トドメは刺されることなく、俺の身柄は生命研究所に預けるとかなんとか聞こえたような……。
「それ以降の記憶はまったくないか」
「だなぁ……」
オックスは部屋の隅に控えていたナーギへと顔を向けると──彼女は口をつぐんで首を横に振る。
「なんだなんだ、記憶に関しては多少混濁して抜け落ちてようが問題ないさ。シールフに頼めばそれで済む」
圧倒的な強みの一つ。シールフ・アルグロスの"読心"の魔導をもってすれば、奥深く眠っていた記憶も掘り起こしてもらえる。
本格的にアンブラティ結社と敵対する立場になった以上、容赦はしないし、打てる手はすべて張り巡らしておかねばなるまい。
「つーか誰が俺を助けてくれたんだ?」
「……フラウさん、です」
するとナーギが小さくつぶやくように答える。
「フラウが? もうワーム迷宮から戻ってたか」
であればキャシー、それにバルゥ、さらにはケイ・ボルドも戻ってきていることになる。
運び屋は脅威だし仲介人のカラクリも不明、どれだけ結社が戦力を温存しているかもわからがないが……。
(将軍の後釜に殺し屋として俺を引き入れた以上、そこまで潤沢ということもあるまい)
探し出すことさえできれば、戦力的に叩いて砕くことは十分できるように範囲に思える。
そも仲介人さえ殺し切れたなら、それだけでアンブラティ結社は機能不全に陥る可能性が高い。
「落とし前はつけないといけないからな」
「見て……らんないな」
「オックスさん!」
どこか覚悟を決めたような表情のオックスと、縋るように止める様子のナーギに俺は眉をひそめる。
「なんだよ、神妙な顔をして──」
言葉途中に俺は気配を感じて窓の外を見ると、その窓枠に掛けられた手に気付いてギョッとする。
「んむ? 取り込み中だったか?」
一陣の健やかな風が流れたかと思うと、そこには"ハイエルフ"が空中に立っているのだった。
「ベイリル! 快復したようで何より!」
「"スィリクス"? なぜここに?」
「それはもちろん、君が目覚めたと連絡を受けてな。いてもたってもいられなくなった」
「随分と来るの早いな……ってか、サイジック領に来てたのか」
オックスより前の自治会長、ゆえあってモーガニト領の代理を任せているスィリクスがこっちに来ている理由。
「モーガニト領はどうなった……?」
戦帝は捕まり、ヴァルターも死んだ。あるいはヴァルター殺しの濡れ衣を着せられかねず、領地剥奪もありえる。
そうでなくとも内乱が最勃発した可能性、激化すれば各領地へ波及してどうなるかわかったものではない。
「む? あぁ土地に関しては心配はしなくていい、健在だよ」
「それは良かった。詳しくはあとで話すけど、皇国侵攻戦のはずが結構なゴタゴタがあったんでね」
「ああ、だろうな。しかし、そうか──まだなのか。とりあえず失礼するよ」
何かを察したようなスィリクスは窓をまたいで入室するやいなや、真っ直ぐ俺を見据えてくる。
「ベイリル、親愛なるキミの友として話しておかねばならないことがある」
「っと、そんな改まって……なんか構えちゃうな」
「スィリクスさん……いずれは話さなければならないことでも、まずはサルヴァ先生の判断を仰ぐべきです」
「ぬっ──」
「ずっと付き添ってきた彼女の意見は、尊重されるべきだと思うぜ。オレも止められたし」
なにやらわかったように話す三人に対して、さすがにオレも言及せざるを得なくなる。
「さっきからなんなんだ。いまいち頭が回ってなくても、さすがに不自然が過ぎる。なにか重大事か……誰かの訃報でも、あるのか──?」
覚悟を決めなければならない。俺が倒れているその間に、何か重大なことが起こったということを。
「我の見立てでもベイリルの意識はしっかりしている、明かしても問題はないだろう」
「サルヴァ殿……」
ともするとタイミングよく再びやってきたサルヴァが──俺の反射を試すように──投げてよこしてきた小さな紙袋をキャッチする。
「内服薬だ、今後なんらかの異状が出た時に飲むといい。そしてもう一人、目覚めを心待ちにしていた者が来ているぞ」
千客万来と喜んでいいのかどうか、カラカラと車輪が回る音が響き、車椅子に乗った老婆から入口で会釈される。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう……ございます」
(見覚えは──ないな)
「おまえの口から話すか? この場では最も相応しいだろう」
「……はい、わたしの口からでよければ」
「我らはいったん場を外そうか?」
「いいえ、この場にいてもらったほうがよいかと」
サルヴァの言葉こそ遠慮ないものの、その心遣いには老婆に対する明白な"敬意"が感じ取れる。
そしてそれはこの場にいるナーギ、オックス、スィリクスの全員が例外なく一歩引く様子で、車椅子の老婆こそ最も立場が上なのだと理解させられた。
「ご婦人、なにやらみんなしてよそよそしくしている秘密を……貴方が教えてくれるのですか?」
「はい。ただその前にもう一人、いえ──もう一柱を呼んでくれますか?」
老婆はナーギへと目配せすると、ピュイッと口笛と一つ鳴らす。そして老婆は車椅子からゆっくりと立ち上がった。
「老体には応えますが、"糸"を使えばなんとか……少しだけ立って歩くことができます。ベイリル先輩」
(せん、ぱい……? 俺のことをそう呼ぶのは──)
周囲にはキラキラと"白金の糸"が煌めき、自力でベッドまで歩いてきた老婆はゆっくりと俺を抱きしめてくる。
同時に骨まで響くような唸り声が聞こえると、窓の外には"巨大な瞳"がこちらを覗き込んでいた。
「竜……? 灰色の──まさか"アッシュ"か?」
いかに回転が鈍くとも、俺は頭の片隅で……無意識の部分で理解し始めていた。
するとナーギは、金属のような光沢をもった連節尾を隠すことなく見せる。
「ナーギ、なぎ……本当の名は"ヤナギ"──それにお前……"プラタ"、なのか」
「そうです、ベイリル先輩。その、先輩は……およそ100年近く眠っていたことになります」
突然立っていた地面が抜けるような感覚を味わいながら、俺はその言葉を何度も……何度も──反芻するしかないのであった。




