#393 最強の血族 I
「あの野郎──"アレクシス"がいる限りはな」
俺は馴染みのある名前を聞いて、その顔を脳裏に思い出しつつ疑問符を浮かべる。
「第三王子? 東部総督府補佐が今さら……」
モーガニト領が下賜される際に初めて顔を合わせた。
それからも何度か、財団総帥リーベ・セイラーの影武者として話す機会があった。
はっきり言えば、王の器としては小さく不適格に思えてならない。
「憎たらしいがな、あいつが戦帝の……いや、帝王の一族の血脈を最も色濃く受け継いでやがんだ」
「よくわからんが……政戦両略の才能ってことか?」
「違ぇよ、奴は政治も戦略もはっきり言ってお粗末だ。交渉もヘタクソだしな」
「まぁ……それは確かに、ということは──」
「もっと単純に帝国最強ってことだ。武力だけなら戦帝も相手にならねェ。アレクシスには政治も戦略もいらねえんだよ」
「嘘だろ……? それとも俺を担いでいるのか? 今まで何度か話しているが、そんな雰囲気は微塵にもなかったぞ」
「だとすればテメェの眼は節穴だな。そりゃ五英傑には劣るかも知れねえが、たった一人でアイツは帝国を陥とせても不思議じゃねェんだ」
まさしくヴァルターの言葉に嘘は感じられないが、しかして強化感覚でも察し得ないほどの実力をアレクシスが隠していたというのがどうにも信じられない。
「さすがに大言が過ぎるんじゃないか」
「……そうかもな。だが東部総督府の戦力も合わさればあながち間違いでもねえ」
「東部総督──あのフリーダ・ユーバシャール殿が、帝国に内乱を招くような真似をすると?」
老練で理に聡いあの海千山千の婆さんが、考えなしに力を貸すとはどうしても考えにくかった。
「テメェがどこまで知ってるのかは知ったこっちゃねえがよ──あのババアはな、好機と見れば動くぞ」
「まぁ……俺も会合で何度か話したくらいだが、帝国の不利益なることをするとは思えん」
「表向きはな? だがババアは老い先が短い、わかるか? 無敵なんだよ。最期にド派手な花火をあげようってタイプだ、ありゃあな」
ヴァルターが熱弁するも、俺はどこか冷めた心地で自分が感じた印象との乖離に眉をひそめる。
「なんなら自分が宰相の座について、帝国をより良くなんてぇ腹ン中で考えててもおかしくねえぜ」
「であれば、実際に東部総督府が動いたら信じることにするよ」
そう、アレクシスが本当に強かったと仮定するのであれば──ありえないとも言い切れない。
俺の強化感覚とて絶対ではなく、見誤ることも決して少なくなかった。
「そういえば帝国宰相ヴァナディス殿はどうしているんだ?」
「あんなカビの生えたエルフはオレ様の治世にはいらん、だから更迭した」
「建国の偉人をよくもまぁ……」
かつて赤竜、初代レーヴェンタール、"燃ゆる足跡"と共に帝国を創り上げた生ける伝説を、カビの生えた呼ばわりとは傲岸不遜も過ぎるというものだった。
「表舞台から退かせはしたが、膨大な事務・雑務で帝国の為に働いてもらってる──本望だろ」
「新宰相は?」
「いらねえよ、そもそも体制をまったくの別モノに一新するんだからな。古きは排す、やるなら徹底的にだ」
(まぁ間違ってはいないんだよな、そもそも正解というのも後世の歴史家の判断に委ねられようものだが……)
抜本的な改革をするのであれば、旧態依然とした体制・やり方を半端に残すのは悪手となりかねない。
国家を富ますにはしっかりとした土台・基盤が必要であり、柱もガタガタでは支えることもできやしない。
(俺はほぼ0からシップスクラーク商会を作り、フリーマギエンスを広めた。出発地点が異なるというだけで、本質的にはそう変わらない)
つまりは異世界文明に新しい風を巻き起こす。
現代地球の知識があるヴァルターが、国家の頂点に立つことはつまりそういうことだ。
「その為にもアレクシスの野郎は邪魔なんだ、アイツの考え方は特に古臭いからな」
権威主義的であり、帝国にいながらも差別的──確かにアレクシスは、古き悪しき考え方ではあろう。
元々の帝国が建国された立脚点からしても、歪んでしまった上での価値観とも言える。
「だからテメェがぶっ殺してこいや、それくらいしか役に立たねえんだから」
「そりゃ俺にだって見せていない底はあるが……さしあたって俺と実際に闘ったお前が比較した上で、勝てるレベルだと判断していると見ていいわけか?」
「知るか」
「オイオイ」
「言っとくがテメェなんざ捨て石なんだよ、つってもタダじゃ死なんだろうが」
「俺がダメージを与えた上で用済み処分、残った美味しいところを掻っ攫うわけか」
まったく隠すことなくのたまうヴァルター、しかしそんなものは当然断るに決まっているわけで……。
「そんかわし、成功したなら認めてやるよ。"サイジック領の独立"をよ」
「……は?」
「こっちだってある程度は調べてんだ、知らばっくれんじゃねェ。いや大体だな、テメェのやりたいことの先を考えれば、見通しとして確実に持ってることだろうがよ」
「──そうだな、否定はしない。ただ口だけの約束じゃないだろうな」
「当然だ、所定の手続きは踏む。口にするのもイラつくがよ……それだけの価値がアレクシスの首級にはあんだよ。端っこの土地一つ安いくらいだ」
(そこまで強いのか……"戦帝"より強い、つまり"伝家の宝刀"級を越える──オーラム殿や将軍クラスと見るべきか)
「つっても新体制の発足と同時に独立ってぇのは、新帝王の沽券に関わる。だからしばらくはカエジウス特区と同じ扱いにはさせてもらうぞ」
「あくまで帝国に帰属はするものの独立自治領として、時機を見て──だな……悪くない。そこまで言うのならば本気度もうかがえる」
「ただ不干渉ってことはテメエの身は自分で守れよ、王国から侵攻されようが関知しねえからな」
「それには及ばないさ」
国家総力戦ならともかく土地に侵攻してくる程度の局所戦において、サイジック領は既に十分すぎる軍事力とテクノロジーを保有している。
ゲイル・オーラムをはじめとした単一個人戦力も充実しているし、それ以上に技術・商業・資源・文化といった交渉材料も山ほどあるのだから。
「とりあえず皇国侵攻していた軍はオレ様の"影武者"が臨時で率いてるから、ここ帝都で合流する。テメェはサイジック領から軍を出せ、それで東部軍を挟撃にできらあ」
「カエジウス特区に、軍団を通してもいい確約を得られるならこちらとしても一考の余地はあるが……」
「チッ──そりゃムリだな。だが遠回りでも軍をチラつかせるだけで効果あんだろ」
「まぁ示威行動するだけでも相当な制限は掛けられるだろうが──」
実際には浮遊島を利用した空域展開や軍団・物資輸送。
あるいは一つだけ温存していた制覇特典を使う、という最終手段もあるものの──
そんなことをバカ正直に言うわけもなく。恩というものは最適なタイミングで最高の形で売りつけて然るべきものであった。
「ただそもそも俺の一存でどうこうできる話じゃないし、モーガニト領にしても軍事力は最低限しか保有していないしな」
「あのなあ、テメェに拒否権があると思ってんのか? こっちはテメェの領地を没収したって構やしねえんだぜ」
「そんなことをして他の領主・貴族に示しがつかんのじゃないか」
「一人くらいなら問題ねえよ。新体制への移行で、種族特区の在り方を変えたって名目にだってできる」
「やりたい放題だな、さすが帝王」
「なんなら科学捜査も無いからいくらでもでっち上げられる。例えば今テメェがオレ様に襲い掛かっただとか、誰かてきとーな高官の一人を殺したとかなあ?」
口ではそう言いながらもお互いに理解している、そんなことをしても不利益のほうが目立つということを。
「──とにかくこっちは譲歩して見返りまで約束してんだ、くだらない駆け引きは面倒臭ェからもうやめろ」
「駆け引きというより、話を聞く限りこれは俺の命に直接関わってくることだ。慎重になって当然だろう」
「選択肢なんざ無いんだよ。アレクシスが帝王になったらそれこそ何をしでかすかわかったもんじゃねェんだから」
「それは……まぁ、確かに」
性格も思考もかなり偏重していて、はっきり言って読みやすくも読みにくい。
──足音が聞こえる。
それは明らかに急いでいて、俺は心をわずかに身構えるも……ヴァルターはそれが誰なのか察している様子であった。
玉座の間へと現れたのは一人の女性、ヴァルターの近衛騎士であった。
「若!」
「もう若と呼ぶんじゃねえよ、ヘレナ」
「ベイリル・モーガニトッッ……伯!? なぜ今、どうやってここに!?」
「ヘレナ、ベイリルは気にしなくていい。急ぎの用なんだろうが、先に話せ」
「はッ、はい! そ、それが──」
ヘレナの言葉が詰まったのは、コツ──コツ──と音を立てて、また新たに歩く音が響いてきたからであった。
それは悠然と、隠す気はなく、一定のリズムで近付いてきて……開け放たれていた扉をくぐり姿を現す。
「似合わないな、その玉座」
長めの黒髪に黒瞳、紛れもな先ほどまで議題にしていた件のレーヴェンタール──アレクシスがそこにいるのだった。




