#377 影 II
「──俺は"第三の選択肢"を選ばせてもらう」
「なにを……この期に及んで悪あがぎぶごっ!!」
"灰鋼の左腕"で顔面を殴打されたヴァルターは影法師もろともぶっ飛び──
"灰鋼の右手"の中で圧縮・電離したプラズマが、空気を絶縁破壊しながら強烈な光を放った。
「さすがに少しばかり肝を冷やしたが、まっ結果オーラィ」
恒常顕現でなく刹那顕現であれば詠唱も必要ない──俺だけの魔導、"幻星影霊"によって状況はあっさりと覆された。
アーク光によって一瞬の内に影が消散したことで呪縛から逃れた俺は、二度と同じ手は喰わぬよう、今度は大地に至るまでつぶさに"天眼"で把握する。
(これで打開できなかったら、ヴァルターの命を絶つしかなかったが……とりあえず目論見通り)
実のところ"幻星影霊"による、一瞬の爆縮掌握で発生させたγ線で"影黄竜"を消し飛ばした時と同じ──
影が一時的に完全消失するほどの光を発生させれば、支配下にあっても消滅という形で無事対抗することができた。
「ぐぅっ……一体何をどうやった!!」
「いやいや手の内は明かさないっての」
不意打ちをぶち込まれてダラダラと鼻血を流しながらも、すぐに立ち上がって反撃態勢を整えているのは流石であった。
視力・聴力にも問題ないようで、鉄すらも軽く粉砕する拳であっても、連綿たる血と魔力で強化された彼の肉体を容易に破壊することはできない。
「クッソがァ……さっさと殺しとくんだった」
「いやぁ──それはどうだろうか、言っちゃ難だがこっちの切り札はまだあるぞ」
「うるっせえ! それはオレ様も同じだ!!」
ヴァルターは鼻をすすってからベッと地面へと血を吐き捨てる。
「血気が微塵にも収まらないのは……戦帝の血筋かね」
「あの野郎の名を口にすんじゃねえ、反吐が出やがる」
「そりゃぁ転生した俺たちとっては、いまいち馴染みが薄いかも知れんが……一応は父親だろうに」
「オレ様はこれっぽっちも育てられた覚えは無えんだよ。ただでさえ王族・貴族なんてェのは乳母や教育係に任すもんだが……帝王は戦争ばかりで顔を見ることすらしやがらねえ」
殺し合いをしている最中であっても、こうして軽口を叩き合うかのように会話に興じるのはどこか不思議な感覚であった。
「それでも……こうやって戦うことで歓喜を覚えるっつーんだから、"血"ってのは切っても切れやしやがらねえ」
「闘争に関しては俺もそんなもんだ、力を振るうってのは純粋に快楽だよ」
こっちの世界でも男の子として生まれたからには、やはり地上最強は夢見るというものだ。
ただし──五英傑──"折れぬ鋼の"にぶっ飛ばされて、"大地の愛娘"ルルーテを間近で見た後では……それも閉口せざるを得ないのだが。
「だからヴァルター、娯楽もそこそこに……ここらへんでお開きにしても良くないか?」
「馴れ合いはゴメンだ、死ねつったら死ね」
殴られたダメージもそれなりに回復したのか、影法師は消えて、新たに収束した影を右腕のみに纏うヴァルター。
その影はこの世の何物よりも漆黒かと思わせるほど濃く、深く、底の見えない黒であった。
「そうかい、なら死んでもまた転生できることを祈るといい」
俺は右のリボルバーをくるくるとガンスピンさせながら、銃口をヴァルターへと向けて撃鉄を上げた。
「ンだあ……? そんなもんオレ様相手には豆鉄砲ってことくらいわかってんだろうに舐めてんのか」
「試してみれば、わかる」
当然ヴァルターは知る由もない、右のリボルバーの最後の一発には──γ弾薬が装填されているということを。
「横槍いれさせてもらうよ」
その時だった──暗い闇から突如として現れたように──間に割って入るような形で、一人の女性が立っていた。
「──ッ!?」
「ああン……?」
その女は肩ほどまで伸びた薄茶色の髪に、浅黄色した細い瞳を俺とヴァルターへと向けている。
特に美しいだとか醜いだとかいうことはなく、男にも見えないことはない中性的な顔立ち。わずかに高い声色と体温の高さで女だと判別がつく。
肢体の見えないローブ姿に、強いて特徴的なのは片耳にのみ耳飾りをしていることだが……背格好も体型もいたって普通。
本当にどこにでもいそうな──そんな印象だけが強く残る。
「てめェ……あン時の──しゃしゃり出てくんじゃねえ」
「随分と昂奮しているようだが……キミに聖騎士の場所を教えたのは、こんなことをさせる為ではない」
さしあたってヴァルターとは知己の間柄のようで、さらには情報源らしい女を、俺は眼光を鋭く見つめる。
「まだキミたちのどちらかでも、落ちてもらってはいささか困るのだよ」
「指図は受けねえ」
「では今後の情報について与えることはできないな。今のキミにとってそれは不都合極まりないのではないかな?」
少なくとも女はヴァルターの無条件の味方というわけではないようで、何かしらの協力・契約関係が見て取れる。
それに彼女に見覚えはないのだが、どうやら俺のことも既知のようであった。
「クソ女が……」
悪態を吐いてからヴァルターはこちらを睨み、俺は諸手をあげて戦闘継続の意思がないことをアピールする。
するとヴァルターは少し考えてから纏っていた影を掻き消すと、俺もまた撃鉄を戻して銃をホルスターへとしまう。
そうして張りつめていた雰囲気も、幾分か弛緩していった。
「まあいい、今すぐに殺す必要は無え──いつか邪魔になったその時に、てめえが作り上げたものを丸ごと頂いてやる」
「……殿下のご自由に」
俺は改めて身分差を弁えつつ当たり障りなく答え、とりあえずの問題が解消されたことに心中で安堵の息を吐いた。
いかに帝位継承候補者であっても戦功ある伯爵位を理由なく処すことはできないし、逆に俺もまたヴァルターを害することは後々になって不利益の方が多い。
それを互いに理解しているがゆえに、矛を納められたし、遺恨も残さない。
一方的にやられた俺は、本来ならば怒りの一つでも覚えていいところなのだが……同じ転生者同士であるからか、不思議とそうした感情は湧いてくることもなく。
何よりも人格破綻者である"血文字"とは違って、共通点の多いヴァルターは俺と同じ穴のムジナだということが大きいのかも知れなかった。
「仲良きことは美しき哉」
「黙りやがれ、大体てめえ唐突に現れて闘争を止めにきただァ? そんなもん素直に信じるわきゃねえだろうが」
「ああそうだね、もちろん止めたのはついでさ──わたしはキミに用事があって来たんだ」
女ははっきりと俺の方へと向いて、そう言った。
「あいにくと貴方がどなたか存じてないが……俺のことを知っているのか」
「もちろんさ、ベイリル・モーガニト伯。円卓の魔術士、第二位を殺したヒト──商会、キマイラ、黄、魔獣、壁、黒、聖騎士長、監獄、将軍、黄昏」
「ッッ──!?」
「あァ? 何をブツブツ言ってやがる」
ヴァルターがこの場にいるからなのだろう、具体的な部分は濁しつつ──しかも俺にだけ聞こえるよう小さく呟いた──暗に示した俺にまつわる情報群。
一般には知られようもないことまで、つぶさに把握されていることに俺は警戒レベルを最大限まで引き上げる。
(まさか直近の大監獄や将軍のことまで……?)
「つーかオイ待ててめえコラ、"円卓殺し"にも肩入れしやがる気か?」
「わたしは見込みがあれば誰にだって肩入れをする。それを止めることは、誰にもできない、キミにも、戦帝にも──たとえ五英傑でも」
「……チッ、勝手にしやがれ。次会った時はてめェら覚えとけや」
それ以上ヴァルターは女に対して口を閉ざし、影に紛れるようにこの場から姿を消した。
「ではモーガニト伯、落ち着いたところだし……わたしも今は失礼させてもらう。遠くない内に"仮宿"に寄らせてもらうから、詳しい話はその時に──」
女は名乗りもせず立ち去り、俺も長居するわけにもいかず……すぐに飛んで離れるのだった。




