#363 赤竜 III
「もしよろしければ、直接帝都まで訪ねてみてはどうでしょう?」
俺が軽い気持ちで口走ったその提案に、赤竜は感情を込めた声に出す。
『この我みずから帝都へ赴けと、言うか』
「えっ──と、あぁ……はい。"人化の秘法"もあるわけですし、帝国宰相と直接会って話すのが一番効果的かと存じます」
『この我に、この期に及んで歩み寄れと、貴様は言うか』
「……もし仮に帝国が歪んできているのであれば、それを正すのは決して悪いことではないかと」
『あまつさえ我が身を煩わせると、言うか』
「対話は大事ですよ。それが知的生命の証明であり、複雑に織り成す社会性の真髄です」
『我を同列に語るとはな』
熱と威圧感が増し、一方で俺は肝が冷える心地で静かに言葉を選ぶ。
「逆手に取るようで恐縮ですが、帝国建国の理念がそうであったように……。私はイシュトさんをはじめとして、多くの種族や"五英傑"とも関わってきました。
こう言っては侮辱にあたるのかも知れませんが、人も竜も言葉を交わせるという点においては同じです。だからこそ種を越えて、理解し合えると信じています」
『よくよく口の回る……』
「だからこそ創世の時代において、竜種を排斥しようとした神族らは愚かだとも思っています」
あくまで、理想論に過ぎない。実際にはそう甘くもないし、簡単にはいかないのも重々承知している。
特に宗教歓や伝統・文化がもたらす隔たりというのは、言語だけで説き伏せられるほど単純なものではない。
(だからこそ、塗り潰してやるんだ)
フリーマギエンスの思想、シップスクラーク財団がもたらす技術と文化はそこに集約される。
「中立の立場を取りたい私にとって、合理的に人事を尽くすにあたって……最も穏便な手段だと考えた次第です」
『我が帝都を焼き尽くす、という考えには至らないか』
「完璧とは言わずとも、帝国が多種族国家として──現世界において最も理想的な環境である限りは、それを自らの手で滅ぼすことはありえないかと」
口にこそ出さないが、そうでなくとも赤竜が人間が好きなのは明白。
無為に命を奪うような気質ではないことも、ここまでのやり取りで理解している。
「──それに"帝国宰相"ヴァナディス殿が見過ごしているというのも、例えば"長寿病"が進行している影響なども考えられます」
『長寿病だと』
「長命を生きる者にとって肉体や精神が鈍化し、刺激に対して反応が薄く──」
『阿呆が、そんなことは知っている。"白"も少なくなく忘れ、"緑"に至っては大半のことを置き去りにしていた始末なのだからな』
興味が無い事は忘れていくし、思い出すのが難しくなるのは基本的に誰しもに当てはまる。
「だからこそ赤竜殿はとても稀有かと。"竜越貴人"アイトエルに、負けず劣らずと言ったところですか」
『アイトエル……ヤツのことも知っているのか、モーガニト」
「少しだけ会って話をしました。もっとも彼女はこっちのことを色々と知っていたようなのですが──」
あれから一度も再会していないし、探そうにも空間転移の魔王具を相手にしては追いすがることも不可能に近い。
『まあいい、アイトエルは気にするだけ無駄なヤツだ──それで、ヴァナディスが長寿病か』
「進行度も、発症の仕方も様々ですから。あるいは赤竜殿と会うことで、症状がいくらか緩和されるやも知れません」
『最後に会ったのは──60年ほど前になるか』
「まぁまぁ創世より生きる赤竜殿らともなると、100年ほど会わなくても時間感覚としては大したことないかも知れません。でもエルフでも60年は長いですよ。
もちろん必ずしも長寿病とは限りませんし、単に考え方が変質したという可能性もあります。いずれにしても、顔を突き合わせて話してみることが確実かと」
『……──よかろう』
赤竜はしばらく黙って考えたかと思うと、横たえていた巨体をゆっくりと持ち上げる。
『今後のことも含めて我自ら向かうとする』
「進言を聞き入れていただき感謝します」
赤竜はこちらを一瞥だけすると、一瞬にして全身が炎に包まれた。
そして竜の形をした炎だけが収束して"人型"を為し──"赤い髪をした褐色肌の女性"が立っていたのだった。
「──えっ?」
俺はあまりの状況に間の抜けた声をあげて困惑だけしていた。
なにせ赤竜はその場に鎮座したまま、"新たに出現した赤髪の女性"はマイペースに全身をほぐしている。
「あ──あ──ふむ、"人化"も久し振りだ」
やや低めでハスキーな、紛れも無い女声。やや高めの身長に、出るとこは出てている体型。
切れ長の真紅の瞳に、艶やかな口唇、竜の里でも見かけた民族衣装を身に纏い、控えめに言ってもそそる姿をしていた。
「見惚れるな、モーガニト。我は人間の色恋や情交に興味はないのだからな」
「っっ……と、いえそのそういうつもりじゃ──でなくって、ひとまず。赤竜殿なんですよね? 女性だったんですか!?」
「人化している時の名は"フラッド"と呼ぶがいい」
「了解しました、フラッドさん。……それで??」
「ああ貴様は白と黒を知っているがゆえに思い違いをしているようだが、そもそも七色竜に性差はなく、我は性に偏った人格もない」
「な……なるほど、とりあえず無理やりにでも呑み込みます」
「他の七色竜は知らぬが、少なくとも我は男にも女にもなれる。国を興した当時は、女性だったというだけだ」
「はい、……はい。もう狼狽えません、が──」
俺は諸手をあげて降参のポーズを取るように見上げると、竜の姿のままの赤竜の方と目がガッツリ合う。
『そういえば貴様は緑が"人化"する瞬間を見ているのだったな』
赤竜の顎門からの声は、先刻まで聞いていたままであり……一体全体どういうわけなのか、混乱だけが頭の中を渦巻く。
「モーガニトよ、白や緑から"分化"を聞いているか?」
今度は女性のフラッドの方に問われるように答えを示され、俺の脳は数瞬で導き出す。
「そうか……頂竜が12の竜を生んだように、赤竜殿も自らを"分化"させつつ"人化"も同時に行った……?」
『理解が』
「早い」
赤竜とフラッド、二人は同調するように言葉を繋げる。
『白と黒が二柱をもって灰色の仔として"分化"させたが、頂竜がやっていた以上は単独でもできぬなどという謂れはない』
「もっとも……我は白のように、"人化"した状態での"現象化"までは使えぬがな」
(産み出した端末に己をコピーした自律AIを乗っけて、リアルタイム相互通信もできるみたいな……すげーな"竜の秘法")
研究者というわけでもないのに、何事も科学的に考えてしまうのは悪癖でもあった。
たとえ理屈があったとしても、現時点で解明できない。しかも専門家でない俺には到底わからない。
であれば単なる空論に過ぎないばかりか雑音でしかなくなる。
しかしそれでも──魔術・魔導・魔法とは異なる系統のものであったとしても──浪漫と可能性を感じざるを得ないというものだった。
「差し出がましいですが、そのような技術をお持ちなら……黒竜討伐も手伝ってくだされば──」
『阿呆が。分身の死とは直接力の喪失へと繋がる。我が領域を空けるわけにはいかぬゆえ、わざわざ一時的に"分化"しているということを覚えておけ』
「はい、肝に銘じておきます」
俺が素直に頷くと、赤竜はその場に横たわって目を閉じ──フラッドはその場に浮遊する。
「時間を浪費しても無駄なことだ、さっさと行くぞ。火竜より遅いことはあるまいな?」
フラッドからの挑戦状とも取れるその物言いに、俺は不敵に笑って口にする。
「もし飛行で競争をしたいのであればどうぞ、敗北を覚悟していただきますよ」




