#362 赤竜 II
『──帝国は、忘れているのだ』
「忘れている……?」
『我らが交わした"盟約"とは対等であった。しかしヤツらはそれを忘れている──それだけ時間が経ったということでもあるが』
「帝国側に非がある、と」
語り出した赤竜に対し、俺は水を差さない程度に相槌を打っていく。
『そもそもの発端は、まさしくライマーであった』
俺はつい先刻まで話題にあがっていた人物の名に眉をひそめる。
『モーガニト、貴様はライマーが捕まっていた理由は聞いているか』
「えぇはい……確か皇国への秘匿任務の最中に、駆っていた火竜を失い捕まった──」
『そうだ、竜騎士は帝国が自由に使っていいものではない。まして知らされぬ特務などもっての他だ』
「あくまで契約関係、互いの合意があってこその軍事運用というわけですね」
『かつての盟約を蔑ろにするのであれば、こちらも応じる謂れは無い。まして木っ端をよこし、軍を供出しろなどと』
「なるほど……だから今までの特使は、漏れなく門前払いを喰らっていたわけですか」
『貴様も本来であればそうであったことを忘れるな』
「やはり縁は大事であり、恩は売っておくものですね」
雰囲気を感じ取りながら、俺はギリギリのラインを攻めてそう言った。
「では盟約の細かい内容についてはともかく、さしあたって赤竜殿の主張は理解しました。同時に帝国へ訴えるべきは、"立場ある者をよこし会談を設ける"ということで……?」
『ライマーがあたった特務、当時の誰が命じたのか──指揮系統が曖昧なまま判然としない。責任と咎を無視する限り、我らは一切の協力を拒絶する』
「了解しました、その旨もしっかりと調査するよう伝えます」
『──"ヴァナディス"、今も健在なのだろうな』
「"帝国宰相"ですか? 戦前の決起会でもお見掛けしましたが……」
『ヤツをよこさせろ』
「……はい、わかりました。名指しであることも、しかと聞き届けてもらいます」
帝国宰相を引っ張り出せとはとんでもない要求ではあるが、赤竜ともなればそれ以上の存在なのも確かである。
一つ、会話が終着したところで──赤竜は気まぐれるように吐き出す。
『ヴァナディスは……かつて同志であった』
「……はい? 同志、ですか?」
『ヤツが忘れているとは思いたくないものだ』
「それは盟約についてでしょうか、詳しくお尋ねしても……?」
赤竜がどこか話したがってるのを察して、俺はそう続ける。
『聞きたいか』
「昔話……いえ歴史は好きです。イシュトさんや緑竜殿にも、創世時代について聞いてます」
『よかろう、少し長くなるぞ』
「手ぶらで帰ることも無くなりましたので、時間はいくらでも」
そうして赤竜の口から語られるは、帝国建国時の話であった。
『一人が平等な世界を夢見た、一人が呼応して独立を求め──そしてもう一人が大いなる力を求めた』
「もしやその内の一人が、帝国宰相……?」
『ヴァナディス、そうだ。ヤツが最初に誰もが笑って暮らせる国を目指した。そして人族の男がそれに賛同した」
「人族……であれば、初代帝王」
俺は学んだ帝国史と照らし合わせながら、当時生きていた本人の言に耳を傾ける。
『そうだ、そして最後に実現の為の力を欲した獣人──後に"燃ゆる足跡"と呼ばれた』
「あっ……赤竜の加護を与えられたのがその人だったわけですか──」
思わぬ話の展開に、俺のテンションが熱を上げていく。
あるいは赤竜は被加護者について、俺が知りたがっていたからこそ……こうして昔話をしてくれているのかも知れない。
『炎熱を前にして倒れながらも、一人立ち上がったあやつに我は問うた。そこに"竜の居場所はあるのか"と。ヤツは力強く言い放った、"もちろんある"と』
(尋常ならざる胆力だな……だからこそ赤竜に認められるだけの器だったわけか)
"燃ゆる足跡"──赤の加護を受けし英雄譚。
『生き飽いていたわけではないが、ヒトの美しさと可能性を垣間見た我はそれに懸けることにした』
「尊い考え方だと思います」
『そして加護を与えられただけでは満足せず、ヤツはあろうことか我自身にも参加するよう持ち掛けた。自らの居場所は自らで勝ち取ってこそ、最高の価値があるなどと抜かした』
「……その言葉に、かつて神族との戦争をしていた頃を思い出させられ奮起したと?」
『黙れ、我が心の裡を好き勝手に推し測ることは許さん』
「失礼しました」
七色竜は"人化"して新たな社会に適応したとは言っても、竜種そのものは敗北者である。
生きる土地を追われた無念。それが長い年月を掛けてはたして風化していたのかどうかは、赤竜本人にしかわからない。
『四人、そう……たった四人から始めた──』
赤竜はとうとうと物語にして歴史を語るのだった。
◇
『──そうして遂に帝国の独立は成った。レーヴェンタールが王となり、ヴァナディスが支え、我は領地を……そして"燃ゆる足跡"は世界を巡った』
「"燃ゆる足跡"は、築き上げた新たな国の行く末を見ずに旅立ったのですか?」
『違うな。ヤツは仲間に託すとともに、今度は世界中に溢れる虐げられた種族へと目を向け、多くを救い、国へ集めることにしたのだ。そも"燃ゆる足跡"と呼ばれるようになったのもその後だ』
「だから私の知る限り、帝国史には彼の名前が無かったわけですね」
カリスマ性に秀で、上に立つことに慣れていたレーヴェンタールが初代帝王となった。
一方で実務能力に優れたヴァナディスが直近補佐である、後の宰相として末永く見守り続けた。
加護による炎熱を自在に操った彼が残した功績と、通ってきた道こそが……"燃ゆる足跡"となった。
「それで赤竜殿は……当時はまだ連邦もなく、不安定だった魔領の境界付近に居を構えて、睨みを利かせたわけですか」
『……モノのついでだ。まがりなりにも我も協力して作り上げた国を、苦労も知らぬ身勝手な連中に蹂躙されるなど我慢ならん』
(っははは──)
俺は声には出さず心の中で笑いながら、赤竜は本当に人が大好きなのだと実感させられた。
大義と理想を現実のものとした多種族国家たる帝国は、長き歴史の中にあっても……その本質だけは失うことなく継承し続けたのだ。
「とても実りある歴史をありがとうございました」
改まって俺は頭を下げてお礼を述べる。長命の語り手だからこそ聞ける、歴史の一面はとてつもなく有意義なものだった。
『これで一端を知っただろう、今の帝国は盟約を蔑ろにしているということも。平等にして対等、どの種にあっても公正であることが大原則であったということを』
「はい──信義に悖る行為は、きちんと弾劾されるべきでしょうね」
赤竜の言葉に大いに同意する。ライマーが不透明な任務によって不当に拘束された事実は、追及せねばなるまい。
それも俺が大監獄を解放したから露見したことであり、あるいは氷山の一角に過ぎないのかも知れないのだから……。
『大体、当代の帝王はあまりにも戦争が多すぎる』
「まぁ……"戦帝"とアダ名されるくらいですから」
戦争を手段でなくそれ自体を目的としている帝王、バルドゥル・レーヴェンタール。
はたして"折れぬ鋼の"というストッパーがいなかったらと考えると……人領の一体どこまでが帝国領になっていたか定かではない。
『ヴァナディスがアレの専横を許しているというのが解せん』
かつての建国の同志であり、初代から通して帝国のNo.2に居続ける大人物。
エルフの長命をいかんなく国家運営に捧げる、その精神性というのは──個人的にも興味が尽きない。
「もしよろしければ、直接帝都まで訪ねてみてはどうでしょう?」
それは単なる思い付きでの冗談交じりな言葉であったが、受け取った赤竜の熱が上昇するのを俺は間近で感じ取るのだった。




