#347 静謐の狩人 II
魔力を込めた金糸結界が腐食していく様子に、さしものゲイル・オーラムも驚愕を禁じえなかった。
「なッ──んと、こいつはァ……?」
それはベイリルが生成し操作する水を、ユークレイスが"超臨界"状態で維持する並列魔術。
超臨界水とは、臨界点を越えた温度と圧力を維持させることで液体と気体の両方の性質を持つ、自然には通常ありえない状態である。
超臨界状態にある水はとてつもなく強力な酸化力を生じさせ、有機物はおろか化学変化に滅法強い金すらも腐食させる。
「こりゃあなかなか……参ったねェ」
あくまで工業用として開発したもので通常の戦闘では扱いにくい魔術であり、何よりも魔力消費が格段に激しい。
この魔術を使うくらいならば、ただ単純に敵を粉砕する方がよっぽど効率的である。
しかしベイリルの持ち得る術技が通用しない、ゲイル・オーラムの金糸相手だからこそ……この魔術は限定的ながら"特攻"の意味合いを持つ。
「もったいないじゃあないか、"金"が」
『多少の出費は致し方なし!』
ゲイルが金糸を繋ぎ直す前に、あるいは繋いだ端から腐食させる。そうなれば残るのはゲイル・オーラムという五体のみ。
『ようやく立てましたよ、オーラム殿……貴方の眼前に』
ベイリルの魔導──"幻星影霊"は魔力切れなのか既に消失し、向かい合うは二人きりの男達。
「まっボクちんは金糸なんか無くっても、充分ツヨいんだけどネ」
「今さら純粋な白兵戦で遅れを取ると思いますか? この、俺が──」
そうしてベイリルとゲイルの拳が交差し、それぞれの顔面を捉える。
素手喧嘩──漢と漢の、熱き男比べが始まったのだった。
◇
──私はヤナギを連れて大の字に倒れているベイリルを見下ろす。
「無様ですね」
「あーーークッソぉ……ワンチャンあると思ったんだけどな──つーか"天眼"あってなんで普通に殴り合いで負けたかね、俺」
終わってみれば決着はおよそ五分と経っておらず。
初手から魔導を出し、全力で向かったベイリルだったが……ゲイル・オーラムの強度を前に敗北に終わった。
「"幻星影霊"の練度は足りていないし、持続力もまだまだ──」
「ベイリル、おしかった!」
ぽんっぽんっとヤナギに肩を叩かれたベイリルは、グッと勢いよく上体を起こす。
「オーラム殿、また来年……いや半年後にもう一戦どうっすか?」
「ハハッハ、茶番はもういいよォ。ダシに使われるのも、これっきりだ。勝ち負けなんて建て前よりも、こういう時は想いを優先すべきなのをベイリルはわかってるクセにねェ」
「……ですね。お手数お掛けしました」
「楽しかったから構わんヨ。クロアーネもいつの頃からか、"ゲイル様"って名前の方じゃぁ全然呼ばなくなったしネ」
「そ、それは……公私の区別をしっかりとつける為で──」
思わず私は言葉に詰まりながら、見え透いた言い訳をしてしまう。
他意があったわけではない、ただ言われてみれば確かに……どこか一線を引くようになっていた。
それは男女の距離感とも言うべきか、学園生活を送る上で──ベイリルと関わり続けて意識するようになったこと。
「別にいいんだけどサ、ただ"素直が一番"ってことだけは言っておこっか。あとはお若い二人でごゆっくり、ヤナギぃ~一緒に帰ろうかァ?」
「ゲイル、わかった。……パパ、ママ、がんばって!」
「おう、頑張るぞ~。ありがとなヤナギ」
「私は母ではありません」
ゲイル・オーラムとヤナギが去り、しばしの間お互いに沈黙するが……決して居心地の悪い静寂ではなかった。
「……まずは腹ごしらえでもしたらどうですか」
「そうだな、そうさせてもらうよ」
私は有線誘導ワイヤーで弁当を引っ張り上げて、ベイリルへと手渡す。
「いただきます」
正直なところ柄でもないくせに、毎度のように行儀よく手を合わせて一礼する。
一心不乱に味わう姿──本当に美味しそうに食べるものだと、毎度ながら感心させられるものだった。
◇
「ごちそうさまでした」
「おそまつさま」
私が弁当箱を片付けようとすると、その手が握られ──わかっていても思わず体がほんの少し強張ってしまう。
「さっそくだけど大事な話、いいか?」
「……ご自由に」
動揺を悟られないよう澄ましてそう口にするものの、強化感覚を持っているベイリルには筒抜けなのだろう。
彼は手を離さないままゆっくりと深呼吸をし、その碧眼を……真っ直ぐ私へとぶつけてくる。
「好きだ、クロアーネ。俺と"誓約"して伴侶になって欲しい。俺の為に毎朝、味噌汁を作ってくれ」
「イヤです」
「ぬ……うぐ、だが簡単には諦めない。別にクロアーネは、他に好きな人がいるわけじゃないんだろう?」
「そうですね」
「何か改善すべき点があったら精一杯努力する、だから──」
「ベイリル、貴方のことは嫌いじゃない……けれど好きでもない。それに私は貴方にとってのその他大勢になるつもりもない」
フラウ、ハルミア、キャシー。既に三人の女性に囲まれているのだから、私なんか居ても場違いのようなものである。
「確かに一人の女を愛せと言われたら、正直に言ってもう無理だ。でもクロアーネが最後の一人なのも、俺の確かな気持ちだ」
「別に、私は……私だけを愛せなどと、図々しいことを言っているわけではありません。ただ──」
(ただ……?)
口についてでた言い訳のその先、一体なんなのだろうと私は自問する。
言語化できない気持ちが渦巻いている。男を愛するという感覚がいまいちわからないのだ。
かつて獣人奴隷だった身分から救ってくれたゲイル・オーラムについては、心底から敬愛しているが……それだけ。
一方でベイリルのことを考える時間は増えたのも間違いない。
少しだけ忌々しくもあるが、新しい料理を作ればベイリルが食べたらどんな感想をくれるだろうかと考えている自分がいる。
かつては蛇蝎の如く嫌っていたというのに……軽薄だけど一貫している部分もあるこの男となら──
今では結ばれたとして、決して悪くない"家庭"を築けるのかもと思える自分の変化がわかる……。
(あぁ、そっか……そうなんだ──)
そこでようやく私は自覚する。私は男への愛情よりも……子への愛情の方が強いこと、家族に飢えているのだと。
男としてよくよく意識するよりも、ヤナギを育て保護した孤児らを教育して──そちらの方により大きな喜びを見出してしまっているのだ。
「ただ、なんなんだ? クロアーネ」
「──ただ、そうですね。貴方のことは好きじゃありません」
「それは今後も、未来永劫もか? 愛は育んでいく形もあるんだが──」
ならばどうしようか。私の人生を大きく変えたこの男に対して、私はどうしてくれようか。
「でも、ベイリルとの子供なら産んでもいい」
「……? はぃい!?」
素っ頓狂な声をあげるベイリルを見て、してやった感から私は笑みがこぼれる。
自然と口に出てしまった言葉だったものの……冗談だと誤魔化す気も、否定するつもりもなかった。
「っ──どういうこと!?」
「ヤナギたちを育てて、ハルミアを見ていて……私も子供が欲しくなっただけです。なにかいけませんか? 不服があるなら結構です」
ベイリルに主導権は渡さない。追われる立場にあるのなら、それを利用するのもまた狩りである。
「いや……すごい、それすっごいきたわ。俺もクロアーネに産んで欲しい。俺を選んでくれて光栄だ」
「まったく……」
それ以上の言葉は紡がず──ベイリルは握った私の手を引っ張って体を寄せると──唇を重ね合わせる。
「……子作りには不必要な行為では?」
「いや人生には必要なことだ、人並の幸せってやつさ」
「別に欲してませんが」
「排他じゃないんだ、何事も欲張っていくのがフリーマギエンス流──」
そう言いながらもう一度、顔を寄せ合おうとしてくるベイリルの口へと、私は人差し指を当てて止める。
「一つだけ。私は獣人で、貴方は長命種。私が死んだ後も、私たちの子孫を守ると……約束してください」
「言われるまでもないさ、俺にまつわる全てに懸けて皆を守ると誓う」
はっきりとした意思と共に見つめ合い、私とベイリルはもう一度唇を交わすのだった。




