#344 燻銀と魔神
──"アレキサンドライト図書館"・禁書庫──
絢爛豪華な叡智の集積所たる、領都唯一にして最大のアレキサンドライト図書館……その裏にある秘密の姿。
ゲアッセブルク領都において最も深き場所にあり、魔導科学の粋を凝らした場所。
特定の手順を知らねば、見つけることのできない隠し扉。強固な材質と厚みの壁によって隔絶された区画。
いくつかの段階的な生体・魔力認証が待ち構えており、無理に通らば多重魔術結界によって焼かれてしまう。
厳重に隠され守られた禁書庫には、一般には閲覧を許可すべきではない、希少価値の高い本。また魔術具として作られた、特異な性質を持った書物。
まだ公開されてない未来の特許。非常に高度で秘匿すべき情報群。あるいは決して表には出せない財団の記録などが収蔵されている。
財団員でもこの場所の存在を知る者は十数人であり、それは同時に禁書庫に立ち入ることが許されている人数である。
さらに自由に出入りが許されているのはわずかに5人のみで、他の者はいずれかの者と同伴することでしか入ることができない。
そんな数少ないフリーアクセス権を持ち、シップスクラーク財団内で実際的な最上級幹部である"読心"の魔導師。
"燻銀"ことシールフ・アルグロスは、くすんだ銀色の髪を揺らしながら"神族大隔世"した黄金色の瞳を見開く。
「あれっ、"エイル"……? 誰と来てたの?」
「いいえ私は、シールフとしか来ていませんよ」
室内にてそうあっさりと返答したのは、薄赤い長髪をくりくりと指で巻きながら本を読み耽っていた"魔神"エイル・ゴウンであった。
皇国大監獄の忘れ去られた領域にて眠っていた元皇国の司教位にして、"神器"と呼ばれる魔力容量に優れた、神族と魔族のハーフ。
「それってもしかして、帰らないままずぅ~っとココに居たってこと? もう十日振りくらいなんだけど……」
禁書庫には緊急時のシェルターといった役割はなく、ただ知識の保存という点においてのみ環境が構築されている。
太陽光は遮断され魔術具でわずかに照らされるのみ、空気も最低限の換気のみで湿気を抑制し、飲食物の持ち込みも当然禁止されている。
「もうそんなに経ちましたか、いささか没頭しすぎていたようです。もっとも私は寝食の必要のない体ですので」
自らの死体を傀儡として操る魔導師にして、現在は失伝してしまっている魔術方陣の行使手。
魔力さえあれば半永久的に動かし続けられる、不滅ではないが不老不死を体現した存在。
「にしたって、時間感覚まで消え失せすぎでしょ」
「大監獄で過ごした時間を思えば……。しかし心配させてもいけないですから、伝言は残しておくべきでしたね」
「いやまぁもうそれには及ばない、たった今もう私が知ったから。ドコにもいなかったらココだってね」
シールフは禁書庫の隅に設けられた小さい机──エイルの対面へと座って足を組む。
「……? シールフは何か資料を探しに来たのではないのですか?」
「うん、そうだけどね。別に急いてるわけじゃないし、エイルが何読んでるのかな~? ってさ」
そう言ってシールフは心の読めない相手が開いている蔵書のタイトルを、薄暗がりの中で目を細めて読み取る。
「ふんふん……魔法学体系、"ガスパール"著」
「魔法だけでなく、現代の魔術と魔導についても非常によく研究されている──なかなか興味深い本です」
「ガスパール、ね。あれじゃん、あれじゃん、ゲイルと組んでた人」
「そうなのですか? 組んでいたとは?」
「ゲイル・オーラムがまだ若い頃に、ワーム迷宮を制覇した時があったんよ」
「ははぁ~」
「"帝国の盾"オラーフ・ノイエンドルフを筆頭に、当時はまだ一介の魔術士だった現"深焉の魔導師"ガスパール、後の"悠遠の聖騎士"ファウスティナと組んで、共和国の"大商人"エルメル・アルトマーが支援したの」
「初めて聞く名前ばかりです」
「あははっ、そりゃずっと大監獄に囚われてたんじゃねぇ~え?」
エイル・ゴウンは、シールフ・アルグロスにとって──出会って短いものの、数百年を生きる年齢の近い対等な友人となっていた。
ベイリルが大監獄から解放し、是非とも力を貸してくれと打診をされたエイル。
彼女の最大の望みは、ひとえに息子ともう一度……記憶の中だけでも会うことだった。
しかしシールフは──"竜越貴人"アイトエルに続いて二人目の──自らの読心が通じない相手と出会ったのだった。
「遡って覚えるのも大変です。その点、シールフは記憶の専門家で羨ましいです」
「そんなイイことばかりでもないけど……昔は本当に苦労したんだから」
魔導と魔導、濃い魔力同士は互いに干渉し合う。
神族大隔世し、年季の入ったシールフの魔導をもってしても……神器と呼ばれ、同じ年季の入ったエイルの魔力を塗り変えることはできなかった。
仮にスライムカプセルなどで一時的にドーピングを施したとしても、自らの遺体を傀儡化させているエイルの魔導に干渉できたとして。
それはすなわちエイルの魔導が解けて、彼女が死体と変わってしまうということに他ならない。
結果としてシールフは思考を読むことができず、彼女の記憶世界にて思い出を発掘・再生させることも無理だったのだった。
しかしだからこそシールフ・アルグロスにとっては、唯一エイル・ゴウンは知ろうする必要があり、駆け引きでもって語り合える間柄となりえた。
「忘れられない、と言うのもまた難儀なものですね」
「いやぁ忘れようと思えば消せないこともないけど……自分自身を形作ってるのが記憶な以上、それって死ぬことと同義だし?」
一方でエイル・ゴウンとしては……記憶の中でしか過ぎなくとも、息子との思い出に浸ることができなかったのは非常に残念なところであった。
とはいえ他に頼れるアテもなく、救い出してくれた恩義には報いるべきであり、なによりもシップスクラーク財団に"可能性"を見出すことができた。
この新たな場所でなら、さらなる進化の階段を昇ることができる。シールフのような者と一緒ならば、お互いを高め合うことができると。
「私にとって"死"はとても身近なものでしたが」
「……なに、過去形?」
「今はとても前向きでいられてます。死んでいても、"生"を実感することができている」
エイルはパタッと本を閉じると、呼吸する必要がなくともゆっくりと息を吸い──そして吐き出した。
「かつて探究者だった頃の自分を思い出す……世界を識ることが、とても、楽しい」
「私にはそこまでの情熱はもう無いかなぁ」
「"シールフだけの目的"の為でも、ですか?」
心が読めない。それゆえに虚を突かれるなど、一体いつ振りになろうかという心地で……シールフは目を見開いてから細める。
「ベイリルめ、喋りおったか」
「シールフは"異界渡航"をしたいそうですね? 彼はその理由までは教えてくれませんでしたが」
「あーーー……うん、ちょっとね。"気になる物語"があるというかなんというか」
シールフがベイリルに協力し、財団で働く理由──同時にテクノロジーの進歩でも実現可能かどうかは未知数であり、半ば諦めている部分もある夢想。
それこそが"現代地球へと赴く"こと。
そして……転生者ベイリルの記憶に埋蔵されていた、"大量の娯楽物の展開と最終回が気になるのでこの眼で見たい"ということだった。
「そもそも別の世界がある、というのが私には俄かに信じられませんが……」
「あるよ、それは間違いない。かつて頂竜たちも新天地を目指して、この世界から飛び立ったっていう話だしね」
地球へ行って、またこちらへ帰って来られるのが、シールフが望む大前提。
その実現の為に必要な魔導科学──能力と、知識と、技術と、資産と、労力と──考えるだけで途方に暮れる。
「私で良ければ、お手伝いしますよ」
「ありがとエイル──そっかぁ、うん。私も昔は……うんうん、少しだけ気合入れっかあ!!」
読心の魔導師は数瞬で己の記憶と想いを整理し、久しく忘れていた感情を揺らしてギュッと拳を握り締めた。
果報は寝て待つのではない……財団員の誰もが未来へと歩んでいるのだから、自分だけが足踏みをしてはいられないと──




