#24 変わりゆく生活
「はぁ……なんで……」
そう毒づくような溜息を吐きながら、ゲイル・オーラム付きの小間使いであるクロアーネは物思いに耽続ける。
"あいつら"が行くのは好きにすればいい。むしろいなくなってくれれば清々するくらいだ。
「なんで、私まで……」
ゲイル・オーラムが長に立つ裏組織本部の地下トレーニングルームで一人鍛錬に励む。
「ついでだったしクロアーネの分も手続きしといたよ。青春は一度キリだし楽しんでらっしゃいな」
そんな主人の言葉を、双山刀で素振りしながら身体と一緒に頭で回す。
地面まで軸を一本通したコマのように、ブレない回転を順次上げていく。
リズミカルに反響する巻藁人形の打音が、間断なく途切れなくなるまでそれは続く。
自分にできることは、潜入や戦闘といったことだけ──己にとって最も得意なことで貢献をする。
ゲイルに護衛なんかいらない強さなのはわかっているし、どこかに間諜を命じられることもない。
それでも自分にはこれしかなかった……いつかの為に己を鍛え続けることだけ。
いつも付き従う忠犬? 常に目を見晴らせる番犬?
命令一つで獲物を狩る猟犬? 相手を殺すまで止まらない狂犬?
なんとでも呼べばいい。
犬人族であることは別段恥じていないし、どれも私らしいことだ。
自分で考えることをしない駄犬? 結構なことだ。この身命はゲイル様に捧げると誓ったのだから。
獣人種の差別激しい【エフランサ王国】で生まれ、物心つく頃には既に奴隷の首輪をつけられていた。
とある侯爵家の私設部隊として、吹けば消える命のような扱いをされ、地獄を耐え続けてきた。
100人以上は存在していた獣人の奴隷が5人まで減った頃。私は汚れ仕事を一手に担う部隊員として働き始める。
王国では獣人種や亜人種をそういったことに使うことは、特に珍しいことではない。
あらゆることをやってきた、時には同業者とも争った。
心はとっくに昔に死んでいて、ただ仕事をこなすだけだった。でもゲイル様が救ってくれた。
あの人にとっては気まぐれだったのだろう。
自分を殺しに来た挙げ句に敗北し、一匹逃げ遅れた犬っころなんて。
殺すのなんか簡単だったはずなのに、どうせなら甚振ったってよかった。
私の元の飼い主である侯爵らの情報を引き出す為に、拷問されて然るべきなのに──生かした。
金と時間と手間を掛けてまで、私の首に付けられた奴隷用の"魔術具"を解き、人らしい生活を与えてくれた。
(そう……ゲイル様が行けと言われるなら、行くだけ)
正直なところ──何年も共に過ごし経っていても、未だに何を考えているかはよくわからない主人である。
暗殺を差し向けた侯爵にも寛容だったが、最終的には何を思ってかあっさりと潰してしまった。
しかしそうなる前のしばらくの間は、新たな襲撃者を楽しみに待っていたくらいだ。
とにかく何事にも楽しみを見出そうとはしている節はあった。
それでもどれも中途半端に飽きて投げ出してしまう。
組織のボスになったのも自ら望んだものではない。だから長となった今も自ら外へ出て行動している。
そんなご主人が最近夢中になっているものがある。あの私を倒した少年、ベイリルという名の輩だ。
4週間ほど前のあの日。
二人で話してから、ゲイル様は色々と精力的に立ち回り始めた。
ゲイル様はあいつと定期的に話しては、今まで大して使ってこなかった人脈を最大限に利用している。
自分よりも年下の少年。自分よりも遥かにぬるま湯で育っていたような奴が、どうしてあんなにも……。
感情を持て余している、こんなことは初めての経験だった。
いけすかない、けれど見習うべきところも確かにあるのだ。
(もしも……──)
スタミナが切れたところで回転は徐々に止まり、その場に倒れ込む。
いつもなら思考なんてしている余裕はないのに、今は何故かこうして考えてしまう。
ゆっくりと鎌首をもたげる──
今まで私は自分の最適で役に立とうとしか考えてこなかった。ゲイル様も自由にさせてくれていた。
でも私は得意分野であった戦闘において敗北を喫した。護衛としては確実に失格モノの大失態。
ゲイル様が「従者ならそれっぽく」と用意してくれた服も、ただ着ているだけだった。
単なる身の回りの世話をしたって、ゲイル様は喜びはすまいと。
しかしもしも視野を広げていたとしたら……どうなっていたのだろう。
(もしも……私があいつらと一緒に、あの男のように何かできることを探して──)
そうすれば少しは私もゲイル様の退屈を……埋めてさしあげられただろうか。
人として生きるだけの心は持ち得たと思っている。
思考停止していただけで、今からでも次の段階へ進むべき時なのではないか。
あの少年はキッカケなのかも知れない。
主人に付き従うだけで良しとしていた、揺れぬ水面の従者生活に落ちてきた一滴の波紋。
(変化を恐れるべきではない)
あの男……ベイリルがやろうとしていることは、伝え聞く程度だが多岐に渡るようである。
元カルト教の財貨を注ぎ込んでいくつか施設を作り、集めた人材を投入して何かをやっている。
ゲイル様は何やら研究の為にその魔術を使い、自ら市場を動かす経済活動に勤しんでいる。
二人は時に農民、時に豪商、さらには連邦の都市国家長にまで話をして、幅広く活動し始めた。
私もそのどこか一端でいい、役に立てる分野が作れるんじゃないのか──
「どうも」
掛けられた一声に反射的に立ち上がり身構える。その様子を見て──ベイリルは両手をあげた。
「ごめん、覗くつもりとか脅かせるつもりとかそういうのはなかった」
「……いえ、構いません」
心の中で巡らせていただけだが、噂をすればなんとやら。
訓練室である以上、誰が入ってこようと自由だ。思考に没頭して気付かなかった自分も悪い。
山刀をしまい汗を拭くと、身なりを最低限整え出て行こうとする。
「ちょっと待った」
「……なんですか」
振り返ったところでつい邪険に睨みつけてしまう──筋合いなどないのに。
私を倒したことをわざわざ謝罪したような少年。ゲイル様と意気投合し行動する少年。
自分より年下なのにやたら大人びていて、私の存在価値を貶めた少年。
わかっているのだ……恨む理由などないのに。
第一印象は最悪でも、決して悪い人間じゃないことは。
「あーっと、その……訓練姿も綺麗ですね」
「死合なら買いますが」
ふざけた言葉にそう応えると、ベイリルは年相応の少年らしく慌てたようにかぶりを振る。
「すみません、今後のことも兼ねて少し慣れておこうかな~なんて、軽率でした」
「呼び止めておいてそれですか、用がないなら失礼します」
「いえね……せっかく"ご学友"であり"ご同業"になるのなら、もう少し仲良くなりたいなって思って」
踵を返そうとしたところで、その言葉に揺さぶられる。
もたげた鎌首を沈めきれないのは、心のどこかに否定し難い感情があるのに他ならない。
「私は望んでいません」
「でもオーラム殿は通わせると言ってましたが……」
「私は望んでいません」
「でももう手続きは済んで、住む為の準備も済んでいるとか」
「私は望んでいません」
「でも主人の意向ですし、拒絶しませんよね?」
「っ……そうですね」
渋々答えた言葉にベイリルは少年らしからぬ笑みを浮かべた。
こういうところだ、特にいけすかないのが。
「なら仲良くしましょう。遺恨はありますが、年頃も近いし知った仲は多い方がいいでしょう」
「必要最低限でよろしいかと」
「オーラム殿のお役に立ちたくはないですか?」
今度は殺意を込めて睨み付ける。
触れて欲しくない領域に土足で踏み込んで来る態度。
どのクチが言う。こいつがあれこれ立ち回っていた間にひたすら鍛錬を積んでいた。
今度こそ息の根を止める……まではせずとも、痛い目を遭わせてやる。
「申し訳ない、と先に謝っておきますが……生憎と俺はむざむざと引く気はありませんよ。そうやって先延ばしにしてきた結果の、今の微妙なクロアーネさんとの関係を変える為に来たんで」
「お望み通り、関係がより険悪になるわ」
「はぁ……そろそろ本音で語りますか、お互い慇懃無礼な上辺だけの敬語もいらない」
無意識にギチギチと、クロアーネの腕が引き絞られる。
今にも刃引きした山刀に手が伸びるというところで、構わずベイリルは話をし始める。
「俺とオーラム殿がやろうとしていることは、途方もない時間と労力が要る。"学生生活"もその一環になる」
「はっ、今さらのんびり何かを学んで役に立つって?」
「重要なのは教育と人脈作りとついでに実験、言わば才能を発見することにある──鉄は熱い内に打て、大成するなら若い内から学べ」
「それに私を付き合わせようって? 生憎とお断りよ、クソ野郎」
吐き捨てた言葉にベイリルは一瞬身震して何か呟いたかと思うと、構わず続ける。
「俺が以前に君を倒したのも、知識に基づいた魔術だ。それらは戦闘においても大きな利を得る」
「私にはッ──」
必要ない、とは続けられなかった。
実際に私に勝ったこいつを否定してしまえば……強さを否定すれば、自身への否定になる。
「如何ともし難い感情を持て余しているのは、それなりにわかっているつもりだ。なんせ俺だって何度も……そう、数えきれないほど懊悩してきたからな」
「わた……しは……」
知った風な口を叩き、憂いたような表情を見せる少年を罵るには至らず。
こちらに全く臆すこともなく同情も侮蔑もない、ただただ純粋で真摯に向き合う少年の双眸。
「力を貸してくれ、クロアーネさん。俺たち全員で未知なる未来を創っていきたい」
深く息を吸い……吐き出す。これ以上──張る意地なんてあるのだろうか。
いや元からなかった。私は空っぽな汚れ仕事しかしてこなかった犬畜生だったのだから。
(結局私も……除け者になるのが嫌だった──)
ゲイル様とベイリル、それにジェーン、ヘリオ、リーティア。
変化の中で自分だけが置いてかれるのが嫌だった。
変わり映えせず任務だけこなしていたあの頃のように。
停止したままでいることを自覚していたからこそ……。
「私なんかが……一体なんの役に立つというの」
「打算的な物言いで悪いけど、俺が期待しているのは人心操作と──"料理"かな」
「……料理?」
人心操作はわかる、汚れ仕事でそういったことはある程度は心得ているつもりだ。
任意に都合の良い情報を流したり、敵対相手を陥れたり、同業者を利用したり──しかし料理とはどういうことだ?
確かに任務中は自分達で作ることは多かったが特別上手いと思ったことはない。
「過去に色々な国で様々な食材を扱っていたって聞いた。普通は食べないようなものも、経験で調理したことがあるって?」
「まぁ……そういうのは慣れているけど」
「"俺たち"の目指す文明では、食事も大切な要素の一つだ」
「そんなことで、私が役に立てると?」
ベイリルは力強くうなずいて肯定する。
そんな瞳には揺るぎない信頼と希望の輝きが見えたような気がした。
「調理技術は後から磨けばいいだろうが、そういう感性って凄い大事だと思うからな。食えるか食えないかの判断や知識も大事だし。創意工夫の幅や発想力とかも磨かれたろう。
さらにかなり鼻が利くってのは食材を調理し味を調える上で大きな強みになる。いつかは"俺の考えている料理"なんかも、是非作って欲しいと本気で願っているよ」
「……私の山刀さばきは調理の為にあるんじゃないんだけど」
「そこをなんとか」
そう言って拝むように頭を下げるベイリルを眺めつつ、この辺が折り合いをつけるところかと思う。
ゲイル様の為に──こいつらの為に──調理するのも……想像してみたが存外悪い心地ではなかった。
「わかった、そこまで言うのであれば……仕方ありません」
「ありがとう、まぁそう言ってくれるまで引き下がるつもりはなかったけどな」
そうやって何もかも狙い通りと言った風にほくそ笑んだ年下らしからぬベイリル。
そんな男に対し、私も不敵な笑みで返してやる。
「ただし、ベイリル。貴方が私に勝ったら」
「えっ今から? ってか俺一回勝ってんだけど」
「問答無用!」
そう叫んで私は訓練用山刀を抜き放つ。新たな明日への不安と期待をない交ぜにしながら──
一撃一撃を丁寧に、一つ一つの想いを込めて──




