#323 一難去って
魔導"幻星影霊"──オトギ噺から進化させた、俺自身にして俺だけの冥王が姿を消す。
それは言うなれば外付けプログラミングが可能な自動制御の──顕現した力そのものの形。
自分が実行するには危ういことも、イメージが困難なことも……別のモノにやらせるのならばその限りではない。
幽体離脱による役割分担。有意識と無意識の視覚化にして、"天眼"の擬人化。自身と対をなす、空に浮かぶ"片割れ星"と同じとも言っていい。
俺にとっての"守護霊"にして"機械仕掛けの神"のような存在であり、万難を排して理不尽を押し徹す力である。
「……まじか」
将軍は打ち倒された。俺が間違いなくあの化物を打ち倒した。
しかしその余韻すらなく、俺は自らの碧眼に映り込んでいる事実を再確認せざるを得なかった──
腰ほどまで伸びた灰色の長髪をなびかせ、引き絞られたような筋骨を備えた肢体。
両の瞳を"薄布で目隠しをした女性"が、その左手に……首から下のない将軍の頭を持って佇んでいるのだ。
直前まで"天眼"で場を掌握していたからこそ既知ではあったが、それでも驚愕を隠すことを忘れてしまうほど。
「──"運び屋"」
俺はその名を自らに浸透させるかのように呟いた。俺は彼女を知っている。
インメル領会戦にあたっての軍議の最中、ゲイル・オーラムが連れてきた共和国の大商人エルメル・アルトマーの護衛役だった人物。
その女性を記憶の中から発掘するのはそう難しくもなかった……なんとなく、そうなんとなく個人的に印象的だったから。
そして現在──運び屋が割り込んで、死にゆく将軍の首を奪ったという単純なのか複雑なのかよくわからない状況。
俺の魔導と濃縮魔力は……将軍の凶撃から身を守り、一転攻勢でぶっぱなした"ガンマレイフィンガー"一発で底まで尽きている状態。
もはや抗うこと叶わぬのならばと、俺は諸手を上げて降参のポーズを示しつつ舌先三寸で切り抜けるしかなかった。
「敵意はありません"運び屋"さん、何故ここにいるのか聞いてもよろしいですか?」
「……」
運び屋は黙して語らず、ただジッとこちらへ顔を向けていた。
契約を結べればどんな品物であろうと運び、失敗したことがないというもっぱらの噂。
調べてもらった情報の中には──時に小国に雇われて、戦争の為の軍団輸送周りを一手に引き受けて成功させたり。
村落を一つ丸ごと、周辺に気付かせずに他国へ運んで亡命・引越しさせたという逸話もある。
また単なる輸送業だけでなく、時に交渉事にも重宝される。
彼女のやり方は"往復"すること、たったそれだけで確実に取引を成立させる。
つまりは契約に従って指定された物品を相互に送り届ける。片一方が反故にしたならば、"死"も取引内容に加わるという明快な話。
彼女にはそれほどの武力があるという証左であり、彼女を利用する者は例外なくそれが事実なのだと知っている。
(まさか将軍が蒸発する刹那に割り込んで首を奪い取るなんて……)
風聞に違わぬ実力。残りわずかな上澄み魔力だけで戦える相手では決してなかった。
しかしながら今のところ、こちらをどうこうしようと言った空気は一切感じられない。
本当にただただこちらを観察しているかと思うと──その艶やかな口唇が動く。
「……仕事」
運び屋の声は透き通るようでいて、どこか本能的に落ち着く音色であった。
なぜだか直観的に彼女は大丈夫なのだという安心感に従い、俺はもう少し突っ込んだことを聞いてみる。
「……アンブラティ結社に雇われた?」
「言えない」
「その首級をどうするつもりかは……?」
「知らない」
なにやら機械でも相手にしているような問答。無感情と言うほどではないが、欠落しているのは明らか。
俺はこのまま請け負ったことに関して、いくら尋ねようとも実りはないと判断する。
たださしあたって多少の意思疎通はできそうなので、切り口を変えて純粋な会話を試みる。
「わかりました──ところで俺のことは覚えていたりします? 以前に少しだけ顔を合わせたと思うんですが……」
こちらの問いに対して運び屋から返ってきたのは、フルフルと首を横に否定する仕草。
「覚えてない」
「あっはい、そうですか」
「けど──懐かしい」
「……んん?」
俺が首を傾げると、彼女も同じように首を傾げて互いに疑問符を浮かべ合う。
さしあたって記憶としては覚えてないが、なんとなく会った感触は覚えてもらえている──と言ったところだろうか。
「運び屋さん、俺にも貴方を雇うことはできますか?」
「手透き、なら──でも、いまは無理」
「ご多忙ですか」
「そう。あと一見も、だめ」
「一見さんはお断り、と。でもこれで俺と貴方は今度こそ顔見知りですよね?」
「……たしか、に?」
誰かの紹介が要るなら大きな借りを作る覚悟で、彼女を雇っていたエルメル・アルトマーを経由したっていい。
実務面のみならず、アンブラティ結社へと繋がる情報も含め……ここで縁を結んでおくに越したことはない。
(アンブラティ結社が彼女の顧客の中にいるのなら……そこから繋がる情報なら、この際もうなんだっていい)
仮想敵だなんだと甘い見通しではなく、アンブラティ結社はもはや放置しておくワケにはいかないだけの存在であると、認識を改めるより他はない。
(結社を白日の下に曝す糸口となりえた将軍はもう首だけじゃぁな)
思わぬ反抗に遭った以上は、全力でもって殺さざるを得なかった。
それどころか歯車が噛み合わなければ、こちらが間違いなく死んでいたほどの強度であった。
無事に窮地は脱したものの……せっかく掴んだはずの結社への手掛かりも喪失した──かと思われた。
(降って湧いたと思って逃した末に新たに現れたこの好機を逃す手はない)
事ここに至って、新たな足掛かりとなるかも知れない運び屋との邂逅。
あるいは彼女を通じて、アンブラティ結社と直接的な交渉も可能となるかもと淡い期待を抱く。
いずれにせよどんな些細なモノであっても利用しなければ、こうも世界の裏側で暗躍する存在に辿り着くことはできないだろうと。
(並行して将軍の足跡についても洗い出していかなきゃな──)
財団が拡げている情報網を利用すれば、あるいは新たに判明してくることもあるかも知れない。
優秀な人材を獲得することで、テクノロジーが発展していくことで、今まで霧の中だった事実を晴らすことだって可能となる。
俺はウェストバッグから取り出したメモに、樹脂ペンで財団のことを綴る。
「お暇ができたら、ご連絡を──ちなみにこのことは他の誰にも秘密でお願いします」
少しでも印象付けようと、破ったメモ用紙を折って紙ヒコーキにしてから運び屋へと飛ばして渡す。
彼女は受け取ったところで小さくコクリと頷くと、運び屋はバネ仕掛けのカラクリのように跳躍し、あっという間に地平線の彼方へと消えていくのを俺は見送った。
「っはァー、ふゥ~とりあえず乗り切れ──た、あ……」
踵を返そうとしたところで、俺は肉体と精神とが弛緩してフラついてしまい片膝をその場についてしまう。
(ここまで揺り返しが激しいとは──)
収監から魔力枯渇状態での獄中制圧、"黒スライムカプセル"を使った魔力の急速充填から脱獄劇。
"赤スライムカプセル"の液状摂取ドーピングによる心身の能力向上効果による反動。
なによりも魔導を全力全開で発現させての将軍との死闘こそ、負荷が過大であったと言える。
(それでも十分過ぎるほどの効果だ……研究開発してくれたサルヴァ殿らには感謝だな)
俺は"白スライムカプセル"を取り出し、頬張ってグミキャンディのように舐める。
その効果は黒色や赤色の効果を弱めて体内環境を調整するもので、副作用と反動もいくらか楽になっていく。
「落着だ」
まだ皇国領内から脱出はまったく完了していないが、巨大な山を越えたことで俺は一心地つくだけの余裕を持つのだった──




