#322 幕引き
死域にあって思い出せた最も旧い記憶は──初めて殺した時の感触だった。
しかしそれがどんな相手で、どういう理由であったかは……既に風化してしまっている。
人生の多くを戦乱と共に生きた。好むと好まざるとに関わらず、戦わなければ生き残れなかった。
とはいえ魔領においては特段珍しいことではない。
ただ……吸血種として生まれたことは、命を懸けていく上で有利であったと言えよう。
闘争の果てに魔王と呼ばれるまでに至り、四つに隔てられた魔領の西側を支配した。
落ち着いた日々などは束の間であり、戦争はより巨大なものとなって繰り返される。
他者を蹂躙し続ける内に、いつの間にかそれが歓喜へと変わっていた。
さらに歪みきっていくことを自覚したが、受け入れることにそう時間は掛からなかった。
しがらみの中で生きていくことよりも……立場に縛られて不自由を強いられるくらいならば……捨てたほうがずっと具合が良かった。
「んナ~ニを呆けているのだぁ、"将軍"」
「別に呆けてなどいない。貴様の細かすぎる指示にうんざりしていただけだ、"脚本家"」
馬車に揺られながら、隣に座る小うるさい男にうんざりしつつ将軍は会話を連ねる。
「演者に指導をするのも、我輩の仕事の内なのでね。なんせ久方ぶりの大舞台で、相当数が出演予定。失敗すれば"アンブラティ結社"の沽券に関わること、お忘れか?」
「新参の貴様がどう思おうが、結社に失うモノなどありはしない」
「ぷっはっはははは! 結社と交わって二十年弱、確かにアナタから見れば我輩とて未だに新参かも知れんなあ」
アンブラティ"創始者"の思惑はどうあれ、現在における結社の実状は単なる互助組織の域を出ることはない。
誰かが己の利益の為に目的を提起し、各々もそのどこかしらに利益を見出し協力するか、あるいは雇い雇われることもあるというだけ。
結社がどうなろうが関係ないし、結社の為に尽くすことなどもありえない。ただ、利用するだけ。
「アナタと同じくらいの古参と言えば……──"予報士"か。アナタは今回、なんと言われた?」
「貴様には関係ない」
辟易した表情を露骨に見せるも、脚本家は一顧だにせずに踏み込んでくる。
「ならばこちらから言おう! なんと──"既に何をしても結果は変わらず、好きにやって構わない"とのことだった。まったく相も変わらず具体性に欠け、要領を得ないお告げだ。
もっとも……お墨付きをもらったということでもあるから、大手振ってやらせてもらうとしよう。それで将軍、今回アナタはなんと言われた?」
ここで口をつぐめばしつこく、さらにうるさくなるだろうと将軍は答える。
「私には……"終焉と邂逅する"、などと抜かしていたな」
「終焉ぃ? それは何の終焉だ? 亜人たちのことを言っているのか?」
「知ったことではない。もし……この私に終焉をもたらすものがいるとすれば、なかなか興味深い話なのだがな」
終焉を迎えるのではなく邂逅するという言い回しである以上、何かしらの含みがあることは明白。
しかし"予報士"の言葉は話半分に聞いておく程度で十分なのは、これまでの経験から学んでいる。
「アナタの人生に幕を下ろせる輩なんぞいるのかね? あぁそうだ……7年ほど前に"壁"を創った奴ならばイケるか?」
「全知全能を懸けることが闘争なれば──尽くしてみないことにはわからん」
「寝込みを襲ったり、毒を盛ったとしてもかな?」
「当然だ。軍団を率いるのも強さであり、たとえ肉親や誓約した相手の命を握られようとも──」
少しばかり過ぎてしまった言葉に、耳聡く脚本家は食いついてくる。
「まるで実際に愛する者を喪失ったかのような物言いだ」
「遠い昔の話よ……もはや顔すらも思い出せん」
「おっと、これはこれは。長命種なんてのは、まっこと生きづらいことだ。その点、短命な人族は無能を除いて忘却などしない」
脚本家は口が減らぬし、たやすく踏み込んでもくる。しかし越えてはならぬ一線だけはどうにも守る男であった。
仮にこれ以上境界線を無視してくるようであれば、首を捻じ切ってやっても良かったのだが……実に狡猾で弁えた気質を備えている。
「もっともそんな無能を含めて、我輩は生きとし生ける者、全てを愛しているのだがね!」
「これから街をいくつも焼き滅ぼす男の台詞とは思えんな」
「長命なキミにはわからんかも知れんが……死もまた美学なのだよ、将軍」
「私からすれば、短命が生き死にを語ること自体が滑稽に映る」
「ふっはっ、人生とは時の長さだけではない。いかに自らを演出し、どれだけの人々の記憶に残し影響を与えるかが、とてもとても大事なのだよ。
無能な連中とて、このわたしが演出してやれば……その使い道のなかった命を燃やし、流星がごとく輝かせるというものだ。その美しさもわからいでか」
「理解に苦しむ限りだ」
「んまったく……我輩の舞台をいくつも観て、演じている割にこれだ──そこのエルフの女といい……主演役がこんな有様ではなあ」
そう愚痴りながら脚本家は、馬車の隅でうずくまっている女エルフへと目をやる。
「主演だと……その半死半生の部外者がか? 単なる駒ではなく」
「今回は悲劇にも焦点を当てるからな。自らが生まれた場所に災厄をもたらし、嘆き悲しむ。しかしこうも"虚ろな状態"のままでは困りものよ」
「……"亡霊"の仕業か」
「なに? なるほど興味深い、さすが古参だけあってよく知ってるな将軍」
女エルフは明らかに正気を失った様子であり、将軍はかつて同じようなものを何度か見たことがあった。
「コイツに街の一部を隠匿しているらしい結界を解かせれば手間も省けると、仲介人によこされたのだがなあ」
将軍はゆっくりと女エルフに近付き、その両瞳を覗き込むと……間違いないと確信する。
「元は"交換人"が抱えていた問題客の一人なのだと言っていた」
「……なにやら口を動かしているが」
「あぁ最初はブツブツと呟いていた……"フェナス"、それと"ベイリル"だったか──おそらく名前だろう。親か伴侶か兄弟姉妹か子供かまでは知らんがねえ」
「エルフならば孫や曾孫かそれ以上もありえる」
「はははったしかに。なんにしても今やもう、喉も精神も嗄れ果ててしまっている」
「主演が喋れぬとは脚本家、貴様の脚本も徒労に終わるか」
「甘く見るな。それならそれで、どうとでも演出できるというもの」
「それは見物だ、ほんの少しだけ貴様の生き方に興味が湧いたぞ──」
◆
さらに目まぐるしく刹那に遡行した記憶の走馬灯から、将軍は死を眼前に迎えた現実へと引き戻される。
(ベイリル──思い出したぞ。復讐者……そういうことだったか。あの時、私は、確かに邂逅していた)
予報士の言っていた意味が氷解する。
あの舞台で街を焼き滅ぼしたこと、それ自体が──今"この時"へと繋がったのだと。
「くっフハッ──カッハハハハハッハハハハァッ!! これが、終焉か!!」
映る世界が"光輝"に満たされる。歓喜が止まらない。
随分と生きてきてしまった──だから頃合と言っても良かったのかも知れない。
幕引きとしては不満が少なからず残るものの、闘争の末に討ち取られるのであれば是非もない。
戦乱を生きた。西方魔王として辣腕と暴威を振るった。
全てを捨てて、結社を利用し、なおも殺し続け──長き旅路の果てに──ようやく将軍グリゴリ・ザジリゾフは終焉へと辿り着けたのだった。




