#309 魔神 I
「いいえ、魔人と言いますと……この子の方です」
床に置いてあった頭蓋骨を手に取るエイル・ゴウンに、俺は疑問をぶつける。
「ではエイルさんは……? 魔人の眷属とか、ですか?」
七色竜が眷属を持つように、主人と奴隷間における魔術契約のように、魔人にもあるいは似たような技法があるのだろうかと。
「私は──そうですね、色々と呼ばれてきましたが……なぞらえるに"魔神"というのが一番なのかも知れません」
「魔神……?」
魔人や魔獣はいくつもの伝承にあるが、"魔神"というのは聞いたことがなかった。
神族から暴走して魔となれば、それはすなわち単なる魔族でしかない。
であれば魔神というものはひどく物騒な二つ名であると言えよう。
「私は神族と魔族の混血なのです。どこから語れば良いでしょうかね──」
「混血……」
魔神とまで呼ばれ、時の英傑に封じられるまでの経緯に……俺は相槌をしながら半長耳を傾ける。
神族は魔力の"暴走"や"枯渇"を恐れたがゆえに、他の種と交わることを禁忌としている。
もちろんそういった事情など無視をする神族も特定少数いる。
実際に"サルヴァ・イオ"が異なる価値観を抱いた結果、神領から出奔して極東で人族と家庭を築いた一人である。
またハイエルフたる"スィリクス"は神族とエルフの混血であり、エルフ種それ自体の繁殖のしにくさも相まって非常に稀有なハーフとなる。
「私は皇国で生まれ……"神器"と称されるほど魔力量に恵まれていました」
魔力は血流と共に貯留される。単純に体格に勝る者が有利とは限らず、個人差が非常に大きい。また鍛え、適応させることで容量も増やすことも可能。
エルフやヴァンパイアなどは種族的に生来恵まれた傾向にあるが、極稀に単一個人として突然変異のような魔力を操るものがいる。
そうした者を人々はかつて魔法を振るった神の器──"神器"と呼び称され、信仰の対象となるケースもあるのだった。
(俺が幼少期を過ごした"イアモン宗道団"も研究していたシロモノだな)
三代神王ディアマが使った魔法具"永劫魔剣"を復活させる為、使用者そのものをパーツにするという発想のもとに人体実験を繰り返していた教団。
"循環器"たる刀身と、"安定器"たる鍔は保有していたので、発見されていない柄の部分たる"増幅器"としての役割を使用者である人体に求めたのだ。
無限に増幅させることはできずとも、貯留し続けた大魔力さえあればディアマの神威の一部を体現できると本気で信じた。
そうして産み出されたのが何を隠そう贄の少女"プラタ"であり、彼女は不完全ながらも"神器"としての素養を持っている。
それゆえに彼女は普通の魔術が使えないばかりか、人工的に付加された人族の身に必要以上に貯留する魔力は、時に毒となり身を焼かれるようなこともあったのだった。
「私は神器であると同時に幼い頃から膨大な魔力に苛まれ、魔力の扱い方を学ぶ過程で"魔法"についても探求し始めました」
「魔法の探求、ですか」
「そうやって日々を過ごしていく内に、神族の血を引いていたこともあって私は厚遇され……一時は"司教"の地位まで頂けたのです」
司教とは神王教における複数の教会をまとめた司教区の代表者であり、その上には四人しかいない大司教と、さらに枢機卿と教皇くらいしか存在しない。
半分は神族の血とはいえ、もう半分は魔族の血が流れていながらも、そこまでの地位になれたということは彼女自身の能力の高さゆえだろう。
「司教となってしばらくして、私は一人の殿方と出会い、そして息子を産みました──」
「息子さん……」
「えぇ……それが、"この子"なのです」
そう言って頭蓋骨を撫でたエイルに、俺はあくまで平静さを装って尋ねる。
「その息子さんが……魔人になってしまったと?」
残されていた魔人の骨──それこそが息子の骨であると、エイルは首を縦に肯定した。
「私の息子は──私の忌まわしい魔力を受け取ってしまったのです」
「受け取るとはつまり、あれですか。魔力の色が酷似した者同士で起こるという──」
双子であった円卓十席の"双術士"がそうだったように、魔力の波長が同一であれば通常不可能なはずの魔力の相互供給が可能となる。
「ベイリルさんは、よくお勉強をしていらっしゃいますね。それとも今の時代では、ご存知で当たり前な論説なのでしょうか?」
「いえそんなことはありません、ただ俺は色々と"知る機会"に恵まれているもので」
遺伝的に近い息子が、母と同色の魔力を持ってしまうのは十二分にありえる確率である。
そして……赤子へと与えられた膨大な魔力によって引き起こされること、それはすなわち──
「それで息子さんは……"暴走"に陥って魔人となった」
「はい、その通りです。私は日に日に苦痛の増していく息子の為に、研究をさらに進めましたが……すべて徒労に終わりました」
「察して余りあります、エイルさん」
それは本心からの言葉であり、色々と思わされる部分も大いにあった。
「ありがとう、ベイリルさん。そしてひた隠しにしていた息子が露見し、教皇庁から正式に魔人を殺すよう私へと命じられました」
「それ、は……」
「私も司教という立場にありましたからね。自らの手で処理をするならば不問にすることを約束されました──しかしそれ自体が罠だったのです」
「……罠?」
エイルの顔に静かな怒気が満ち、ゆっくりと息子の頭蓋骨を床へと並べる。
「私を呼び寄せている間に、討伐作戦が実行されていました。承諾するはずがないと読まれていたのです。そして戻った私に残されたのは息子の亡骸だけ──」
息子の遺骨の隣で、生前の息子の姿を思い出すように眺める母エイルの姿は……数百年前の出来事であろうが、まったく無関係の俺にも激情を覚えさせるものがあった。
「"死に目"すらも奪われた憎悪と魔力が……息子にもう一度だけ会いたいという私の切なる渇望を叶えさせた」
「まさか……死者の、"蘇生"──?」
「蘇生と言うには語弊がありますね。それはもはや"魔法"の領域です、私は器こそあっても魔法使にまでは……なれなかった」
(なるほど、輪郭が見えてきた──彼女から生体反応が感じられない、その理由についても)
「不完全な私の"魔導"は蘇生させることこそ叶わずとも、動かすくらいはできました。しかしそれでも良かった、また息子と暮らせるというだけで……」
そこに人格や意思がなければ、それはお人形遊びでしかない。しかしながら息子を無惨に殺された母親の心情を思えば……。
「でも皇国は、エイルさんと息子さんが静かに暮らすことすら許さなかった──だからエイルさんは息子さんを庇い……戦ったんですね」
俺は淡々と、それまでの情報から類推した過去における未来を口にする。
「その通りです、二度も息子を奪われるわけにはいかなかった……。息子は生前と変わらぬ強度であり、私も同じくらいの使い手でしたから」
それこそが彼女が"魔神"と呼ばれた由縁。
魔人は一人ではなかった。母と息子、二人で一つの正当なる厄災であったのだ。




