#308 監獄の中心
「──キタ。きたぞ、来た」
バッと寝ていた状態から飛び起きた俺はゆっくりと両腕を広げて、久し振りの感覚に打ち震える。
「旦那ぁ、どうしやした?」
「魔力が戻ってきた。すぐに通達してくれストール、脱獄の刻は近いとな」
俺は魔力が奪われていく前に、すぐに"魔力|遠心加速分離"で漏出を防いで自身の内に押し留める。
それは潜入時に予備階で調べていた時や、収監前の魔力簒奪期間でも実験済みで計算ずくでのこと。
俺だけのこの魔力操法が通用するからこそ、今回の脱獄計画は十分な勝算でもって形を成したのである。
(まぁ失敗しても代替予備計画があるし、さほどの憂いはない)
つまりはワーム迷宮のショートカット攻略の肝であった"大型穿孔錐"の改良最新型を使用する策。
地属魔術士のリーティアと重力魔術士のフラウがいれば、地下を掘り進んで結界を破壊する力業も難しくはない。
ただし二人とも今回の行程を踏むにあたって役割がそれぞれあるので、俺が脱獄失敗して連絡が途絶した場合に限る。
「遂にきやしたか、オレっちもちょいとばっかし緊張してきましたよっと」
「お前は俺の見込んだ男だし、役に立ってくれた分は報いるから案ずるな」
一度0まで奪われてしまった魔力から、さらに継続的に奪われ続ける状況で、新たに捻出することは不可能である。
そんな状況で俺が魔力を取り戻したのには……"とあるカラクリ"があった。
(よーしよしよしヨシヨシ──)
それこそシップスクラーク財団の最先端"魔導科学"。
──"スライム"と呼ばれる物質が、サルヴァという一人の賢者によって開発された。
極限環境生物トロルに由来した物質であり、さらなる研究と実験を重ね経て、様々な応用を実現させるに至る。
最初こそ液状だったそれは……丸い球状の"スライムカプセル"として──固形化させたまま保存し──持ち歩くことができるようになったのだ。
スライムにはそれぞれ"色"によって効果が分けられていて、"黒色"は気化させて使用することで周囲の魔力を肺から血中の流れへと強制的に溶け込ませるモノ。
しかし常に魔力が奪われ枯渇したような状態である監獄内では、効果が見込めない上に持ち込むことも難しい。
そこでサルヴァに個別依頼して特別に、元の"自分の魔力"を血液ごと混合・精製し、液状のまま皮膜を形成させることで、約10日前後を目安に胃腸の中で溶解するように調節したのだった。
そして今──体内に仕込んでおいた"黒スライムカプセル"が溶け出し、封入されていた魔力が俺自身にどんどん急速充填されていっている。
スライム抽出の為に生成・提供させられ続けるトロルと、ロスタンをはじめとする人体治験に協力し続けた者達に感謝しよう……俺自身も含めて。
あとは"魔力遠心加速分離"でもって漏出魔力を最小限に、体内に貯留し続けることができる。
「さて……それじゃ早速──」
俺は"天眼"の状態に身を置きながら、改めて把握・確認の為に全方位に対して"反響定位"を試みる。
そうして視えた欠片が、下調べで構築した俺の脳内三次元パースに埋まっていき……ようやく完璧に組み上げられたのだった。
「俺がもう一度ココに戻ったら"大脱走"作戦、実行だ」
◇
──俺は右手の人差し指からスパイラルに渦巻く"風螺旋槍"でもって、地中をガリガリと掘り抜いていく。
目指すは大要塞の空白部分、大監獄の最下層にして大結界の中心──かつて英傑が"魔人"を封じたと思われる空間。
(魔人か──見たことはないが、でも人間大の死体だと利用部位は限られそうだ)
巨大な魔獣メキリヴナのように生体素材として利用するには少なく、あるいは何一つの実入りがないことも想定しておく。
穿孔が途中で止まったところで、結界を含んだ強固な壁に阻まれたのだと俺は実感を得る。
魔鋼板作りによって覆われた約5メートル四方の立方体の壁、結果ごとぶち抜くには本気で掛からねばならない。
「我が一太刀は気に先んじて空疾駆り、無想の内にて意を引鉄とす。天圏に捉えればすべからく冥府へ断ち送るべし──」
俺の掌中に形成されるは"音圧超振動"を纏った"風鋸"仕様の"太刀風"。
生成した水素を内包させ、通常の"風太刀"の半分ほどの長さを構えた俺は……スッと切先を壁へと定めた。
「空華夢想流・合戦礼法が秘奥義──"烈迅鎖渾非想剣"」
突き刺さり──爆燃する。次に俺は掘り抜いてきた穴が衝撃によって埋没するよりも一瞬早く、ぶち抜いた穴へと飛び込んだ。
「──っと、おぉ……人と骨?」
内側へと着地すると──"人骨と寄り添う死体"、それ以外には何もない殺風景な部屋であった。
一応は身構えてはいたものの、さすがに数百年と密閉されていては生きているモノは当然いない。
俺は"六重風皮膜"で空気供給しつつ歩を進めて、"物体"の前で立ち止まると……その死体は妙齢の女性であった。
「凄いな……まだ生きているかのような美しさだ──」
いつかどこかの映像で見た、異様なほどの保存の良いミイラを思い出したが……それ以上のモノ。
薄赤い長髪と、ナイアブが渾身で創り上げた彫刻に、生命をそのまま吹き込んだかのような顔立ち。
しかしながら謎も残る。死体と人骨、どちらが魔人なのか……そもそもなぜ二人分あるのか。
「ありがとう」
「ッッ──!?」
唐突に見開かれた白みを帯びた瞳がこちらを向き、発せられた言葉に俺は反射的に飛び退いていた。
「あら、驚かせてごめんなさいね。人と話すのなんて久し振りで……」
(生きてい……る? いや、心音は聞こえない──!?)
ゆっくりと立ち上がるその姿には体温も感じられないし、息遣いもない。
女王屍が率いていた、屍体軍団が脳裏をよぎる。
「私の名前は、エイル──"エイル・ゴウン"。貴方のお名前を聞かせていただけるかしら?」
喋る時にのみ呼吸をする様子……それは生命活動の為ではなく、声を発する為だけのもの。
俺は依然として困惑しながらも、話しかけてくる以上は理性ある人間なのだと判断する。
「っ……と、ご丁寧にどうも。自分はベイリルと申します」
思わず本名で名乗ってしまったが、そんなことをいちいち気にする余裕はなかった。
「はじめましてベイリルさん。こんな場所では、せっかくのお客様をもてなせないのが本当に残念なことです」
「い、いえ……そのですね、ゴウン殿は──」
「エイル、でいいですよ。仰々しい言い回しも必要ありませんから」
ニッコリと他意のない笑み──に見えるが、心音も体温も測れないし声色でも嘘か真かなど判断できない。
「了解しました、エイル……さん」
「はい、なんでしょうベイリルさん」
「細かく挙げればキリがないんですけど、エイルさんは何者なんでしょう?」
とりあえずは距離は維持したまま、そう問い掛けるしかなかった。
「そうですねぇ、私のことを語る前に一つだけよろしいでしょうか」
「えぇはい、なんなりと」
「今は何年ですか?」
「フーラー歴1818年です」
異世界歴は当代神王によって呼び方が変わる。それぞれケイルヴ歴・グラーフ歴・ディアマ歴、そして現在はフーラー歴である。
歴はそのまま在位年数を現し、フーラーに代替わりしてからおよそ1800年も経過し、同時に文明もさほどの進歩をしていないことになる。
「ははぁ~~~……なるほど、ありがとうございます。私がここに閉じ込められて、もうそんなに経っているとは」
「ということは、やはりエイルさんが……英傑に閉じ込められたという魔人?」
死んでいるのに生きている──それはいつまでも驚いているほどのことではない。
それこそ寄生虫による屍人を相手にしたし、最後の魔王具である指環は死者の蘇生──命を与えられるとも聞く。
「いいえ、魔人と言いますと……この子の方です」
そう言うとエイルはしゃがみ込んで、床にある人間の頭蓋骨を柔らかい仕草で手に取るのだった。




