#294 煽動屋 I
魔力のない地下世界──そこへ落とされた囚人は、地上とは物理法則が違うのではと思えるほどの変化を感じるだろう。
動いていたはずの体はてんで動かず、脳は鈍くなり、乖離の果ては錯覚まで起こす。
たやすく怪我をし治りも遅く、ひどく閉ざされた五感で味わう地下世界はさらに狭くなるような心地に違いない。
(だが他の者にとっての向かい風が、俺にとっては追い風になる)
地球から異世界へと転生してきた俺にとっては、それは元々の日常であった。
またワーム迷宮の階層の一つでは魔力を奪われ、ほぼ似たようなシチュエーションを体験したこともある。
(とはいえ魔力ありきで18年も過ごしていれば……多少なりと肉体と感覚の齟齬は否めないな)
生体自己制御やエルフ種由来の魔力操法による優位性はあるものの……やはり完璧とはいかない。
鍛え上げた筋密度と代謝は普通の人間よりはずっと強靭であり、ハーフエルフ種としては少なくとも別格の肉体だ。
しかしそれでも生来の筋力を持つ鬼人やドワーフや一部獣人種、またエルフの近似種であるヴァンパイアや一部魔族に劣ることは間違いない。
(俺だけの研ぎ澄ました感覚と、積み重ねた技術と経験でカバーする──)
右手をグッパッと握っては開くを繰り返す。魔力による身体強化の振り幅が大きいだけ、慣れるまでは今少しばかり時間が要る。
とはいえ今一度、魔力というものに向き合うには……これ以上ない環境と言えるのかも知れない。
「よーよー、兄ちゃん。孤高を気取るつもりかい」
すると俺の隣でいきなり声を掛けてきたのは坊主頭の男──腰を低く見せた様子だが、声色はそうでもなかった。
「別にそんなつもりはないが、お前は誰だ?」
「よくぞ聞いてくれた! アンタぁ……"素入りの銅貨"って知ってるかい?」
「……あぁ──伝説的軽犯罪者だな」
「そっそっ、あれはオレっちのこと」
抜け抜けとのたまう男を前に、俺は至って冷静に見つめ続ける。
"素入りの銅貨"は市井ではその実像が判然としていない。
獄内であれば確かに名乗ることで箔を付けるには悪くないだろう。
しかし当のご本人──"カプラン"のことを知っている俺には通じる名前ではなかった。
「なるほどなるほど、嘘吐きの舌は引っこ抜かなきゃな──」
「おっほーーー! なにそのやったら怖い文化。ちゅーかなんで嘘だって?」
「俺のよく知る盟友だからだ」
「ほんとうかい? そいつぁ悪手だったなあ」
特に悪びれた様子もなく頭をポリポリと掻く男に、俺は毒気を抜かれる気分になる。
「いや~~~ねぇ、オレっちも普段は新入りに声なんざ滅多に掛けやしないんだけど。しかも派手で劇的な登場をした新人なんて、荷が勝ちすぎるってもんだ」
「じゃぁ何故わざわざ俺に声を掛けた?」
「そりゃあもう……人を見る目だけはあるかんね、オリャぁさ。あんたは他と違う、明確に意志を秘めた瞳をしてるって」
(こんなのに見透かされるほど耄碌した覚えはないんだが……)
あるいは本当に慧眼をこの男は備えているのだろうか。それとも単なる当てこすりのセールストークか。
「で、お前は何者なんだ」
「歯牙ある"煽り屋"ストールさまよ」
「煽り……屋、自分で名乗るのか」
「もちろんさぁ! 人は乗せてナンボ、乗せられてナンボ。あんたにも乗ってもらいたいね、オレっちの口車によ。えーっと……」
「──グルシアだ、年は148を数えるハーフエルフ」
俺はとりあえず大幅に上方向のサバを読む。
「なァるほど、結構いってんのねグルシアの旦那。んよろしくゥ!」
差し出された右手に、俺は微笑を浮かべて握り返す。握手を通じた体温や手汗、瞳や表情筋や声色からもそれが真実だと判断する。
(こいつが"煽動屋"か──)
潜入した時に目ぼしい囚人の情報は頭に入れていた。そして物珍しかったので覚えがあった。
なんでも巷において、主義・主張や思想を代弁し、一般大衆を引き付ける謎の活動家。
ただし本人には特に傾倒したものはなく、その時々でまったく違う形の騒乱を引き起こしてきたのだとか。
ケイルヴ教に反する煽動を行ってきた為に、ついには捕まって投獄された経緯と記憶している。
「オリャぁこの口先で、色んな集団と渡りをつけてる。でもグルシアの旦那ぁ……あんたは、どこかに属したいって感じじゃあねえと見た」
「本当に見る目はあるようだな、気に入った」
「へへっ、そいつぁどうも。美味い話があったら噛ませてもらうかも? 他にも欲しいものがあったら、多少は都合つけられるぜ」
「そうか、それじゃ早速だが役に立ってもらおう。現在の獄内の状況が知りたい」
「ほっほぉ~お求めはソッチかい、まっいいさ。新入りだし、見返りなしで少しだけ教えてやっぜ」
無法の法──それは"断絶壁"内を取り仕切っていた三組織と同じであり、監獄内も例に漏れず共通した部分が多い。
新入りを順番待ちしていたのもまさしくであり、知的生命が寄り集まれば相当の社会が形成されるのは常である。
(資料からじゃ内部のことはわからんからな……)
管理側も一般囚人獄に関しては、最低限の干渉だけでノータッチが基本。
昇降装置を用いて食事を配給し、排泄物を定期的に回収、また死体が置いてあればそれを片付ける程度である。
内部のことは内部で処理させる。存在するだけで結界の糧となるのだから、一定数を生かしてさえおけば問題ないのだった。
「細かく見ればキリないんだがな、大きく見ると概ね6つの勢力があるんだぜ」
「なるほど、最大勢力は?」
「そりゃなんと言っても中央の高台を基準にした時に、北側を縄張りにしている"獣人"群団だな」
「身体能力の差、か」
「もちろんそれもあるけど、獣人は数も多いかんね。徒党を組む習性もあるし、地上とは力関係が逆転してんのがぁコレ、なかなかおもろいトコ!」
皇国でのヒエラルキー最下層は魔族ではあるが、その次にくるのが獣人種である。
王国に至っては他を圧倒して弾圧されていて、魔力なき原始世界ならではの種族優勢なのだと言えよう。
「次が東側を占有している"人族"陣営。単純に数が一番多いし、獣人種にも負けない強度を持つ奴もちらほらいやがる」
「ストールは人族なのだろう、なんで属していない?」
「連中に限らねえけど、み~んな色々と諦めちゃっててよ。ぬるま湯はオレにゃぁ堪えられんね。綱渡りしてる方がマシってなもんさ」
"煽動屋"ストール──どうやら彼なりの矜持めいたものはあるようで……。
あるいは過去に彼が煽動した事件も、何かしらの信念に基づいて行ってきたのかもと俺は心の片隅で考えるのだった。




