#289 配布
皇都──"イオマ皇国"領土のおよそ中心に存在する首都であり、神王教ケイルヴ派の総本山にして教皇庁のお膝元。
原則として首都防衛の要の聖騎士長が常在していて、他にも教皇庁直下の軍団も控えている。
皇都は巡礼における出発点にして終着点であり、"黄昏の都市"よりも巡礼者数は多くなる。
(流動が激しいからこそ、おあつらえ向きだ)
俺は山のように積まれた木箱から、手の平サイズの小箱をいくつも並べては道行く人々へと渡す、渡す、渡す。
その正体は"オルゴール"。頭の上にバランスよく保った俺は、大道芸のように鳴らしながら接客していくのだった。
『さぁ寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、聞いてらっしゃい! 是非とも土産に、お代はいらずに持ってけどうぞ!!』
俺は音圧を強く街中に響かせて集客しては、実際にどうやって使うか──ゼンマイを巻き実践して聞かせる。
そうして親しみやすく手渡していったり、勝手に持っていってもらうの繰り返し。
「──おっとぉそこの人! 貴方さっき持ってったよね? 一人でいくつも貰うのはナシだよ!」
俺は時間を置いて現れ、新たに持ち出そうとしていた男へと目耳聡く注意する。
男は慌てた様子で持っていたのを戻すと、そそくさと足早に去っていった。
(あるいは売り飛ばす人間もいるだろうが……)
それならそれで構わない。元々布教用としてコツコツと製造していたモノを、今回初めて大々的に利用するだけ。
人から人へ、その手を渡っていくという最も重要な部分に変わりはない。
(そうして"来たる日"までに、人々は何度も何度も聞くだろう)
人から人へと……この珍しいゼンマイ式のオルゴールから奏でられる旋律が、皇国中を循環する血液のように流れていく。
しかしそのままでは単なる娯楽品として終わってしまい、わざわざ安くない費用を割いてまですることではない。
そこはそれ、オルゴールにはさらなる機巧があり──何度もネジを巻くことで二重底の蓋が外れるようになっている。
すると布教専用として特別編纂されたフリーマギエンス"小星典"が、中から出てくるという仕組みなのだった。
それは通常の"フリーマギエンス星典"と違って、より興味が惹かれるよう誘導し、未知を刺激するよう偏って構成された内容。
紙の増産体制の確立と活版印刷おかげで、神王教における教義を説いた"神聖書"とは、品質のみならず生産数も桁違いに配布することが可能となった。
世界的に識字率は低いものの、皇国は宗教が発達しているおかげで読み書きは他の国よりも高い水準にある。
さらに星典は元々教科書としての機能をもたせてあるので、浸透は遅々としても確実に進んでいくだろう。
(知りたくなる、知ろうとする……それが一番大事)
このオルゴールと小星典は言うなればキッカケである。
本命はその未来にこそあり、無償配布しているのはまだ布石を置いている段階。
(文化圏拡張が主目的ではない、まずは文化を知ってもらうことから始める必要がある──)
同時にオルゴールそれ自体の機械的技術もまた、知識ある職人の手によって分解され構造を知られるだろう。
それも狙いの一つであり、技術的向上のみならず技術者がフリーマギエンスを知って、シップスクラーク財団の門戸を叩くことにも繋がっていく。
オルゴールはどんどん掃けていき、遂には見本で響かせていた頭の上の一個が丁度よく、何度目かのメロディーを止めた。
『はぁい、ありがとう!! 貰った人は是非ともいろんな人たちと聞いてってね!!』
俺は首を曲げて落ちてきたオルゴールをキャッチすると、パタンと閉じてポケットへとしまう。
続けて看板や木箱の撤収作業をしていると、唐突に声を掛けられた。
「あのぉ……なんか噂になってたんだけど、もう売り切れぇ?」
すると"番傘"を片手に、黒い翼を背から生やした鳥人族の女の子──童顔だが、俺と同じくらいの年齢だろうか。
濃い茶髪のツインテールを揺らし、くりくりとした両瞳を端正な顔立ちと共に向けてきていた。
「あぁっと申し訳ない、残る一個もあるんだけど見本品でね」
最後の一個はシップスクラーク財団支部に置いて、定期演奏させておく用である。それほどまでに惜しみなく大放出してしまった。
「今しばらく入荷の予定はないけど、またいつか配布する予定だからさ」
「そっか、残念だなぁ」
意気消沈する女の子──普段ならばいちいち気に留めることでもないが、なぜだか俺は無下にすることもできず尋ねてしまう。
いつかどこかで見たことがあるような、そんな直感的な既視が俺の脳髄を走った気がしたからであった。
「俺はグルシアって言うんだけど、君の名は?」
「ん、"スミレ"だけどなに?」
「スミレちゃん──もしかして名前からすると君って"極東"の出身……?」
どこか極東風の名残ある出で立ちと番傘、さらに名前から類推して……俺はさらに彼女へと突っ込んでいく。
鳥人族であれば海魔獣がいる海ではなく、空を渡って極東から大陸へ来ることも十分考えられた。
もしも苦労してはるばる皇国へやって来たというのなら、そのまま帰してしまうのは忍びないと思った次第。
「ちがうよ。でもお父さんが元々極東人だから名付けられたんだと思う。わたしは生まれも育ちも連邦人」
「連邦か、ならいつかは明言できないけど……いずれ君の手にも渡ると思うよ」
彼女も神王教徒として巡礼の途中なのだろうか。
なんにしても皇国は手始めに過ぎず、次は必ずしもオルゴールとも限らないが、何かしらの文化的侵略は大陸全土が対象である。
「どれくらい待てばいい?」
「明言はできないかな……ただどうしても聞きたいなら、シップスクラーク財団の支部があるからさ。そこで存分に聞いてもらっても──」
「シップスクラーク財団……?」
「あぁ、まだそんなに名は知れてないかもだけど──」
俺が言葉を続けるよりも早く、スミレは首を横に振って考える素振りを見せた。
「ううん、わたしソレ聞いたことある──」
「おっ、財団も割と有名になってきたのかな?」
思ったよりも巷に浸透しているのであれば、コツコツと積み上げてきた甲斐もあるというものだった。
「そう……そうだよ、シップスクラーク財団──"悪の秘密結社"!!」
叫んだスミレの手にいつの間にか握られていた刃が、俺の首元へと添えられていたのだった。




