#282 神族 III
(時を遡るとは、またトチ狂った話になってきたな──しかも全然、現実的でもないし)
魔法は全能の法なのだろうが、それにしたって限界というものがあるのは"竜越貴人"アイトエルや"七色竜"から聞いていて明らかだった。
確かに天災を操ったり、空間から空間を跳躍したり、あるいは世界を崩壊させたり──命を与えることさえもできるという。
(しかしタイムトラベルは無理だろうな。未来には行けるだろうが、過去となると……因果の逆転だ)
生命を与える──イシュトさんは死卵となっていたアッシュを蘇らせようとしていたらしいが、実際のところはどうなのだろうか。
眉唾な部分が大きいが……化学的に考えれば、死者の蘇生はまだ可能だと言える。
人体はどこまで言っても化学反応の集合体であり、記憶と人格は脳内に張り巡らされたネットワークにおける電気信号によってやり取りされているに過ぎない。
真に"神の領域"と言って差し支えないことではあるものの──仮にまったく同じ配列を創り出せたなら……それは死ぬ前の人間とまったく同じであるということになる。
しかして同一空間座標における時間遡行ともなると、夢想の領域へと踏み込んでしまう。
「魔力を集める。人族から、魔族から、魔物からも……集めるには、やはり世界を支配する必要がある。そう、そうなると……一番近いのは変革派になるのか?」
「ところで、もう一つよろしいですか?」
「まずは神族が同体とならねば。神王フーラー動くか……? 否、絶対に動くまい。まて、フーラー……? あれは、今──」
「オルロク殿」
「だまれ!! さっきっから何なんだ! 軽々しくクチを聞くな!!」
片腕で虚空を振り払いながら、オルロクは半狂乱となって叫ぶ。
(本格的にヤバそうだな、仕方ない──)
俺はベルトバッグの小瓶から新たなスライムカプセルを取り出そうとしたところで、興奮状態から一転してオルロクは疑問符を浮かべる。
「そもそもキサマは……一体、誰だ?」
「グルシアですって」
「グルシアぁ? 派閥は、派閥はどこだ!」
「思想は秩序寄りで気性は武闘派、白竜を慕いし自由な魔導科学信奉者のハーフエルフです」
「ああ? あぁ、ハーフエルフ……なぜ神族でもない半人がこんなところにいるのだ──」
「つべこべ、言わずにこれをどうぞ」
右往左往する話題はさて置いて、俺は手の中に持った"白スライムカプセル"をオルロクの目の前へ持っていく。
無理やりにでも口内に含ませてもよかったのだが、とりあえず穏便に差し出してみせる。
「どうぞ、幾分か落ち着いて楽になりますよ」
「断る!」
「それは残念だなぁ、とっても美味しいのに」
もはや俺は子供をあやすようにスライムカプセルを指でピンッと弾いて空中に放ると、パクリと自分の口でキャッチしてからコロコロと舌で転がす。
そんな様子を見つめるオルロクに、白スライムカプセルをもう一粒だけ取り出してやった。
「ほら、もう一個あるのでどうぞ」
「ふっ……かははッ!! 卑しいやつ……め」
俺が怪訝に眉をひそめたところで、オルロクは勢いよく俺の顔面めがけて拳を突き出す──
「独り占めなど! 許されざる行い!!」
──と見せかけてベルトバッグへと伸ばされたオルロクの腕を、俺はガシッとあっさり掴んで止める。
「甘い、それはもうスイーツのよう──おっ……!?」
掴んでいた腕を強引な膂力でもって、こちらが身をよじるよりも速く、オルロクは小瓶を握りこんでいた。
ハーフエルフの身なれど積み上げた身体能力と魔力強化には自信があっただけに、いささかショックを隠しきれない。
とはいえ力加減ができずに勢いが余ったのか、掠め取るより先にベルトバッグ内で小瓶の割れる音がバリンッと響いたところで、俺はくるりと回転して距離を取る。
「あーったく、やってくれたなぁ……って──」
「もらったぞ!!」
叫んだオルロクは"黒スライムカプセル"を指先でつまみ取っていて、俺が止める間もなく口内へと放り込む。
「"黒"はそのまま飲み込んでも無意味ですよ」
「アッハハ、ハハハッハハハハハハアアア!!」
「聞いちゃいねぇし……」
俺は心底からの疲労感を溜息と一緒に吐き出しつつ、バッグの中に散乱したスライムカプセルを布で包んでいく。
さしあたって"紫"以外の色であれば、多少の副作用はあっても直接の害になることはない。とりあえずこれで満足してくれたのなら、もうそれで良かった。
「ふぅーーーう、まっこれはこれで貴重な治験データにはなったか。"赤"は長寿病に対しては……──」
ゾワリと総毛立つような感覚に襲われ、俺は"風皮膜"ごしに全感覚を集中させて"天眼"を発動させる。
「ギヒッ……ケヒヒ、カハッッハッハハヘヘヘヘエアアアアハハハッッ!!」
ぐじゅぐじゅと細胞が変質するように、オルロクの肉体が無軌道に形が崩れていく。
それは"変身の魔導"ではない。魔導のそれとはまったく違った魔力圧。
そしてそれはわずかにだか、既視感を覚えさせるものだった。
「まさか、魔力の──"暴走"!?」
それは黒竜のそれに似ているようで違うもの。
しかしてそれ以外に考えられない、直観めいたものが俺に告げていた。
反射的に天候遮断の結界内からも飛び退いた俺は、暴風雨の中に身を置きながら驚愕と並列して冷静に分析する。
(黒は通常の直接摂取では何の効力もないし、俺もロスタンもサルヴァ殿も……他にも多くがスライムカプセルを試している──)
副作用があったとしてもこのような事例はありえないし、それほど危険なものならば実用化以前にストップが掛かる。
黒スライムカプセルが問題だったのだろうか。赤スライムカプセルにも過剰な反応を示していたし、何が原因となってるかわかりかねる。
(いや待てよ……サルヴァ殿は変異魔族になる以前、トロル細胞を利用することで自ら定向進化を促した──あるいはそれなのか?)
あくまで仮説の一つとして、種族的にあらゆる人型の祖先となる神族にのみ起こりえる副作用とでも言うのか。
しかしながら科学者でもない俺がいくら考えたところで……ましてや比較実験とデータ集積もなしに答えが出ようはずがない。
その間もオルロクは変異し続け、魔族すらも通り越し、もはや人型もそこそこの魔物へと成り果てていた。
『ルルルォオアアアアアア──ッッ!!』
変異オルロクは暴風圏の音すらも貫通してくるほどの咆哮をあげる。
「遁走る選択肢は……無いわな」
放置して離脱するのは難しくないが、このまま"黄昏の都市"にでも襲来でもされたら大問題である。
俺が戦うとを心に決めたその瞬間──変異オルロクの、速く、鋭く、重い、まともに喰らえば命も危うい異形の腕が、俺へと伸びてきていた。
「真気──」
思考するよりも疾く、腰元から居合い抜かれた"無量空月"。
「発勝」
刹那に振り抜いた"太刀風"──存在しない鞘へと納刀した瞬間──オルロクの肉体が三つに分割されていた。
腕ごと心臓部を含んだ胴体を一刀斬断されたオルロクの死体は、そのまま地面へと倒れ伏す。
同時に生体反応が魔術契約か何かの条件だったのだろうか、オルロクの周囲を取り巻いていた結界が消え失せて、亡骸もろとも一気に暴風雨に曝される。
「手加減できなかったな、残念だが……」
俺は憐れみながら、その最期を見つめる。
財団が往く覇道に、とかく犠牲は付き物ではあるが──発端は俺が赤スライムを吸わせたことだっただけに、なんとなくバツが悪い。
(とはいえ"黄昏の姫巫女"のことを考えれば、どうやらロクな派閥じゃないっぽいし……別に気に病むこともないか)
どのみちフラーナへの追求を回避する為に、最悪の場合に殺害するのは予定通りであり、少しばかりイレギュラーに見舞われたに過ぎない。
ただし、その名だけは個人的に覚えておこうと思う……オルロクという名の神族がいたということを。
また──結果として稀有な実験データを提供してくれたこと。そしてこの後も"魔導科学"の大いなる糧となってくれることにも感謝する。
「無駄にはすまいて。未来の礎の一つとして、シップスクラーク財団の歴史に刻もう」
俺は魔術によって"液体窒素"を作り出し、周囲の風雨もろとも急速冷凍によって状態を保全した上で、ローブで丁寧に上半身をくるんだ。
この遺体はスライムカプセル使用者の特異被検体として、また神族と、"魔力暴走"における学術研究の為に使わせてもらう。
残る下半身と腕はさすがに運搬にも困るし、放置しておくわけにもいかないので、山道から大きくはずれた場所に埋めて供養することにする。
「──埋葬、ヨシッと……。これで俺も晴れて"神族殺し"が追加か」
発見され掘り起こされぬよう、深く深く埋め立て終えたところで俺は一人ごちてから、一息に嵐の領域を飛び越える。
(神族──黄昏──ハイロード──神王──)
不明瞭な部分も多いものの、さしあたってオルロクが死んだことで時間はかなり稼げたことだろう。
今後の作戦展開において、憂慮すべき事態が一つ消したことは予定通りともいえる。
まだ体に残る倦怠感を自覚しつつ、俺は持久・効率強化鍛錬と割り切って、思考を回しながら飛び続ける。
遺体を預けたらすぐ、次なる目的地は"大要塞"。
皇国最北端の"黄昏の都市"とは真逆に、最南端で魔領と接している城塞都市への期待を俺は増幅させるのだった。
第五部1章はここまで、次は2章です。
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