#275 黄昏の姫巫女 I
俺はとりあえず窓を開けてやり、見知らぬ女性を廊下へと招き入れる。
「お手間を取らせまして、ありがとうございます」
ここは四階建ての最上層なのだが、わざわざ魔術で飛んできたのだろうかと心中でボーっと考える。
(屋外とはいえ、俺がここまで不用意に接近を許すとは……相当削られてんな。敵地だったら死活問題だ)
"天眼"を長く保つ鍛錬こそ怠らなかったが、ここまで連続使用することなどなかった。
今後はインターバルを考えながら、精度を含めた上で検証していくことにしようと……。
「私の名前はグルシア。権勢投資会はカラフの命によって派遣された調査官です」
「えぇはい、申し遅れました。わたしは黄昏の姫巫女──"フラーナ"です、調査おつかれさまです」
金色のサークレットに、上品な絹製の服。美しく丁寧な立ち居振る舞いからして、予想通りであった。
まだ俺はぼんやりとした脳ミソのまま、膝をついて恭しく頭を垂れる。
「あらあらまあまあ、頭をお上げください。公式の場ではないのですから、気負う必要はありませんので」
「ありがとうございます」
「なんなら言葉遣いも砕けていいですよ?」
「そうですか、では些少ながら失礼して──」
俺は立ち上がってから目の前の女性を改めて観察する。
肩ほどまで伸びた色味の濃い鳶色の髪に、黄金色のくりくりとした瞳が俺の眼と合う。
「ところでカガク捜査ってなんですか?」
「っとですね、はい。シップスクラーク財団で研究されている学術体系でして、物事を理論的に筋立てて再現性を見つけていき──」
「……? ……?」
こてんこてんと、首を左右に傾けながら疑問符を浮かべる"黄昏の姫巫女"フラーナ。
どこか愛らしさもあるが、さしあたっての理解は得られそうもなかった。
「少し変わったやり方、ということです」
「そうなんですかぁ、博識でいらっしゃるんですね?」
「えぇまぁ……」
「グルシアさん? なにやら顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
そう改めて言われたことで、俺は意識がふわふわとしていることを自覚させられる。
確たる地位にいるフラーナと出会えた僥倖──色々と聞きたいことがあるのだが、考えがまとまらない。
「どこか部屋で休みますか?」
「いえ、そこまでは及びません──」
俺はふらつきはじめた足をしっかりと、床に倒れる前にその場に座り込む。
そしてはたと気付く、なにやらフラーナを纏う淡いオレンジ色の靄のようなものに。
「黄昏……」
「はい、なんでしょうか?」
「あぁ……いえ、すみません。貴方を呼んだわけではなく、なんだか夕暮れの色が見えたもので──」
「えっ──」
「やはり疲れているのかも知れません。他に何か失礼な物言いをしていたら──」
「グルシアさんあなた……見えるのですか? わたしの色が」
「"フラーナ殿の色"、ですか……この黄昏色が──?」
俺は要領を得ないまま会話を続ける、自分でも何を言っているのかはあまり定かではない。
しかしフラーナからすると、何か話の中にピンとくるものがあるようだった。
「グルシアさんと仰いましたね、自分の手をごらんになってください。何色に見えますか?」
言われるがままに俺は両手を広げて手の平を見つめる──と、腕を覆うように靄が見えるのだった。
「……薄い碧色?」
「そのとおりです。そしてあなたの内側にはとても"濃い蒼色"が見えます。二つも色がある方なんてはじめてです、不思議ですね」
「あぁそれはきっと、遠心分離の所為か……も──」
俺は無意識に"理解した答え"を口にしながら、有意識は沈むように途切れるのだった。
◇
「目が覚めたようですね、お体に差し障りはないですか?」
ゆっくりと瞳を開けた俺は、瞬時に状況把握に努める──混乱するかとも思ったが、存外に意識も記憶もはっきりとしていた。
気怠さも既に解消されていて、窓の外を見るにちょうど夕暮れ──黄昏の時間。寝ていたのは数時間といったところ。
「……大丈夫、です。ありがとうございます、フラーナ殿。そして先刻は大変失礼をいたしました」
ベッドの上から状態を起こし、俺は"黄昏の姫巫女"──皇国で教皇と同格ともされる彼女を見つめる。
意識が不明瞭だったとはいえ、身分差からすればとてつもなく失礼な態度を取っていた。
もっとも──五英傑から七色竜まで、今まで会って来た超のつく大物に比べれば……たかだか国家元首と同程度ではあるのだが。
「いぃえぇ、いいんですよ。倒れてしまうほど根詰めてまで、調査をしてくれるなんてありがたいことです」
椅子に座ってずっと看ていてくれたのだろうか。ただし恐縮するよりも疑問の方が先行する。
あの時に見えていた靄が……今は、もう、見えて、いなかったのだった。
「起き抜けてごめんなさいですけど、聞きたいこと聞いていいですか?」
「──多分同じことを俺も聞きたいと思っていました」
俺の識域領域ではあの時に既に理解していたし、一度意識を失ってもそれをしっかりと理解していた。
「グルシアさんは"魔力の色"が見えるのですか?」
「フラーナ殿には"魔力の色"が見えているのですね」
言葉が重なり、無意識の内に既知となっていた答えを口に出して反芻する。
「やはり、あの時に見たあれは……魔力の色だった──のか」
"天眼"にはまだ上の領域があったというのか。一種の"共感覚"とも言うべき現象。
酷使したことで半ばトランス状態のように……朦朧としていたからこそ発現した新境地。
「もしかしてグルシアさん、さきほど初めて見たのですか?」
「はい、今は何も見えていません。コツを掴むには今少し時間が掛かりそうです」
「普通は誰であっても見えるものではないんですけど」
「……それでもフラーナ殿は、今も見えているのですか?」
俺が纏っていたエメラルドグリーンの魔力色だけでなく、内側に"濃い蒼色"が見えると確かに言った。
それは十中八九、"魔力遠心加速分離"で俺の中で分かたれた魔力であろう。
「グルシアさんの今の色は"空色"ですね。三色も一人で持ってるなんて信じられませんが、見間違いでもありません」
「ふむぅ……フラーナ殿、よろしければそのまま少し見ていてもらっても?」
コクンと快くうなずいたフラーナの視線を浴びながら、俺は魔力を遠心加速させていく。
「わっ! わっ! なんだか澱んできました! どうやってるんですか!?」
「企業秘密です」
「むむぅ~じゃぁわたしも、なんでも答えますから教えてください!」
やたら軽い"黄昏の姫巫女"に苦笑しつつ、俺は肩の力を抜いて苦笑する。
実際に姫巫女に選出されるまでは英才教育こそされ、市井で過ごしていたからこその感性だろうか。
「なんでも……そんな簡単に言ってよろしいのですか? すっごい秘密をお尋ねするかも知れませんが」
「別にいいんですよ、どのみちわたしは遠からず御役御免となるでしょうから」
「──それは……今回の責を問われると?」
「この街で神族──それも高名な方に過ごしていただく重責がありながら、お守りできなかったわけですから」
黄昏の都市の首長は"黄昏の姫巫女"であり、そこで起こった事件には管理の甘さが糾弾されて然るべきであろう。
「とはいえ、わたしももう33歳です。15の時に姫巫女になり、あと1年とちょっとほどの任期が早まったと思えば……」
(意外と年食ってるが……10代と言われても信じてしまうな)
フラーナが単純に童顔なのもあるが、それ以上に魔力による肉体活性の影響が大きいのだろう。
黄昏色の魔力が観えた時に感じたのは、魔導師に準ずるほどの魔力密度であった。
「任期は20年ほどなのですか」
「はい、今回の一件で次代の姫巫女も予定をかなり繰り上げて選ばれるでしょう──もっとも、一番の有力候補は既に……」
「最有力候補──それが捕まったカドマイア・アーティナだったわけですか」
言葉を濁しつつそれ以上紡がないフラーナに、俺は眼光を細めながら尋ねたのだった。




