#269 薄暮の難題 III
「ひさしぶりでござるね。パラス殿」
学園は戦技部冒険科にて、同パーティを4年弱組んでいたパラスは、思わぬ来訪に驚きと嬉しさを入り混じった表情を見せる。
「スズさん!? いつの間にいらしてたんですの!」
「どもどもー」
「こんにちは、スズさん」
「おひさしゅうジェーン殿。テューレ殿……は、五日振りくらいでござるが」
「自分たちは情報部でよく会いますからねー」
スズ──極東北土の和風な忍者ルックをその身に纏う、代々続く"忍び"の一族。
学園卒業後しばらくは生家のほうで過ごし、情報部の本格稼動後は優秀な諜報員として働いてもらっていた。
「しかし完全に気配は絶っていたはずなのに、よくわかったでござるねベイリル殿。拙者、少し自信をなくしたでござる」
「確かにスズのは凄い技術だよ。心音を最小限に、呼吸音も止め、俺とジェーンが来る前から潜伏していたからか空気の流れも微動だにしなかった」
「今まで誰にも気取られたことがないのが自慢だったでござるに……」
「それと"調香"による自然な意識逸らしも実に美事なもんだった。ただ総合感度に関しては、俺も世界で有数と自負するまでに至っているからな」
特に"天眼"に覚醒して以降は、平時の強化感覚すらより鋭敏になったような気がする。
「残念無念──」
「というかなんで身内相手に隠れてたんだよ?」
「遠目にパラス殿が来たのを見つけてしまったゆえ、せっかくだから驚かせようと思ったでござる」
「それは……その、なんだ。水差して悪かったな」
「構わぬでござるよ。パラス殿の驚く顔は見れたからそれで良しでござる」
かつての仲間にパラスも幾分か緊張の解けた様子で、自然な笑みを浮かべる。
「相変わらずイイ性格してますわね、スズさんは」
「パラス殿も根っこの部分は変わってないようでござるが?」
「それは良い意味ですの? 悪い意味ですの?」
「良い意味でござるよ。誠実なのは昔と変わらず、今はさらに融通が利くようになったと会話の端々から見受けられたでござる」
「でしたら……いいんですけれど」
大概はからかい役に回るスズに素直に褒められ、拍子抜けしたような表情をパラスは見せる。
「……ジェーンは誠実だけど頑固なままだからな、パラスだけの美徳だよ」
「失敬だよ、ベイリル。ただまぁ……私も否定はできないんだけど」
「自分もこういう仕事をやってると、なかなか難しいところですねー」
俺は転生前の人生を少しだけ思い出す。我ながら本当に色々と経験して、人格も変貌したものだと。
「──さて、なんにせよスズがすぐに動ける状態なのは幸いだ」
「スズさん……そんなに有能なんですの?」
「もちろん超がつく優秀さでござるよ」
「優秀なのは確かだが、それ以上に特務慣れしているし、タイミングが良かった」
首を傾げて疑問符を浮かべるパラスに、俺は説明をしてやる。
「──"文化的侵略"をする時に、注意をしなくっちゃあいけないことがある」
「……??? いったい何の話ですの?」
「まぁとりあえず聞け。注意すべきは"相手の文化を否定してはいけない"、ということだ」
当然だが強引に塗り潰すやり方もある……が、それはまだやるべき時ではなかった。
風土が自由な"共和国"や"連邦"ならまだしも、"王国"・"帝国"・"皇国"といった大国で安易に文化を踏みにじったなら……。
それらは危険因子と見なされ排除される可能性すらある──
「はい、それで……?」
「ヘリオたちの"ロックバンド"──革新的な歌唱は人民の新たな娯楽となり、文化と心に刻まれる」
「つまり拙者はヘリオ殿らより先行して、その土地で"ライブ"を開催しても問題ないか調べていたのでござるよ」
「えーっと、申し訳ありません。いまいち話がどう繋がってるのか、まだわかっておりません」
「極端な例を挙げると……皇都でケイルヴを貶めるような歌を唄えば、皇国法に触れることになり即座に捕縛されるだろ?」
「当たり前ですわ」
「でもそれが仮に田舎だったら? 騒乱行為に問われようと、思いっきり熱唱し終えてから十分に逃走できるわけだ」
派手な逃走劇を含めてロックバンドは風聞となって、人々の間で惜しまれ語り継がれていく。
世界中でそうした点と点を繋げることで、より効率的により広く伝播させていくわけである。
「拙者の仕事はいわゆる"隙間"──ライブに適した時と場所を見つけることにあるのでござる」
「ははぁ……なるほど、ですわ」
「ヘリオ殿らは連邦西部から共和国を経て東部へ、それから王国を通って帝国北部まで来ているでござる」
ロックバンドは大陸を逆時計周りに巡業してきている。
ただし勝手気ままにゲリラライブも行うので、連絡がつかないこともしばしば。
それでも安心して任せていられるのは、スズと財団員による支援要員が固めているからに他ならない。
「つまり次は皇国にもライブをしに来るわけで、その為の事前調査も進めている……よな?」
「進捗はそこそこにござるね。皇国は一番厄介な国でござるから、そこそこ慎重にやっている最中でござる」
連邦や共和国では都市国家ごとに法や文化が異なるので、その都市だけを大まかに調べれば済む。
王国は貴族領ごとに権限も武力もまちまちではあるが、人族優位なので傾向としてはまとまっている。
帝国は種々族雑多で中央集権的ではあるものの、気風そのものは自由なことが多く、特定文化だけに注意しておけばよい。
しかし皇国は強い宗教的文化が国政に関わっていて、王国や帝国と同じく基本は貴族領で統治されていても、深く国教で結びついている。
特に各地に存在する"教区"と、それを管理する司教などの権限も強いので、他国よりも数段上の配慮が必要なのであった。
「スズさんは……はからずもヘリオさんたちの為に動いていたから皇国内に詳しい、というわけですのね」
「左様でござい。むしろもうちょっと時間があれば、今少し"根"を張り巡らせられたんでござるがね」
「そういう意味じゃ……タイミングは良くはなかったのか」
「まっまっ、何事も上手く進むとは限らんでござる。あとはカドマイア殿が助かるという結果で語れば良いでござろう」
まだ事件に干渉することすら正式決定してはいないものの、少なくともスズの中では確定事項のようだった。
「……そうだな。迅速に事を運ぶ為にも、さしあたっての段取りを決めようか」
俺は少しだけ頭の中で考えてから、口に出していく。
「まずテューレは情報統括と、特に"大要塞"と付随する"大監獄"のことも突っ込んで調べてくれ」
「はいー」
「スズは現場員として、より精細な情報収集」
「ういー」
「パラスは──皇国内にいたらまずいか?」
「手配されていてもおかしくありませんわ」
「身を切る覚悟はあるわけだよな」
「もちろんです」
「ならとりあえずはテューレと一緒に、情報を取りまとめていてくれ。手が必要になったら召集する」
「わかりましたわ、いつでも呼んでくださいまし」
一方的に頼った立場をわきまえ、パラスは感情を飲み込んで大人しく従う。
背もたれに体重を預けながら俺はさらに色々な方策を考えつつ、姉へと視線を移す。
「俺はジェーンと皇都へ飛ぶことにする」
「えっ──私が!? というかベイリル皇国に行くの?」
「あぁ、行く。なに、ほんの数週間だから頼むよ。ちょいとジェーンの力が必要だからさ」
「それは別に構わないけど……私も多少過ごしていたくらいで、そんなに詳しくないよ?」
「"とある人脈"から知己を得た知り合いが、皇都にいるもんでな。その付き添いと相談役だ」
「私で役に立てるかな」
「どのみち物事を考える時は、一人よりも二人がいいもんだ。話す相手がいることで、自分の中でも整理ができるからな」
「うん……そうだね、たしかに。結唱会の子たちに教えると、より深く理解できることがある──」
ただ入力しただけの知識はそのままでは"他人"でしかない。
そこから自ら応用したり、誰かに出力することで"身内"になっていくものなのだ。
「情報は財団支部を通じて逐次、密な連携を取っていく」
「ベイリル殿が直接動くなんて、よっぽど暇してるんでござるか?」
「そういうわけでもないが……まぁ俺じゃないと調べられないこともあるだろうからな」
俺はそう思わせぶりに口にしながら──ポキポキと指を鳴らして、心を揺り動かすのであった。




