#259 大化学者 I
「──"大化学者"、ですね」
「……? なんだそれは」
「財団における"偉人"……変革者となりうる人材です。あとで紹介しますよ、大科学者と大技術者と大魔導科学者の候補を」
「本当に我についてこれる者がいるかな。少なくとも今まで巡った部門にはいなかった」
「いますよ。まだ若いものの、サルヴァ殿の眼鏡に適う者たちが」
おれは強く断言する。ゼノとティータとリーティアと、必ず良いスパイラルを生み出してくれると。
「そこまで言うのなら楽しみにしておこうか」
サルヴァは肩を震わせてくつくつと笑うようだった。
俺はそんな肩より後ろから生えていて、感情と連動するように動いている竜翼をふと注視してしまう。
「気になるか? まるで竜人族のような我が身が」
「……いえ、まじまじと見て失礼しました」
「遠慮するな、自慢の肉体だからな。むしろとくと見て、そしてなんでも聞くがいい」
バッと翼膜まで広げたサルヴァは、右手でメガネを取るとピッと上へと投げ放った。
そのままワイバーンのような右翼腕の方であっさり掴んで、さらに左翼腕へと投げて手に取る。
次に手から落としたかと思うと、二又に分かれた尾で器用にキャッチしてくるくると回すのだった。
「実質的な"六ツ手"ですか、便利ですね」
「うむ。腕が二本では足らないと、常々思っていたものだ」
「よくわかります。それなら……自分がもう一人いれば、さらに便利だと思いません?」
「二人とはいらんかな、我が頭脳と肉体は唯一よ」
「そうですか。にしても魔力暴走による変異──お言葉から察するに、たまたまそうなった……というわけではない?」
「然り。多方面に秀でた我だからこそ、魔力の"暴走"をも自らを調整したのだ」
メガネを掛け直したサルヴァは、実に得意気な表情でそう口にした。
「つまりサルヴァ殿は、"魔力抱擁"で暴走をその身に留めコントロールした──そう、吸血種のように……」
「まったく同じやり方ではないがな。それに我が求めたのは"紫竜"の姿であり、模倣し、肉体を作り変えた。我の中で最も気高く理想的な形としてな」
(──"定向進化")
獣人種や竜人族とて長い時間を掛けた上で少しずつ進化し、遺伝的に定着するようになったが──サルヴァは一代で成し遂げたということ。
魔力暴走という特殊要件があったとはいえ、確かにサルヴァ・イオは存在そのものが卓抜している。
知識を溜め込むだけでなく、それをしかと応用するだけの能力を備えているのだった。
(自らをキマイラ化した女王屍にしても……実際に己の肉体でやってしまうんだからトンデモない話だ)
「その時に一役買ったものがある──それがこれだ」
するとサルヴァはポケットから、何かモノを取り出して投げよこす。
財団製の試験管の中には、緑色した粘度のある物体が半分ほどまで入っているのだった。
「シップスクラーク財団はガラス技術も素晴らしいな。実験器具にこれほど利用できるとは」
「優秀な人材を多数抱えていますので──ところでコレはなんなんです? なんか"スライム"みたいですね」
俺は転生前に売られていたオモチャのそれを思い出しながら、英語の発音で言った。
この世界には粘菌や群体生物こそいても、いわゆるファンタジー相当の魔物であるスライムは存在しない。
「すらいむ? スライム──面白い響きだ。そう命名するとしよう」
「はぃい……?」
俺は話についていけずに間の抜けた声をあげ、サルヴァは無視して語り始める。
「かつて"病毒の濃霧"の中でも平然としている生物がいた。当時の我は、その異様な固体の一部を採取することに成功した」
「えっと、つまりその生物が、サルヴァ殿の肉体変異に寄与して……?」
「そうだ。肉片の一部を傷口に投与することで傷が治り、さらには部分的に肥大・増殖することまで確認した」
(どこかで聞いたような話だ──)
俺が記憶から引き出す前に、サルヴァは答えを口にする。
「その生物は、大陸での名を"トロル"。あんな危険生物まで保有・管理しているのには、いささか驚いたぞ」
「はいはいハイハイ」
俺は試験管の中身を見ながら、記憶を掘り起こしつつ何度も首を縦に振った。
白竜と黒竜の死卵を蘇らせ、灰竜を誕生させたのがまさに、"トロル細胞"による恩恵であったことに。
「再生医療とやらで利用したのは既に聞き及んでいる」
「アッシュのことですね」
「そのことも後で聞きたいところだ」
「はい、では後ほど──それで、コレが抽出・精製したモノなんですね」
手の中にある試験管を軽く振りながら、俺は中身をジッと見つめる。
「まだまだ試作段階だが、ある程度の肉体強度があれば十分に使えるシロモノだ。ただし直接的な投与や摂取はしてはならん。
蓋を開け、常温の空気中に曝すことで霧のように気化する。それを少量吸い込むだけで、相応の肉体活性効果を及ぼす」
「量産されているモノ、じゃないですよね……もしかして自分に頂けるのですか?」
「お前の強度は聞いている、ベイリル。良い治験になるだろう、財団での我の最初の成果だ。"スライム"という名、もらうぞ」
「スライムの名は構いませんが……しかし自分が被験体っすか。ちなみに、もっとおあつらえ向きのがいますが?」
「ほう、誰だ?」
俺は頭の中で思い浮かんだ人物をそのまま告げる。
「"ロスタン"という、再生魔術の使い手がいます。元々敵対していた陣営の人間で、現在も要注意・監視対象なので存分に使ってやってください」
「そいつは実験に堪えられるくらいには強いのか?」
「俺よりは劣りますが、肉体はそれなりに強いです。かつ強さを欲していますし、提案すれば自ら志願するかも知れません」
「ロスタンか、近い内に会ってみよう」
俺はくるくるとペン回しの要領で試験管を回し、懐へとしまい込む。
魔薬中毒というわけではないが、最近はやたらとドーピングする機会が多かった。
同時に無理を通す為に頼ったその恩恵は決して忘れられるものでもないので、中毒には重々気をつけようと思う。
「話を戻そう──望んだ進化をしたおかげで、"紫竜の加護"も些少ながら使えるようになってな」
「ほぉ~……って、え!?」
「やはり気になるか、"人化"していた紫竜をどのように我が真似たのか。なんのことはない、紫竜が往生する最期の際に竜の姿を見せてくれたというだけよ」
「あっ──いえ、そうではなく"紫竜の加護"のほうに引っかかったもので」
「そっちか、この身は病毒を多少なりと生成して扱うことができる。同時に生半な病や毒にも耐性がある」
それはそれで恐ろしく、興味深い話でもあったが……俺が最も気になったのは共通点の部分だった。
「なるほど。……かくいう俺も、"白竜の加護"をもらってまして」
「ほう! どのような力だ?」
「いえ実際に使えるということは……まったくないです。サルヴァ殿のように、白竜に肉体を寄せるのも無理ですし」
いつか何かの役に立つことがあれば……そんな希薄なモノでしかない。
もし仮に"現象化"もできないのに光速に至ったところで、"風皮膜"ごと肉体が消し飛ぶのは目に見えている。
「……それもそうか。確かにこの加護は、人の身で易々と使えるモノではないのは、我もよくよく理解していた」
「コツとかってありますか?」
「ないな、だから竜の身となるしかなかった」
(まっ、もとより大した期待はしてなかったものの──)
こうもはっきり言われてしまうと、別に損したわけでもないのになんとなくガッカリしてしまう。
ただしそういった分野も、いずれ研究・開拓されていくのであればワンチャンくらいの心地は持ち続けようと思う。
少なくとも俺は神族よりも魔力操作に長じた、エルフ種の血を半分引いている。
さらには独自の操法と発想・模倣をもって、魔術を会得してきたのだから。
「まあ我は運が悪く、そして良かった。"暴走"なんぞ神領でも滅多にない事例だからな」
「……そうなんですか?」
「もっぱら"枯渇"するばかりよ。だからこそ体よく利用することができた」
「興味深い話です」
最近は創世神話から続く、この世界の話を聞くことに恵まれる。
だからこそ多くの氷解しきれない疑問や、扱いきれない難題もまた多い。
「フッハハ、だがいずれ財団はそういった謎も解き明かすのだろう?」
「ですね──そのつもりです」
情報部とは別に、そうした歴史考証部門も新たに作る必要性も出てくるやも知れない。
ありとあらゆる未知に挑み、既知から新たな未知を生み出すのが我らシップスクラーク財団の本懐ゆえに。
「ちなみにサルヴァ殿は寿命はどうなるんです?」
魔族であれば人族とそう変わらない期間しか生きられないはずであり、変異してからどれくらい経過しているのだろうと。
「先の寿命はわからんが、極東から大陸へと戻り巡って70年、今なお精力的というもの」
「不老とはいきませんか」
「神族とて"不老の者はいない"のだから、当然のことだ」
「……そうなんですか? なんだか最近、知っていた常識が覆される話ばかりとはいえ、それはなかなか興味深い」
「ふっはっはっは!! 実に結構なことだ。それでも新しきを知るのは楽しかろう」
「確かに、仰る通りです」
研究者といった気質は備えてなくとも、俺だって人並の知識欲というものはある。
「永遠を観測した者などいない。ただ人族と比した時に、常識外に長生きというだけなのだ」
「確かに言われてみるとそうですね。厳密に統計を取ったわけでもなく単なる口伝の類、データとしての信頼性は低い」
「無論、長命種と呼ばれるだけの種族的な傾向はある。神族にしてもエルフ種にしても、生きるのが長いほど個人誤差は大きくなるというものだ」
なんというか目から鱗が落ちた気分だった。
そして固定観念に囚われることなく、柔軟な発想によって世界を観ていかねばならないということも──




