#257 巡り合い、紫徒 I
光輝なる白竜との別離より──2週間弱ほど経過したある日のこと──俺は断絶壁街の財団支部は屋上にて、一人の男と対峙していた。
「一目でわかったよ、"空前"のベイリル」
唐突に空から降って湧いた見知らぬ男──身長は俺よりも高く、筋骨も二回りほどは恵まれている。
薄黄色に紫が入り混じった長髪を風に流しながら、メガネの奥にある群青色の瞳が……俺の碧眼と交差する。
「……そういう貴方は?」
詰問するように俺は眼を細める。
男には爬虫類が如き、ほのかな紫色の二又尾が垂れているのが見て取れた。
そして最も特徴的なのが……飛竜のような前腕を伴う羽翼が、背中側から生えていること。
「我が名は"サルヴァ"、姓は"イオ"と言う」
「サルヴァ・イオ──あいにくと聞いたことがない」
記憶の中を瞬時に漁ってはみるものの、一切の聞き覚えがない名前だった。
「ふっははははッ! 面白いな、貴様は実に面白い」
「……まだおもしろいことを言ったつもりはない、が──」
「貴様の佇まいのことを言っている。実に完成された戦士だ」
「はぁ……そりゃどうも」
「我はめったに人を褒めることはないから、ありがたく思うといい。少しくらい隙あらば付け入ってやろうかと思っていたのだが、心身共に油断がないようで残念」
俺は目の前の人物をいまいち図りかねる。名前はわかったものの、その素性についてはまったくもって不明のまま。
尊大ではあるが同時に自信にも満ち満ちていて、有事が起こった際に武力で制圧するにも……不確定要素が多いと判断する。
「まだ若いのに大したものよ」
「俺はハーフエルフです、貴方より年上かも知れませんよ」
「転生前の年齢を足したとしても、我に比べればまだまだ若輩というものよ」
勝手知った風な口に、俺は動揺を見せぬまま頭の中でスイッチを切り替えつつ警戒度を最大限まで上げた。
「ほっほう、顔色一つ変えんとは……まっこと天晴れなり!」
「誰から聞いた」
俺は底冷えするようなトーンでもって反射的に尋ねる。俺が転生者であることを理解しているのは片手の指で足りる。
しかしその情報がサルヴァという名の男にとって既知であり、俺にとって彼が未知の塊であることは……いささか面白くない状況である。
「剣呑だな、だがあいにくと我も財団職員だ。仲間内で争っても無意味だろう?」
「隙あらばとのたまっていた人が……いけしゃあしゃあと言うものだと思いますが」
「そこは気にするな──っと、あったあった」
言いながらサルヴァは二重螺旋の系統樹が描かれた、紋章をポケットから取り出した。
それは確かにシップスクラーク財団のモノであり、わざわざ偽造する者も現段階ではそうはいまい。
「さてそれでは先ほどの疑問の答えだが……君の前世の年齢まで知っているのは誰なのか、考えてみたまえ」
「……シールフしかいませんね」
転生者であることを知っているのは何人かいるものの、実年齢まで知っているのは"燻銀"ただ一人しかいなかった。
「腑に落ちないのは、なぜ彼女がそこまで我に教えたか……であろう?」
「いえ。彼女は俺の半身ですし、シールフが秘密を教えるに値すると判断したのでしょう」
「ふっはッ! 潔いな。我がどこまで知っているかも気にならないと言い切るか」
「まぁシールフは全幅の信頼を置いた内の一人ですし。サルヴァ殿には必要なことを必要な分だけ教えただけでしょう」
ニィ……っと腕組み笑ったサルヴァは、満足気な声色で話を続ける。
「そういうことだな。彼女が我に話したのも、ひとえにまだ若かりし頃……転生者と会っていたからに他ならない」
「若い頃? 一体どなたか、お尋ねしても?」
「言っておくが、軽く百と五十年以上前のことだ。当時は狂人の戯言だと思っていたからな──名前まで聞かなんだ」
「それから150年たった今は……さしあたって転生などという話も信じられる、と?」
「極東にも過去に存在したであろう、独自の文化が継承されていたゆえな。今の我ならば理解できる」
(極東の本土と北土か)
直接の出身ではないが、こちらの大陸へ渡って系譜が今なお続いている"ファンラン先輩"や"スズ"のことを思い出す。
紫竜による病毒汚染によって、ディアマが大陸を斬断した結果できた島国。
南側の"本土"と北側の"北土"で分かれていて、非常に少ないながらも大陸と交易が行われている土地。
「あの時にもう少しばかり……転生者を名乗る男の話を、まともに聞いておくべきだったと痛感したものだ」
(過去の転生者か……ゼノが大魔技師の知識の一部を持っていたように、そうした遺産も探したいところだが──)
あるいはこの世界に住む一般人には理解できずとも、財団とテクノロジーを知る人間には理解できる実践的な知識が残っているやも知れない。
「……ところで、サルヴァ殿はおいくつなのですか?」
「なんだ、我のことがそんなに知りたいか」
「それはまぁ……俺ばかりが一方的に知られているのは、いささか不公平かと」
「っはは!! 確かにそれは道理。よかろう、なんなりと聞くがいい。なんでも答えてやる、ちなみに年は200と20を数えるくらいだ」
「"竜人族"ですかね?」
竜人族──人型種の中では、ハイエルフやヴァンパイアと並ぶ最高峰とも言える性能を持つ種族。
300年近い寿命とそれなりの魔力操作、なによりも圧倒的な身体能力を誇るのが特徴である。
ただし獣人種などと同様に進化の一様態であって、竜血をひいているというわけではない。
鳥のように空を飛ぶことに憧れて翼を生やす進化を経たように、竜への信仰によって進化したとされている。
「いーや違う、ただの魔族だ」
俺はいきなり肩透かしを喰らった気分になる。ただの魔族で200年を超える人生を語るには──
「ということは長命種とのハーフ?」
「でもないぞ」
「っ……となると──不老に類する魔導師か、あるいは神族の先祖返り……」
シールフのような後天的な"神族大隔世"。非常に稀有な事例ではあるが、ありえなくもない。
「惜しいな、ベイリル。強いて言うのならば後者の逆だ」
馴れ馴れしく名前を呼んでくるサルヴァの言葉に、俺は思考をさらに回転させる。
(うん……? 人から神族遺伝子を発現することの、逆。それは、つまり──)
俺はパチンッと指を鳴らして、狭まった回答へと辿り着く。
「そうか! 神族から魔力"暴走"に陥って魔族になった」
「正解だ。我は神族として生まれ、薬学を修め、魔術に傾倒し、そして極東へと渡った」
「元は極東生まれというわけではなかったと。それにしてもよく渡れましたね、"海魔獣"もいるのに」
「危険だったが、どうしても必要だったのだよ。大陸の"錬金術"だけでなく、極東本土の"練丹術"も学んでおく必要があったからな」
錬金術また練丹術──地球史においても存在した、卑金属から黄金などを作り出そうという"化学"の前身たる思想。
その実態は時の為政者からの求めにより、不老不死の妙薬を求め、物質の組成を探究した学問であったと言う。
"黄金変成"はもとより、"万能の霊薬"や、全知を司るとも言われる"賢者の石"。
果ては"人工生命体"を代表とする、生命創造すらもその範疇であった。
魔術の基礎である火・水・空・地も、錬金術における四大元素の考え方に通じてはいるが──
しかして錬金術は、こっちの世界でさほど学問として発達しているわけではない。
それは単純に魔術が存在することと、宗教的な問題も含んでいる。
「そこで生涯愛した人間と出会い、子をもうけ、一財産と"イオ"家を築き上げ、領主として采配も振るった」
(つまりは……"化学"分野に精通した人物、ということか)
興に乗り始めた語りを傾聴しつつ、俺は目の前のサルヴァ・イオという人物を見極めていく。
「妻も亡くなり、孫たちも自立して憂いがなくなってから──北土へと渡る途中で"とある人物"に師事した」
「とある人物?」
「"紫竜"だ」
「はっはぁ~……紫竜って生きてたんですか」
俺はつい最近に当時を生きた者達から聞いた昔話を思い出しつつ、呆けた口調で聞き返すのであった。




