#255 黒と白
"大地の愛娘"ルルーテが放った局所的超極大災害、スーパーマントルプルーム──
成層圏にも軽く達したであろうその大噴鉄は……ほんの数十分ほどで余計な被害を出さぬまま地面へと戻っていく。
それでも周辺は融けた鉄と岩が入り混じり、余熱によって普通の生物であればおよそ近付けない領域と化す。
そんな灼熱地獄の様相を呈している環境下。
爆心地で直接ぶち込まれたハズの黒竜は……今なお生存していた。
「はぁ……──」
自らが引き起こした災害の最中、立ったまま寝ていたように動かなかった"大地の愛娘"が……小さく溜息を吐く。
するとイシュトがくるりとルルーテへと体ごと向き、あれほどの光景の後でもなんら物怖じなく声を掛けた。
「ちょぉーーーっと、待ってくれるかな? ルルーテちゃん」
「なに、だれ」
「わたしとこの子は黒竜の家族。少しだけ時間がほしいんだけど、いいかな?」
「かぞく……わかった、少しだけ」
うつらうつらとその場で揺れるルルーテに、俺は戦々恐々としつつ……イシュトがニコッと笑い掛けてくる。
「ベイリルちゃん、アッシュにも風を分けて黒のところまで一緒に行ける?」
「……はい、問題ないです」
"六重風皮膜"であれば、十分に熱遮断もできるし空気供給も可能である。
「それじゃ、先に行ってるね」
そう言った白竜イシュトはアッシュを離すと、一瞬の閃きの内に黒竜の元まで移動していた。
俺はゆっくりと一息を呑んでから地を蹴って、アッシュを抱えて熱風へと乗るのだった。
◇
灼熱の大気の中で──横たわる黒竜に寄り添う白竜の傍へと、俺と幼灰竜は着地する。
あれほどの災害でも死ねないほどの強靭さと、今なお命が果てることなき生命力。
かつて愛し……現在も愛しているかも知れない相手に、ゆっくりと手を当てているイシュト。
そんな痛々しく哀しい光景に、俺も人並に心が締め付けられる思いだった。
「ありがとう、ベイリルちゃん」
「いえ……アッシュにも看取らせてあげないといけませんから」
「そうだねぇ。それとなんかいっぱい借りも作っちゃったね」
「俺のことは気にしなくてもいいです」
「でもそれを返せそうにない、だからごめんね」
真に迫った声色に、俺の動悸までも早まるのが感じられる。
その覚悟を秘めた瞳に──考えたくなくても脳裏によぎってしまう。
「……心中するつもり、ですか?」
俺はそれでも言の葉として問いかけ──イシュトの返答は笑顔だった。
「黒はアッシュの声に反応して、ここまでついてきた。ってことは完全に正気を失ってたわけじゃなかった」
「っ……そうですね」
「ほんっの、ほぉーーーんの少しでも、心が残っているならさ」
イシュトはゆっくりと黒竜へと顔を向け、その手で触れる。
「一緒に眠ってあげる人がいないと可哀想だからね──ずっと一人ぼっちだったわけだし、最期くらい」
俺は迷いつつも……唯一繋ぎ止められるであろう言葉を、苦悶の表情で投げ掛ける。
「アッシュの成長を──将来を見れなくてもいいんですか……っ!」
「ふふんっ、それは大丈夫! だって……ベイリルちゃんがいるもの」
無意識に声を荒げていることに気付き、俺はギリッと歯を食い縛る。
「前にも言いましたが、アッシュには……母であるイシュトさんが必要かと」
「アッシュはさ、白と黒の分け身。言っちゃえばわたしたち自身みたいな部分もあるから」
「それでも──」
言葉に詰まった俺に対し、イシュトは覗き込みながら"母の表情"を見せる。
「んっんんん~~~? あらら、わたしなんかの為に泣いてくれるんだぁ?」
「っえ……? あ、本当だ──」
気付けば風皮膜の内側で頬を伝う水粒があった。生体自己制御でもコントロールできないそれに……俺自身も驚く。
まるで俺であって俺ではないような心地すら感じられるほどに。
「イシュトさんとはそんなに付き合い長くないのに、不思議です」
「あっはは、言うねぇベイリルちゃん。でもねぇ……長生きの身ぃから言わせてもらうと、人と人とは必ずしも時間だけじゃないからさ。
それだけわたしに絆を感じて、想ってくれてるってことは素直に、とっても、本っ当に嬉しいよ──ほんっと……ありがとうね」
「カァァァアウゥ……」
するとアッシュが俺を慰めるように、頬へと顔をすり寄せてくる。
これ以上イシュトを引き止めることは……その決意を汚すことにもなろうと、俺は拳だけを無力に握り締めた。
「クロアーネちゃんに、もっと料理を教えたげられなくてごめんねって伝えて」
「──今から光の速さで直接伝えにいくというのはどうです」
「ふふふっ状況説明まで考えると、そこまでルルーテちゃんも待ってくれないでしょ。他の皆にもよろしく、おねがい」
「……任されました。アッシュも立派に育てます」
「うむ! ただアイトエルには、別に連絡いらないかな。あいつとは今さらだから」
「アイトエル殿は俺も次いつ会えるのかすらわからないので……」
「そっかそっか。あとぉこれはぁ──"ささやかなお礼"だよ」
イシュトはゆっくりと俺のうなじあたりを掴んだかと思うと、グッとその顔へと引き寄せられた。
コツンッと額と額が当たって、お互いの息吹が感じられる距離となる。
「わぉ、快適だねぇこの風」
触れ合ったことで、自然と"風皮膜"がイシュトへと分散されていく。
「俺の自慢の術技の一つです。ところで、お礼? ……とは」
「うんうん、七色竜ともなるとね──力を分け与えることができる。人が"加護"とも言ってるやつだね」
知識としては持っている。"竜教団"なぞは、そうした"力そのもの"を信仰している部分もあるゆえに。
「眷属竜みたいに、近い種族ならいいんだけど……ベイリルちゃんはヒト種だからね、自由には引き出せない」
重ね合った額から、にわかに光と熱を感じる。
「もし使えたとしても、自在にともいかない。でもいつかきっと役に立てばいいかな、ってことであげちゃう。受け取って、わたしの……"白竜の加護"を──」
「ありがたいです、が……アッシュに与えたほうが良いのでは?」
「ん~……七色竜同士で加護を与え合うことはできないんだぁ。お互いに力が強すぎて干渉し合って拮抗しちゃうからね。
さっきも言ったけど、灰色は白と黒の純然たる分け身。言わば、八色目の竜、だから加護をあげたら邪魔になっちゃう」
「なるほど、理解しました。では……──ありがたく頂戴します」
「素直なのはよろしいことだよ」
光が収まると、互いに額を離したところで──最後に俺はイシュトからゆっくりと抱きしめられる。
次にイシュトはアッシュへと、愛情を込めて最後のキスをした。
「それじゃお別れだねベイリルちゃん、アッシュ──元気に育つんだよ」
「御然らばです、イシュトさん」
「キュゥゥゥァアアッ!!」
白竜と黒竜の仔──喉を精一杯に振り絞った灰竜の声であった。
俺は静かに手を振り続けるイシュトへと体を向けたまま、アッシュと共にゆっくりと飛行して離れていった。
◇
「おわった?」
「……はい」
隣に立っているルルーテは、薄ぼんやりとした半眼で告げてきて、俺はゆっくりと頷く。
「ちなみに、どうやって二人を──」
「真ん中につれてく。大丈夫、苦しくないから」
規格外な"大地の愛娘"基準だろうとは思いつつ……。
それとは別に、ルルーテにも人としての慈悲があることもよくよくわかったのだった。
確かに安眠が優先されるとしても……生きとし生ける者の心の機微を理解し、人類を守護している存在だということを。
ともすると、一瞬の閃きがあったかと思えば……なんとイシュトが眼前へと立っていた。
「っえぇ──イシュトさん!? もしかして思い直したんですか?」
「ちがうよ? ただベイリルちゃんに言われて、ちょっと試してみたの」
そう言って差し出してきた手から、俺は手の平ほどの大きさの"白い竜鱗"を受け取った。
「アッシュに加護はあげられないけど、"これ"ならお守りになる。|白黒二柱分ね」
渡された"白い竜鱗"を裏返すと"黒き竜鱗"があった。白竜と黒竜の重ね合わさった鱗、白と黒の想いが込められたアッシュへの形見。
「それじゃルルーテちゃん、もう大丈夫だからやっちゃって」
「わかった」
ルルーテが返事すると、黒竜の周囲の大地が盛り上がって包み込んでいく。
「今度こそ、じゃあね!」
もう一度だけ閃きがあると、黒竜と共に沈んでいく白竜の姿があった。
(最後の最期まであの竜は……)
アッシュを撫でながらそう心中で呟いた俺の表情には、自然と穏やかな笑みが浮かんでいたのだった──




