#254 大地の愛娘
地上生物で最大なんじゃないか、と思えるほどの超巨体を誇る黒竜の飛行速度は思ったよりも速く──
同時に緑竜が操る風は、適切なペースと相対距離を保って俺とアッシュを運んでくれた。
アッシュの声もさすがにカスッカスに枯れてきていて、俺も魔力が限界に近かくなる頃……。
(ようやく見えてきた……)
それでもどうにかこうにか、誘導を続けて"断絶壁"へと到着する。
黒竜は道中にも闇黒を撒き散らし続けたが、飛行していたおかげで地上への影響はさほどでもないだろうと思いたい。
さしあたって赤竜にも迷惑を掛けずに済んだことにも安堵する。とはいえまだ終わったわけではない。
「……本当にここまで、ありがとね。ベイリルちゃん」
「なんのなんの、大したことは──したつもりですけど、アッシュの為でもありますから」
いつまでも痛苦の中で生き長らえるのは、とてつもなく耐え難いものであろう。
それは言うなれば"終末医療"にも似ている。
家族が苦しんでいて、それを救済する方法がないのならば……。
母である白竜イシュトが、伴侶であった黒竜を解放してやる選択を、俺は尊重したい。
まだ完全に理解できていないであろうアッシュにとっても、それは見届けねばならぬことだろう。
「あなたが、この仔の第二の父であってくれて……本当に良かったよ」
「俺の方こそ誇りに思います。イシュトさんたちの仔の親代わりになれて」
それは素直な気持ちであった。そして人と人とでも、人と竜とでも──巡り会いとは……本当に奇なるモノであると。
「あ──っと、グリストゥムさん! ここら辺で大丈夫です!」
俺は高空を飛ぶ緑竜グリストゥムに、声を掛ける。
「まだ壁は向こうだがー?」
「いえ! あまり壁に近付きすぎても、それはそれでマズいので!」
"壁街"からはかなり離れてはいるが、それでも"断絶壁"それ自体は魔領からの侵攻を阻む防波堤である。
仮に激突で破壊されても"大地の愛娘"ルルーテであれば──すぐに直せるかも知れないが──余計な手間を掛けさせるのも忍びない。
先だって魔族軍を"地殻津波"で粉砕した距離を考えれば……十分、彼女の探索・撃滅範囲。
であれば少し離れたところのほうが安全であろう。音波発信も、全力であればここからでも届く。
「言っておくが、ヒトの指図を聞いたわけじゃないからな」
そう緑竜らしい一言を残し、風はゆっくりと高度を下げつつ……旋回するような軌道でもって、低空飛行に移っていく。
黒竜もそれに呼応するように、闇黒を纏いし巨体を地面に向かって落とすのだった。
「ふゥー……」
俺は"六重風皮膜"を纏いながら音もなく着地し、肩に引っ掛けていた"黄竜兵装"をその場に置く。
トンットンッとその場で跳躍を踏みつつ、黒竜が地面を削るように着地するのを眼前に捉える。
「誘導は無事完了──続いて第二段階」
俺は財団員ローブの内ポケットに入っている魔薬を取り出した。
ストックしておいた最後の補給を胃に流し込んだところで、両腕を上空へと掲げた。
(体力はそこそこ、気力はそれなり、魔力も……許容範囲)
俺は魔力の流れを意識しつつ、例によって光速で隣に佇むイシュトが頷くのを確認する。
そうして"大地の愛娘"を呼び出すべく、地面へと音圧振動を撃ち込む──まさにその刹那に中断し、手を半端に止めた。
「またキミ?」
「──……どうも、おはようございます? ルルーテさん」
まるで最初からそこに居たかのように、目的である"五英傑"が再び立っていた。
「眠りが浅かったせいで起こされた、なにあれ」
「黒竜です」
俺が答えると、"大地の愛娘"が言葉を返すよりも先に黒竜の咆哮が一帯に響き渡る。
さらに間髪入れぬまま、黒竜の口腔から"闇黒色の吐息"が放たれた。
(あ──喰らったら死ぬな)
到達する数秒の間に俺はそんなことを思い……。
他方、"大地の愛娘"ルルーテは「ふわぁ……」っと欠伸を一つ。
すると地響きを少しばかり、岩盤が山のようにせり上がり、黒色の一切を通さず遮断した。
偉大な大地は、砕けない。その形成に魔力を介在していても、それは創り出しているわけではない。
物理的に存在する岩ならば、闇黒であろうとも減衰されることも消滅させられることもないのだろうが……その衝撃まで全て受けきるのはルルーテだからこそなのだろう。
「……もう、うるさいな」
呟くように一言、ルルーテの声を俺の半長耳が拾って数秒──大地が噴火した。
「はっはぁ~……──!?」
俺はそれ以上言葉はおろか、思考すら止まってしまう。
赤とも黄とも白とも取れるかのような輝きが黒竜を包み込み、そのまま上空まで打ち上がる極大質量の塊。
それは溶岩……ですらない。溶けた岩ではなく、"融解した鉄"であろうと直観的に察した。
("スーパープルーム"……)
俺の心中でそんな言葉と、かつて前世で見た映像記憶が脳裏に浮かんでいた。
星の煌めき──核融合反応の行き着く果ては"鉄"である。
すなわち惑星の"地核"と"マントル"。超高密度の鉄は融けて流動し、惑星中心にて磁界を作り出す。
そんな惑星の奥深くに存在するドロドロの金属や岩石類を噴出させるという、常軌を逸するどころではない事態。
かつて地球史において最大級の絶滅被害を引き起こした、超極大災害"マントルプルーム"。
ドキュメンタリー動画で見たその光景が……局所的に眼前で繰り広げられてるのだ。
(究極の地属魔法……否、大陸魔法とも言うべきか。惑星そのものを司る"星"属魔法とも言えそうだ)
あるいは自転を止めたりなんかも、あっさりとやってしまえるのでは? と思えてしまうほどに。
今まで数多くのモノを見てきたが……この世界に染まったハズの常識が、さらに塗り替えられた心地。
(なるほど……これはたった一人で世界滅ぼせるわ、うん)
白竜イシュトが、黒竜を殺しきれる──と確信するだけの強度が……ここにきてようやく理解できた。
人類が創り上げたあらゆる文明を一切合財、一日もあれば灰燼へと帰すことができようと。
そしてさらに恐るべきは、これほど圧倒的な力を──片手間で、完璧精緻にコントロールしているということにある。
だからこそ俺は、なけなしの気力を振り絞ってルルーテへと尋ねる。
"文明回華"を推し進めていく上で、必ず聞いておかねばならぬ"義務"が俺にはあったからだ。
「ルルーテさん、あなたの目的はなんですか?」
"大地の愛娘"はこちらへと首だけを傾けながら、半眼を合わせてくる。
「……? 寝ること」
特に問い返されるようなこともなく、あっさりと……そして単純な答えが返ってきた。
「ここはわたしの安眠場所なの、だから邪魔しないで」
「……はい」
俺はにべもなく頷いて、それ以上の言葉をぶつけることはなかった。
彼女は魔物や魔族の侵攻を防ぐ英雄であり、それゆえに"五英傑"に数えられた。
しかしその内実は──自分の為だったということか。単に安眠妨害する連中を潰すという……ただそれだけ。
(なら、まぁいい)
つまるところココでドンパチをやらなければ済む。刺激さえしなければ敵対されることもないのだ。
むしろ"大地の愛娘"が老いて往生するまで、魔領側から連邦側への侵攻がないというのは、不確定要素の一つを潰せるということ。
俺は視線だけでイシュトの様子を窺った。
アッシュをその胸に抱いて、母と子で父の最期を見送る様子……。
彼女の心を推し量ることは、俺だけでなくきっと他の誰にも不可能であろうと──




