#252 大空隙 II
「我──天高く坐す王の恩寵を忘れ、彼の者の道行を阻みし者なり。
其の大いなる力をほしいままにし──蒼穹を駆けし我が翼は、蝋であろうと融かさせまい。
不義不忠の背信なれど、この身にて体現せし日輪は──あまねく闇影を打ち祓い、その威光をさらなる高みへと導かん」
それは空気の屈折率を利用し、光の通り路を捻じ曲げ、己の姿を隠す"歪光迷彩"の応用でもある。
すなわち魔術によって空気を歪めて凸レンズのように形成し、集約点の幅を大きくする為に何層も段階ごとに縮小し、重ね、展開させた。
「名付けて、空六柱改法──」
俺は挙げていた両手を、勢いよく振り下ろす。
「"天道崩し"」
遥か天空から集積された太陽光は、一筋の太陽光線として収束する。
それは純粋なる物理光であって、魔術が介在するのは空気で作った凸レンズのみ。
であればそのエネルギーはほぼ100%、闇黒によって減衰されることなく徹るはず。
大空隙を真っ直ぐ貫いた光熱線。
一筋の光の柱が立った時、峡谷内に反響する黒竜の咆哮と共に闇黒が溢れ出す。
その黒き声を聞いた黒竜教徒達は、瘴気を浴びながらも一箇所に集まり出すのを眺めつつ──俺は冷静に手応えを確認する。
(ガンマレイ・ブラストよりは扱いやすいが……やはり、威力はかなり劣るな)
歪光空気レンズは光線の負荷ですぐに割れて霧散してしまったが、消費対効果それ自体はそこまで悪くない。
あらかじめ準備して放てる状況であれば、十分な実用に堪える魔術だろう。
「なんで通じたかよくわかんないけど、ベイリルちゃんヤッタねぇ!」
「いやぁ、我ながら上手くやったかと。詳しくは後で説明しま──って、あーあー……」
絶望と歓喜が入り混じるような狂乱状態で、黒竜教徒らは心身で打ち震えるように互いに殺し合いを始めていた。
「あれだけの濃度に曝されちゃあねぇ……そりゃムリない話だよ」
"闇黒"によって精神汚染すら引き起こされるという、今まさに眼下で展開されている光景。
おぞましいと思うよりも先んじた俺の全感覚が、警鐘を鳴らし始める。
「ベイリルちゃん──っちょい、離れたほうがいいね」
「っ……はい」
俺はアッシュを懐に抱いて、大気を踏み台に大きく後退して距離を取る。
そうして大空隙から現れ出でたのは──黒き鱗に黒き翼を広げた、闇黒を纏いし"黒竜"だった。
崖際で争っていた黒竜教徒は、たった一息にてまとめて踏み潰されていた。
俺は安全圏を保ちつつ「まぁ、本望だろう」と呟くと、既に隣にいたイシュトから背を叩かれる。
「わたしも負けてらんないな!」
そう口にしたイシュトの人差し指から、"小さな光球"が出現していた。
それを見た俺は一瞬にして総毛立つ心地にさせられ、恐る恐る聞いてみる。
「なっ……んなんですか、それ──」
「これはわたしの光輝を一点に凝縮したもの。危ないよ」
普通の魔術ならば消滅する、なら減衰したところで届くくらいの出力にすればいいじゃない。
"放射殲滅光烈波"すら凌駕しうるかも知れず、かつクリーンなエネルギーによるイシュトの極大火力。
それを素のままに、簡単に地でやれるというところが、まさしく"七色竜"たる所以であろう。
眼が一発で潰れるであろう明度すらも集束させたイシュトは、いつの間にか黒竜の直上へと一瞬で移動していた。
「ひさしぶり、黒──いや、"ブランケル"」
イシュトの声は黒竜の地響くような唸りに掻き消されて、俺の半長耳まで届くことはなかった。
優しげな笑みを浮かべたまま、イシュトは光球から"光閃"へと変えて撃ち放つ。
点から線へと指先から迸った一本の収束光線が、黒竜へと深々突き刺さる。
さらにイシュトはその状態のまま光速機動に移り、線は無数の壁のように縦横無尽に、黒鱗を四方八方から削っていく。
イシュトが描く光の輝跡が一瞬で繰り返された結果、光閃それ自体が"巨大な光の球"となって見えるほどに黒竜を包み込んだのだった。
「半端ねぇ……」
俺がそう吐き出した数瞬の内に光は消え失せ、巨大な光の残像と共に黒竜の咆哮が大気をもう一度震わせた。
「いやぁ~やっぱ難しいね、鱗は貫けてもその先がきつい」
最初からそこにいたかのように光速で隣に立って話し掛けてくるイシュトに、俺は率直に疑問をぶつける。
「あれほどの光輝でも効いてないんですか」
「肉体内部は最も濃縮された闇黒みたいなもんだからね。貫いた瞬間、一気に消滅させられてるっぽい」
「……つまり半分"現象化"しているようなもの、だと?」
「ベイリルちゃん、ソレなかなか言い当ててるかも」
俺は闇黒を撒き散らす黒竜を見据える。直撃させたハズの"天道崩し"のダメージも見受けられないということは単純に火力不足。
そしてイシュトの"光閃"でも無理ならば、つまるところ強力無比な魔術も効かないということを意味する。
「それに案の定、完全に正気を失っちゃってるから……わたしにも気付いてないし」
「誘導、できますか?」
「どうだろう、このままだと大陸中を暴れ回りそう。赤に怒られるかな~」
(怒られる程度じゃ済まない気がするが……)
否、そもそも竜同士で争っている場合ですらなくなる。
「まぁまぁ、もうちょっとイケると思ったけど以前より大分ヤバくなってるね。う~ん、どうしよ」
その巨大さは黄・赤・緑を軽く凌駕し、首から尾までの全長は400メートル近くはあろう断絶壁に匹敵するだけの威容。
そして"魔獣メキリヴナ"も可愛く見えるほどの禍々しさと、白竜イリュトの攻撃も意に介さない強度。
(アレを打ち倒すのは不可能だな、フラウでもオーラム殿でも止めておけるような相手じゃない)
魔王具を扱う三代神王ディアマですら討伐しきれなかった、"魔竜"とまで呼ばれし黒き大厄災。
「おいおい白、どうすんだよアレ」
ともすると人化した緑竜グリストゥムが、呆れ顔で並び飛んでいた。
「どうしよっかぁ、緑」
「ボクが知るかよ!? 白は昔っから甘いんだよイロイロとさ」
(確かに……俺も見通しが甘かったな──)
黒竜はこのまま狂気の内に暴れ回り、大陸を闇黒によって汚染させていくかも知れない。
"折れぬ鋼の"に連絡が届いて駆け付けるまでに、皇国にどれだけ被害が及ぼされるだろうか。
"無二たる"カエジウスとて願いを聞き届けてくれるかも怪しく、そもそも特区まで向かうのに時間も掛かり過ぎてしまう。
(いっそ"大地の愛娘"の方を、大空隙まで誘導すべきだったか……)
シップスクラーク財団で対処するには、黒竜の強度はあまりにも超越している。
魔術を無効化され、同士討ちの危険性も孕んだ"闇黒"の性質上──オールスターを揃えても無理筋。
規格外に対抗するには、やはり同じ規格外を連れてくる他ない。
「まったく……白も黒も本当にしょうもない。赤と青をすぐに呼んできなよ、白」
「えっ? どうするつもり?」
「総出で止めるしかないだろ、黒をさ。正直それで止められるかもわからないけど」
「緑って、なんだかんだでイイ奴だよね」
またとんでもないことを言い出した緑竜の視線が、俺へと向けられる。
「そういうワケだ、おいヒト……黄はどこにいる」
「っと、それは……さる事情がありまして、申し上げられません」
「はぁあ??」
「ただし黄竜を担ぎ出すのであれば、"五英傑"の一人と揉めることになるとだけ」
「五英傑ってのは、ボクらくらい強いんだっけか。んなっ……暇はないな、黄までほんと何やってんだかさぁ」
心底うんざりするような声音で、緑竜グリストゥムは溜息を吐き出した。
正直に言ってしまえば、七色竜が一堂に会すサマは見てみたい。
それにカエジウスに残る願いの一つを使えば、一時的に黄竜を連れてくることも可能かも知れないと。
しかしそれまでに世界にどれだけの爪痕が残されるかと考えると、まずやっておくべきことがあった。
「まだ試してないことがあります」
「ぁあ? どういうことさ」
「なになに、ベイリルちゃん。なんか妙案あるの? イケる?」
「とりあえずやってみてからでも遅くはないかと──」
そして俺は詠唱し、創り上げたモノを黒竜へと撃ち放ったのだった。




