#251 大空隙 I
"大空隙"──皇国から魔領に掛けて直線的に続く大峡谷。
危険地帯として国家から指定されている場所の一つで、黒竜以外の生物は存在しないという魔の谷。
上空から眺めるに……真っ暗闇で、まるで底が存在しないかのような恐怖すら感じさせる。
俺とアッシュと白竜イシュトは、上から固化空気の足場からその景色を眺望する。
一方でここまでついてきた緑竜は我関せずといった様子で、眷属の風竜と共にさらに高みから見物を決め込んでいるようだった。
「自然の雄大さを感じますね」
実際にはディアマによる魔剣によって人工的に作られたものであるのだが、胸に去来するのも無理からぬ。
「元々はこんなに大きくなかったんだけどね」
「年月でどんどん拡がっていったと」
それならば半分は自然と言っても良いのだろうか。
いずれにせよ黒竜から発せられる"闇黒"さえなければ、"自然遺産"の一つとして観光名所になっていたに違いない。
(あるいは地形を利用して、対魔族用の要塞でも作られたか──)
それはそれで見る者を圧倒する威容を誇ったであろう。
「このままずーーーっと拡大し続けたら、いずれ"極西"もできるかもね」
「イシュトさんたちならともかく……俺の寿命ではさすがに拝めないでしょうね」
冗談を言いながら、俺は"遠視"を使って状況把握に努める。
地平線の向こうまで続く大空隙と、地上近くまで揺らめく"黒い瘴気"。
(さしずめ"闇黒物質"と言ったところか、何かしら利用できないものかね)
宇宙空間に既知物質の数倍も存在するとされる"暗黒物質"とは、また別物だろう。
根源的には"黒色の魔力"とでも言えば良いのか、どちらかというと"ダークエネルギー"のほうが近いのかも知れない。
方法が見つかれば大いに研究したいモノであり、利用可能となればその価値は計り知れない。
「……というか、ここから黒竜を探すんですか?」
「んっ~?」
あまりに広大。しらみ潰しに探索するには危険過ぎるし、どれだけ膨大な時間を浪費することか。
「俺の反響定位によるソナー探査でも、どれだけ掛かることか」
「ふっふふふ~ん、安心なさいベイリルちゃん。わたしも探索は得意なほうだからさ」
そう言うとイシュトは固化空気の足場を蹴って、フワリと飛び上がると同時に右腕を"光子化"させていた。
「せーの!!」
彼女の掛け声と共に放たれた閃光は、拡散しながらも指向性をもって谷底へと吸い込まれていった。
「もうちょっと向こうかな~、でも結構近い感じ」
「っと……イシュトさん、つまり?」
「黒がいるところが一番"闇黒"が濃いの。だから光の吸収と反射具合で、大体の位置はわかるんだ」
「なるほど、納得しました」
濃度分布で判断し、居場所を特定する。まさしく光輝の白竜だからこそ可能な方法であろうと。
「それじゃぁわたしは一足先に探してくるから、のんびり追いついてきていいよん」
言うやいなやイシュトの姿は一瞬で視界から消え失せ、遥か彼方で光がまた何度となく閃いたのだった。
◇
「あの辺ですか」
「そう、あの辺。墜落したら終わりだと思ってね、あれだけ濃いと飛行魔術なんてゼッタイに使えなくなるから」
不必要に近付かなければ問題ない話であり、俺はそれよりも気になる部分についても尋ねる。
「ところであいつらは……"黒竜信仰者"ですか」
「だろうねぇ」
そこには漆黒のローブを身に纏った100人以上の一団が、居を作って生活しているようだった。
"竜教団"──主に頂竜や七色竜のような強大なドラゴンを崇拝し、その力の一端を授かろうという宗教である。
竜族全体を信仰するような宗派も存在し、魔術具文明を捨てて原初の生活をすすんで行うような奇特な連中すらいると聞く。
彼らも空をいちいち見上げることもないのか、まだこちらは気取られていない。
半長耳がキャッチするわずかな会話の節々も、かつて幼少期に過ごしたイアモン宗道団を思い出させるような内容であった。
「誘導の為に"闇黒"が漏れ出たら死にますよね」
「しょうがないんじゃない? どうせ狂ってるからあんなことに住んでるんだろうし」
「ある意味で悲願達成、ということですか」
「うんうん、わたしも何度かあの手の連中は会ってきたけど……正直に言って、はた迷惑なものだよ」
(まぁ……本人らからしたら、往々にしてそんなもんか)
仮に即物的で俗物的な観念を持っていれば、宗教団体の教祖として好き勝手に振る舞えることだろう。
しかしながら"人化"したとは言っても、やはり竜の根っこは竜であって、人族の価値観とは違うようだった。
「ただ……黒の位置を、ほぼ正確に特定してた──その執念だけは買うよ。そういうとこが人間の凄いところだもん」
どこか懐かしむような表情を貼り付けたイシュトは、すぐに目を細めて冷淡な口調で述べる。
「でも犠牲は仕方ない。言って聞くような奴らじゃないし」
「まぁ狂信者は厄介ですからね、邪魔しようものなら処理しておくことにしましょう」
俺は自らの教訓から、しみじみと同意した。つい最近もアーセンを思い出せるばかり。
どうにか生かしたとしても、後から「我らの黒竜を奪った」とか難癖つけて襲い掛かられでもしたら面倒である。
備える常識も違えば、価値観も理屈も、何もかも相容れないのが教団であり狂団なのだ。
「……それで、イシュトさん。策は何かあるんですか」
「光輝をぶち込んで、怒って出てきたら、そのまま連れてく」
無計画とも思えるほどの単純さ──しかしながら、物事とは複雑にすれば良いものでもない。
黒竜という存在が抱える厄介さと、白竜イシュトの実力を考えれば……それで通るし、それ以外は徹らないのかも知れない。
「さしあたって俺が試してみても?」
「無駄な消費になると思うけど?」
イシュトは歯に衣着せず、はっきりと言ってくるが……俺には俺で考えがあった。
「解説しましょう。三代神王ディアマが"永劫魔剣"でぶった斬れたということは、"無属魔術"──ならやれたってことです」
「普通の魔術よりは──って程度だろうけどね。あの時は単に出力がヤバかったんだと思うよ」
魔力それ自体を直接的に放出・固定することによって形成する、"魔力力場"。
ただし恐らくは魔力そのものすらも減衰させただろうことが、ディアマでも黒竜を仕留め切れなかった理由だろう。
「ですね。俺が無属魔術を使ったとしても、たかが知れた威力……」
「あと、あの時は黒も地上にいたわけで。今みたいに闇黒に包まれた谷底に、あの時の魔剣が届くとも限らないよ」
「仰る通りです」
「ふんふん、じゃぁどうするね? いつでも前言を撤回して指をくわえて見ててもいいよ~?」
こちらから何かを引き出すように煽るイシュトに、俺は意志を言葉に込めて応える。
「魔術は届く前に消滅、強力な無属魔術でも減衰される。ならば魔術や魔力を……"闇黒"に直接ぶつけなければいい」
無属魔術とは、言うなれば現象を伴わない純粋な魔力としてのエネルギー。
純粋な魔力なら塗り潰す闇黒という干渉を緩和しつつ、斬撃を見舞うことができた。
ならばいっそ魔力を一切介さず純粋な物理現象として通じさせれば、ダメージを与えられるに違いないと。
「ふーん、どういうことかな?」
首を傾げて疑問符を浮かべるイシュトに、俺は歯を剥き出すように告げる。
「模倣らせてもらいますよ、イシュトさん」
魔力を加速させながら、俺は強く形状をイメージ構築していく。
それを発露するように両腕を上空へと掲げて、太陽を捻るように動かしていった。




