#246 七色竜 I
皇国と魔領をまたぐ"大空隙"を目指し、俺は灰竜アッシュを傍らに高高度を飛行し続ける──
魔術で音の壁を突破してソニックブームすらも巻き込んで推進力に変える音速飛行と、ローブを広げて硬化させた慣性による滑空飛行の繰り返し。
エコ運転ではあるが、それでも並大抵の飛空魔術士でも追いつけない速度である。
しかして光が閃くたびに、難なく追いついたり追い抜いたりするのが……白竜イシュトであった。
「一人ならすぐ到着してたんでしょうね、"光速移動"」
「まっ──ねぇ──」
俺の一人言のような呟きを、イシュトはしっかりと拾って返してきた。
音速はおろか雷速ですら陳腐に思える、他を超越した超機動力。
転移の魔王具を用いるアイトエルでようやく同等以上と言えるが、魔力消費を考えればイシュトの圧勝であろう。
(光速で動けるなら……きっと世界が止まって見えるんかな)
相対的に自分だけが動けるようなものであり、刹那の時間を独り占めしているかのような心地だろか。
"時を止める"──いつまでもこのままでいたい──この時間がずっと続けばいいのに──
それもまた一つの憧れであり、多くの人類が抱いてきた夢想をあっさり体現している存在。
そんなことを考えていると、俺は空腹を感じてやむなく口を開く。
「すみませんイシュトさん、食事休憩していいですか」
するとイシュトは言葉ではなく、やや離れた位置から両腕で大きく丸を描いたジェスチャーで返してくるのだった。
◇
地平線に山々を望む絶景で、固化空気の足場に二人と一匹で座って食事をする。
「大言した手前、足を引っ張っちゃって申し訳ないです。皆への説明と準備の為にも半日もらいましたし」
「別にいいよー、もしも"大地の愛娘"が現れなかった時には協力してもらうわけだし」
いっそのこと俺は"断絶壁"で万端待機し、イシュトだけで向かってもらった方が良かったようにも思う。
このまま大空隙まで向かえば、どのみち魔力も消耗しすぐには助力することもできない。
そこらへんも見越しての早めの栄養補給ではあるが、ペース配分を考えると現地でもまた休ませてもらわねばなるまい。
「それにアッシュを連れてくのに、ベイリルちゃんのほうが負担少ないしね」
「クゥゥゥ?」
首を傾げる灰竜──この幼竜は一体どこまで理解しているのだろうか。
よく使う簡単な人語は解すだけの頭の良さはあるが、多様な概念までを認識しているかは定かではない。
白竜イシュトが母親であるということ、そして父である黒竜の死を見届けることになるその意味を。
(……まぁいいか、どのみちイシュトさんを死なせなければ済む話だ)
俺は調理肉を貪り食うアッシュの頭を撫でる。
このまま学び、成長したいつか──これから起きる出来事も含めて、真実を理解できる日がこよう。
その時は母の愛情としたたかさをもって、アッシュも受け入れられるだろうと。
「アッシュは俺の責任で守りますんで」
「まかせたよ」
俺は最後の一口をかっこんでから、ふとした疑問をイシュトへ投げ掛ける。
「ところで黒竜の速度っていかほどでしょう? 逃げ切れないと……ですよね」
「さっきまでの速度維持できるならだいじょぶダイジョブ。巨体なのを考えても、普通の竜よりは速い程度だと思う」
「"現象化の秘法"を使っても?」
「"闇黒化"したらむしろ遅くなるかな。"現象化"して速くなるのは……半分もいないね」
言われた俺は頭の中で七柱を並べて、単純に考えて口にする。
「光輝の"白"。雷霆の"黄"。豪嵐の"緑"──ですか」
「そだねぇ、割と普通に飛行するほうが速いし楽なもんだから」
(いやほんっと……"黄竜"が真剣じゃなくて良かった)
あの大きさの"雷化"に太刀打ちできる術はないし、その状態で雷速移動でもされたら……それだけでアウトだ。
ワーム迷宮最下層という密閉空間でなくとも、速度差が圧倒的すぎる。
目の前にいる"光子化"できるイシュトも含めて、つくづく神話や伝説の中の存在であると認識させられる。
「でも速いからなんでも思い通りになる、ってわけじゃぁないんだよねぇ」
「……と、言いますと?」
「たとえば"青"が本気で領域を展開したら、どんな動きも停められちゃうし」
(う~ん……"絶対零度"かな?)
氷雪を司る"青竜"──同じ七色竜の一柱であれば、あらゆる分子運動を停止させることもさもありなん。
「ん……?」
「あっ──」
その時だった。俺は微妙な空気の変化を感じ取り、同時にイシュトも何かに気付いた様子を見せる。
さながら絶対零度の逆──熱によって分子運動が活発になり、大気が揺らいでいく感覚であった。
(っ……いやそうか、失念していた。ここらへんで見える山っつったら──)
遥か遠くからでも視認できた"赤いシルエット"は、どんどん大きくなっていく。
それに比例するように熱量もグングン上がっていき、俺はアッシュを抱えて"六重風皮膜"を纏い直さざるを得なかった。
かの山は──"竜騎士特区"とも呼ばれる──世界第2位の標高を誇り、唯一人間と共存する火竜の棲み処。
『こんなところで何をしている、"白"』
俺は現れた巨影に対し、色違いの既視感が心中で蘇る。
火をそのまま閉じ込めたような赤色の鱗。後ろ向きに生える二本角。
上下で整然と並んだ鋭い牙。両翼を広げ、はばたく差し渡しは……いつか見た時と同じ100メートルにはなろう。
足と前腕は"黄色"よりはやや小さく、俺の記憶の中にある"前世における原型"により近いイメージと重なった。
眼前の存在こそ"赤竜特区"の主であり、"赤竜山"の頂点に住まう──"七色竜"の一柱。
(炎熱を司りし"赤竜"──"風皮膜"を張ってなきゃ死んでるぞこれ)
ただ目の前にいるだけで弁当箱が融解し、固化空気の足場も消失するほどの熱。
俺はそのままアッシュと共に空中に浮遊しながら、"光子化"もせずに平然としているイシュトの反応を待つ。
「そんなことよりも"赤"。まず暑いからさ、引っ込めてくれるかな?」
『……』
赤竜は黙したまま、己自身から発せられていた輻射熱を抑えていく。
「なになに、昂ぶってたの? 熱放射は無意識だったもんねぇ」
『幾筋も光跡が見えた。貴様が何度も見えるということは、何かを悪しき企図をしている時だろう、白』
「失敬だなあ」
『貴様が遠く過ぎ去りし刻を忘れたとしても、我は覚えているぞ』
すると赤竜の視線が一瞬だけこちらへと向けられ、俺は射竦められそうになるのを堪える。
黄竜と闘ったという経験があるからか、自分でも存外落ち着けているのが少し驚きでもあった。
『人間の身の速度に合わせていたのか。それに──小さき同族もいるな』
その言葉に呼応するかのようにアッシュが外套の下から飛び出すと、赤竜の瞳が見開かれる。
『"灰"色……だと』
「眷属じゃぁないよ」
『その程度はわかる──そうか白、貴様……そういうことか』
「名前は"アッシュ"って言うの」
『聞いてはおらん。方角からしても、白よ……黒を眠りから起こすつもりだな』
「ふっふん、だったらなぁに?」
『あれを目覚めさせることは罷りならん。彼奴が紛うことなき"厄災"であること、貴様が誰よりも知っているはずだ』
赤竜の口元から煌々とした赤き炎熱が漏れ出でて、俺はもしも暴れだしたらどう躱し、いなすかを考える。
『今すぐに考え直すのならば、見逃してやる」
「みのがすぅ……? 随分と甘くみられたものだーねぇ!」
地上最強クラスたる存在そのものの圧がぶつかり合うのを眼の前に、さしもの俺もたじろがざるを得ない。
『黒き厄災はあらゆるものを脅かす、それは我らの領域も例外ではない』
「遅かれ早かれ覚醒するよ、黒は」
『だからと言って、自らの手で冒し早める必要はない』
「赤にはなくても、白には必要あるんだよ。どうせ察するなら、そこまで察してもらいたいな」
一度は抑えたはずの熱がまた噴き出してきているのか、実際に大気ごと空間が歪むような錯覚すら覚える。
「白黒の自己満足に付き合うつもりはない。諦めぬのならば焼却する」
「まったく昔っから融通が利かないんだから。ごめんねぇ、ベイリルちゃん……少しアッシュと逃げててもらえるかな」
「──了解です」
俺はアッシュを抱きかかえたまま距離を取る。
そして"炎熱"は竜の姿のまま牙を剥き出しに瞳孔を開かせ、"光輝"は自らを光へと変えながら不敵に笑ったのだった。




