#243 白色の輝跡 III
「だからこそ……彼女なら殺せるんだ、黒竜をね」
"黒竜"──闇影を司りし、七色竜の一柱。
(そしてアッシュの父親であり、イシュトさんが愛した人を──殺す?)
「竜はねぇ、みーんな弱くなったんだ」
「……イシュトさんも?」
「もっちのろん! 原因は魔力の"枯渇"に近いのかな~? あそこまでヒドくはないんだけど」
「神族特有のものでなく、竜種も例外じゃなかったんですね」
「うん、でも唯一黒竜だけは違った。わがままで、独善的で、誰にも阿ることのなかった黒色は──」
イシュトは何かを思い出すように数拍ほど置いてから、言葉を続ける。
「弱くなることを誰よりも拒絶した。だからなのかな……逆に魔力の"暴走"に近いことが起こった」
「それで"魔竜"ともアダ名されるようになったと」
黒竜は七色竜の一柱ではあるものの、歴史においては黒竜以上に魔竜と呼ばれることが多い。
魔人や魔獣に類する唯一の魔竜。その暴威は、かつて発展の中途にあった国をいくつも滅ぼしたと聞く。
「なら続きも知ってるね? 魔竜を止めたのが、三代神王"ディアマ"」
「いえ、知らないですけど……」
「あっれ~? そこは語られてない? まっいいや。ディアマの魔剣が黒竜を止めた」
「と言うと、"無限抱擁"──いえ彼女が使う場合は"永劫魔剣"ですかね?」
ディアマが使っていた頃の名残として、俺はあえて区別して呼称する。
「そうだよぉ、"大空隙"を作ったのが彼女だからね」
「あー、えーーーっと……──なるほど。そういうことですか」
アイトエルと話していた時もそうだったが、予想だにしていない歴史の真実をいくつも知る。
"大空隙"──皇国から魔領にかけて存在する、世界の亀裂とも言えるほどとてつもなく巨大な地割れ。
"ワーム海"や"断絶壁"とはまた別の意味で、大陸にその造形を刻み込んだ"自然遺産"とも言える場所。
「"永劫魔剣"で斬ったんですね、大地を……黒竜ごと」
大陸を斬断し、極東を作り出したと言われる三代神王ならさもありなん。
むしろ大空隙は魔力放出による力場の出力が足りず、島国のなりそこないとなってしまったとさえ言えるのかも知れない。
「ベイリルちゃん、するどい!」
「これでもディアマ派を信奉する教団で、幼少期を育ったもので……」
今思えば──イアモン宗道団はカルト教団であると同時に、秘密結社としての性質も帯びていた。
教団ごと潰して永劫魔剣を含めて様々な遺産を収奪できたことは、財団にとっては決して小さくない成果ともなった。
「へっへぇ~そうなんだぁ、転生してから数奇な人生を歩んでるんだね」
「えぇまぁ、はい。……それで、黒竜を討伐するには至らなかったわけですか」
「しばらく活動停止に追い込むくらいには斬れたっぽいけど、それ以上に大地が斬れちゃったから」
「追撃は……していない?」
「無理ぃ。永劫魔剣がいくら無限の魔力とはいっても、放出した分だけまた貯留する必要があるもの」
やはり任意全能の魔法を体現した魔王具といっても、その運用に関して無尽蔵というわけではなく。
だからこそ、未だに世界がこうして保たれていると言えるのかも知れない。
「直接殺ろうにも、大空隙の奥底は黒から漏れる"闇黒"によって満たされ、だ~れも近付くことができないんだ」
「黒竜が使うのは"闇属魔術"……?」
氷や光、あるいは雷や爆発や毒などは珍しいものの存在するが、一般に闇属魔術というカテゴリは存在しない。
(ブラックホールを闇と捉えるならば、フラウの重力魔術はある意味で闇属とも言えないこともないが──)
ただ重力をブラックホールと結び付けようにも、異世界にそんな天体知識は存在しない。
それに闇と分類するには、いささかこじつけが過ぎるというものだ。重力ならば地属属性とも言えるし、無属魔術とも言えるのだから。
そんなことを考えていると、イシュトはあっさりと答えを返してくる。
「闇はねぇ──ありとあらゆる魔法を消し飛ばすんだよ」
「魔法を、消す……?」
「そうだよ、闇黒に触れると──魔法はその効力を著しく減衰し、喪失させる」
初代魔王が唱えた"魔力の色説"を知っているからこそ、その話には大いに頷かせるものがあった。
つまり個々人の色そのものを、"黒色"は塗り潰してしまうということが直観的に理解できる。
神話の時代にはいくつも存在していたであろう魔法すら塗り潰すのであれば、当然ながら魔術だって通用するはずもない。
「あと直接触れたとしても、その者の正気を失わせる」
「精神的にも狂わされてしまうわけですか」
魔力は生命活動にも密接に関係し、血流を通じて体中を循環している。
そんな個々人に流れる魔力を、ひとたび強制的に塗り潰されてしまえば気が狂ってしまうの十分に考えられる。
「それで黒竜も正気を失ってちゃ世話ないんだけどねぇ」
そんなイシュトの口調は軽く、抑揚も高かったが……その表情には確かな憂いを帯びていた。
「最初はそうでもなかったけど、今では大空隙の歪みが拡がってきてかなりの大きさになってきてる。
皇国じゃいつか流出してしまうと危惧しててぇ、瘴気の為にいろいろと対策を講じようとしてるみたいだけど」
「闇黒の瘴気……五英傑である"折れぬ鋼の"でも無理なんでしょうか」
あの英雄ならばそんな危険を放ってはおくまい。
そしてあれが正気を失うようなヴィジョンは、まったくもって湧きはしなかった。
「"鋼ちゃん"の噂は色々と聞いてるけど──仮に正気を保てたとしても、大空隙の底は……真上にのぼった太陽光すら一切通さない無明の闇で満たされてるから」
「つまり視認ができないし、探すことすら困難……」
「しかもそんなところでやったらめったらに暴れたら──」
「……"折れぬ鋼の"それ自体が、瘴気流出の原因となりえるわけですね」
大空隙の容積を占めるほどの闇黒の瘴気が溢流すれば、収拾は確実につかなくなる。
「討ち倒せるかもわからないし、それでも何十日か何百日か──そういう戦いになると思う。かつての原初戦争のように滅茶苦茶な感じ」
大地を破壊し汚染しながらそんなことをやられては、世界が滅茶苦茶になってしまう。
ただしある意味で"折れぬ鋼の"を釘付けにしておける好機と見ることもできる。
しかしながら現状ではインメル領会戦のような局地戦はできても、シップスクラーク財団は領土を奪い取るほどの戦力を整えてはいない。
実際に軍事的にも、外交的にも、内政的にも、維持するだけの能力を備えるには、サイジック領にはまだまだ時間が必要だ。
"折れぬ鋼の"という極大戦力をそっちに割かせつつ、別の国や領土を攻めるような時期ではないので残念無念。
「"折れぬ鋼の"では難しくても……"大地の愛娘"ならば時間を掛けずに殺せると?」
そこで俺は本筋へと立ち返った言葉を紡いだ。するとイシュトは「うんうん」と頷いて肯定する。
「そう、ベイリルちゃんも見たでしょ?」
「まぁ言葉を失うのを通り越すヤバさでしたけど……」
どの"五英傑"も、その全力など想像がつかないのだが──少なくとも"大地の愛娘"は、スケールが桁違いなのは間違いない。
「"頂竜"でもあれはムリ! だからあの娘は地上最強どころじゃなく史上最強だよ?」
「っ……そ、そこまで言いますか」
はるか昔──英傑級が数多存在したであろう、全盛期の魔法使達が束になって戦ったのが竜種である。
今眼の前にいる白竜イシュトを含めたドラゴン族の頂点である存在ですら、"大地の愛娘"には届かないのだと彼女は言う。
(過言──じゃないっぽいな)
俺がいまいち信じきれてない表情を浮かべてしまったのか、諭すようにイシュトは告げてくる。
「わたしがアイトエルよりも優れていることがあるとすれば……あの頃の原初戦争を生き抜いた経験だよ。
他のことを忘れてることは多々あっても、あの頃の記憶はどうしたってこの身と心に深ぁ~く刻まれてる」
「想像だにつかないほど説得力のあるお言葉で」
「いろんな竜や人の強さの"底"を見てきたけど、一切見えなかったのは初めて!」
ゆっくりと空へと伸ばした両手を握ったイシュトは、大きく吐き出すように決意を口にした。
「だから案内してやるのさ。黒竜を永遠に眠らせられる存在がここにいるってわかったからね──」




