#241 白色の輝跡 I
宇宙にまで届かんばかりの天空から落ちる最中──地上にピカピカと輝く星のような光が見えた。
俺はその発光源である壁上へと降り立つと、知った顔を見つけて問い掛ける。
「……イシュトさん?」
「待ってたよ、ベイリルちゃん」
「わざわざ待っていたとは……急ぎの用、ですか?」
「う~ん、そうだね。気が変わる前に、かな。とりあえず二人っきりで話したいと思ってね」
神妙な様子ではあるが、その表情はどこか憑き物がとれたように晴れやかにも思える。
「ごめんね、わたし……財団を抜けようと思う」
「はい……えっ?」
俺は一瞬頷いた後に、呆気にとられた疑問符を投げる。
「えっ……と、何か粗相でもしました? 信頼を裏切るような真似とか……もし改善できることであれば──」
「ちがうちがう、見切りをつけたとか愛想を尽かしたとかじゃなくってぇ……ちょっとした私用だよ」
なんとか引き止めようとするものの、返ってきた答えはあっさりとしたものだった。
「よろしければ席はいつでも空けておきますよ?」
「いやぁまた戻ってくることは……多分ない、かな」
イシュトが示すありとあらゆる生体反応が、本気であることを告げていた。
(並々ならぬ決意があるのはわかるが、これは……──)
俺は彼女の真意をどことなく察する。そしてそれを踏みにじりたくもなければ、心を変えさせるだけの言葉も持ち合わせてはいない。
それでも理性ではなく、どうしようもないほど渦巻いた感情が……俺の肺から搾り出させる。
「……死ぬ気ですか?」
"天眼"を使わずとも、俺は直観的にそう感じていたのだった。
「へっへぇ~、どうして?」
「……なんで、ですかね。ただ──幼い頃に俺の前からいなくなった時の、母の瞳を思い出したんです」
我が母──"ヴェリリア"──何かを決意した強き双眸を最後に、俺の前からいなくなってしまった。
その後に"炎と血の惨劇"が故郷アイヘルを襲った為、そのまま行方が知れぬままである。
「もっともうちの母はどこかで生きてはいる──と思われることを、アイトエル殿と会った時に聞いてはいるんですけど。
ただイシュトさんは死へと向かう表情ともまた微妙に違うと言いますか。本当になんでしょう……自分でも言語化できない部分が告げているもので」
「なるほどなるほど。母の目っかぁ、それは意外と的を得ているのかも」
「……差し支えなければ伺っても?」
「聞きたい? う~んどうしよっかなぁ。まっ言うか言わまいか悩んだからこそ、わざわざ待ってたんだけど」
イシュトはトントンッとつま先で地面を叩きながら考え、そしてゆっくりと語り出す。
「とりあえず、死は覚悟しているかな」
「イシュトさんほどの人物を脅かす相手がいると?」
「本気のわたしを滅ぼせる奴なんてのは存在しないだろうけどね」
さらっとイシュトはとんでもないことを言ったが、とりあえず口を差し挟まず耳を傾ける。
「母ってのが、とてもイイ線いってる」
「イシュトさんにはお子さんがいらっしゃると」
容姿から察するにまだ20代にも見えるが、単なる若作りだったりあるいは若気の至りということもあろうか。
イシュトほどの魔術と魔力があれば、肉体活性による抗老化も十分に納得できる。
「そうだよ、ベイリルちゃんもよく知る仔」
「んんっ──!? 俺が知っている……?」
反射的に脳内を走査するもピンッとくるものがなかった。
ヤナギ……は魔族とヴァンパイアのハーフだから、イシュトの子ってことはまずない。
ここまで白く美しい髪や、顔や声などの面影を受け継いでいる者が──助けた孤児達を含めて、はたしていただろうか。
「それじゃぁヒントね。竜は魔法とは言わず、扱える力を"秘法"と呼ぶ」
「竜の秘法……?」
「うん、人間は外側の世界に対して魔力の領域を拡げるけど──竜種は自身の内側に際限なく領域を拡げるんだよ。
強靭な竜の肉体だからこそ強引にできる、そういうやり方もある。でも結局負けちゃったから……人のやり方のが強いのかもだけど」
俺はまったく脈絡のないようにも思えた話に眉をひそめ、ピンッと人差し指を立たせたイシュトを見つめた。
「現存する竜で秘法を使えるのは"七色竜"だけ。その秘法とは……"己が身を現象へと変える"こと」
するとイシュトの右腕が眩く輝きし"光の束"へと変わった。
闇夜に浮かんだ光子の塊は一瞬だけ辺りを眩く照らしてからすぐに元に戻り、俺は状況把握と脳内整理に追われる。
「そしてもう一つ、人間との戦争中に極一部だけが会得した秘法……それが"人化"──人の姿と相成るわけだ」
そこまで言われたところで、ようやく俺の中でありとあらゆる符号が繋がった。
純白の髪色。アイトエルの旧い知り合い。光属魔術の使い手。俺も知っている子供がいる。肉体の光子化。
(なるほど……人族への変身する"人化の秘法")
「長く──とぉっても長きに渡って戦っている中で……憧れちゃったんだろうねぇ。自分もこうなりたいってさ」
昔をなつかしげに語るようなイシュトに、俺は一足飛びに答えを口にする。
「──アッシュ。仔の名前はアッシュ」
「はい正解」
「イシュトさんが……七色竜が一柱──頂竜に次ぐ叡智を持つという、光輝を司りし"白竜"」
「ぷっく、あははははっ! 叡智だってさ~、そんな大層な知恵なんてないのに。でも噂ってのはそんなもんだよねぇ」
表情にも声色にも心音にも嘘偽りはなかった。
そもそも光子化を見せられ、それが魔導でも魔法でもなく秘法だと言うのならば信じるより他はない。
「わたしはアイトエルよりも長生きだけど、あいつのように知識を必要とはしなかった。だってわたし強いもの」
「なるほど、答えられなければ別に構わないんですが……アイトエルも竜なんてことは──」
「ないよ、あの子は正真の人間。まっ生まれた時代からすれば正確には後の神族だけど、"枯渇"によって今で言う人族になっちゃったね」
"竜越貴人"とアダ名される一つの出自がわかった。
俺はいい機会だとここぞとばかりに突っ込んで聞こうと思うも、"ある事"がふと頭をよぎってしまう。
「……あの、アッシュのことですけど──奪ったのは"無二たる"カエジウスです。俺たちは譲り受けただけで」
真実ではあるが、どことなく言い訳がましい口調になってしまう。
しかしイシュトは笑みを浮かべたまま、否定するように手を振った。
「ん? あーうんうん知ってる。死んだ卵を未練がましく持ってたのはわたし。だから盗まれた時もねぇ……もう時間が経ちすぎてたし──」
「何も、思わなかった……?」
「そうだよ、むしろ心のどこかでは感謝していたかも」
「……? もうちょっとお尋ねしても?」
含みのある物言いに、俺は聞いておくべきだと踏み込んでしまう。
「長く生き過ぎてるとねぇ──忘れていくことに恐怖を覚えるんだよ」
イシュトは眼を細めつつ、実感の籠もった脅すような抑揚でそう告げる。
「ふと起きた時に産んだ卵の存在そのものが曖昧になる。胸の内には残ってるのに、愛した人の顔も思い出せなっていく……」
「──っっ」
俺は身につまされるような思いで、ゴクリと息を飲んだ。実に考えさせられる言葉。
実際に体験したわけではないが、想像するに恐ろしいことだった。
不老の白竜たるイシュトに比べればハーフエルフは遥かに短命なれども、長命種である以上は心に留めておかねばならないことであると。




