#236 大賢しき II
俺は英語がそれほど読めるわけではないので、とりあえず"大魔技師の書いた手記のコピーの一部翻訳書"を閉じる。
「なぁゼノ、リーティアとティータはこのことを──?」
「知らない。あいつらもおまえも……おれを天才だと思っているようだが、しょせん借り物なんだよ」
「いや普通はこれを見て応用するなんてできない、やっぱりお前は"天才"だよゼノ」
少なくとも俺が方程式などを見たところで、それを工学分野などで実際的に利用するなどできはしない。
仮に理数系で優秀な人間だったら別だが、あいにくと俺は凡人であり勉強したことも多くを忘れている。
シールフに引き出してもらった記憶も、それはつまるところ難解な専門書を見ているのと同じ。
知識としては確かに脳内に存在こそしていても、実際的に馴染まないし応用できない。流し読みのような感覚なのだ。
もちろん使えそうなものはシップスクラーク財団の知的共有財産として、利用しているのも数多くある。
しかしながら興味がないことは努力しにくいし、魔術や闘争は好きだからこそモノの上手となれたのだ。
「っと、"天才"をお前の努力を否定する"陳腐な言葉"と受け取られたら──なんだ……その、すまんな」
「別にそこらへんは気にするタチじゃねえって。天才だのなんだの、呼び名なんてのは所詮上っ面に過ぎない」
「……ならいい。ニア先輩なんかにうっかり言うと、そこらへんはしっかり怒られるもんでな」
本人の必死の積算を無視して、埒外にあるモノに才能だと断じて嫉妬することもまた、侮辱にあたる場合があるのだ。
「もちろんおれとしても子供の頃から触れてきて、色々と学んだから自負はあるぜ? 知識欲のままに生きてきた部分もあるしな。
それでも根底にあるのは大魔技師の借り物の……さらに劣化模倣みたいなもんだ、だから天才ってのはリーティアにこそ相応しい」
「いやまぁリーティアも特別な知識による幼少期英才教育の賜物みたいな部分もあるけどな」
ジェーンやヘリオが同じように育たなかった以上、リーティアにそういう資質があったというのは間違いない。
しかし少なくともその類稀なる発想力の下地を作ったのは、地球人類史の積算・洗練された基礎知識群に他ならない。
「それとそうそう、そこなんだベイリル。おまえが大魔技師と同じ"故郷"ってのはわかった。しかしそこ、ソレ自体がわからない」
俺はゼノが言いたいことを察する。地球という転生以前の故郷、その存在を認識できていないということに。
「あぁーーー……だろうな。まぁ端的に言うと、故郷ってのは世界が違うって意味になる」
「世界ぃ~? ハーフエルフだから、大昔に生きてたってことか? いやでもリーティアの話じゃおまえは昔、ちゃんと子供だったって……?」
「時代的な意味合いじゃない。そうだな……例えるなら──」
疑問符を咀嚼しきれないゼノに、俺は人差し指を上に向けた。
「空に浮かぶ"片割れ星"から来た、って言えばわかるか? あくまで例えであって実際には違うけどな」
「つまり違う星から……?」
「あぁ、ゼノなら財団の知識で惑星や銀河の成り立ちも知っているだろ。それとは別に、宇宙そのものが違うんだ」
「宇宙だぁあ……?」
「星が無数にあるように、宇宙が無数にあるとでも思ってくれ。俺は別の宇宙から来た、多分」
「多分かよ!」
「もしかしたら観測できなほど遠い、遠ぉ~い違う惑星から来ただけかも知れないし。宇宙がいくつあるのかも──そこらへんは俺だってまったくの未知だ」
ゼノはトントンと自分の太ももを指で叩きながら、しばらく考えをまとめているようであった。
「大魔技師も同じところから……ってのは確かなんだな?」
「英語が共通しているから、まずもって間違いない。生きた時代は違う可能性が高いが、少なくとも地球から来ているはずだ」
「……地球ってのは──その、おれたちのこの世界? よりも技術と文明が進んでいるわけか」
「そうだ、自由な魔導科学ってのも実は地球語の発音でな。科学が発達した世界だった」
「大魔技師も、ベイリルおまえも……そこを"知識の源泉"としていた──と」
「そのかわり魔法はないけどな、もちろん魔導も……魔術も魔力すらなかった」
もしかしたら広大すぎる宇宙のどこかにはあったのかも知れないが、少なくとも人智において観測されてはいない。
あるいは魔導科学とは、現代地球における境界科学に相当するものなのかもしれない。
「魔力がない……? 魔術具もってことか、科学だけで成り立ってたっての?」
「ゼノならテクノロジー特許で知っているだろう。蒸気機関に内燃機関、無線通信や電気や航空機──」
「あぁ知っている。だからこそ余計に思うんだ、一体どんな世界だったんだろうかってな」
「特許の中には、まだ未来の技術とされるモノもあるが──ただ人間は等しく脆弱だったし……だからこその智恵を求めた」
地球と異世界との最大の差異──魔力というエネルギーがないからこその、創意工夫と文明の発展。
とは言っても、地球史における発展も産業革命の以前と以後による隔たりは非常に大きい。
知識を正しく継承するシステムが確立されていなければ、文明とはたやすく興亡を繰り返すものゆえに。
「"転生者"……って言ってたな、血文字に」
「あぁ、前世界での記憶──便宜上、"魂"が宿っていると言えばいいんかね」
「それが"未来視"とやらの真相ってわけか」
「そういうこと。架空の"リーベ・セイラー"と財団の在り方は、言わば俺が持ち込んだ地球の知識と文化そのものだ」
リーティアがゆえあって口を滑らせた所為で、ゼノとティータは魔導師リーベがいないことは学園生時代から知っていた。
さらに誤魔化す為に俺が"無意識に見る未来視の魔導"ということで押し通していたが、ようやくこうして真実を打ち明ける機会を得た。
「なんつーかようやく氷解したって感じだ。ちなみに前世? ではどんな奴だったんだ──あっいや、もしかして敬語使ったほうが……?」
「くっはははッ、確かに精神年齢じゃ俺のが上だけど今まで通りでいいって」
「そっか。そんじゃベイリル、遠慮なくいかしてもらうわ」
「まぁまぁ以前の俺は、本当にちっぽけな人間だ。当然魔力もないからな、長命種でもない。肉体的にも今のゼノより遥かに弱かったぞ」
「なるほど……だったら生き急ぐおれの気持ちもわかるわけか」
「わかる──と軽々に断言はすまいが、同じ立場で考え、察することくらいはできる」
これ以上なく真摯な双眸を、俺はゼノへと向ける。
「それとだな……この事実は俺とシールフ、そしてオーラム殿とカプランさんしか知らないことだ」
「リーティアは知らないのか……──なんでおれには話した?」
「まぁこうして話すだけの機会が訪れたというのが一つ。実際に話して理解できると思ったのが一つ」
俺はゆっくりと息を溜めてから、吐き出すように言葉を乗せる。
「そして話すに値するだけの信頼を置いているのが一つ、だ。口が堅いことを含めてな」
「……買いかぶりすぎだ」
ゼノは照れ隠しをするように視線を外すと、背もたれに体重を預ける。
「まあ誰かに言いふらす趣味はない。リーティアにも話してないってんなら、おれから言うこともないし」
フラウ達やジェーンらにもまだ教えてないことだが、皆には話さなかったところで揺らぐような信頼でもない。
それにシールフの"読心の魔導"のような存在もいる以上は、不必要な情報の拡散も今はまだ好ましくない。
だからこそ打ち明ける相手は選ぶというもので、知識を持つゼノには真実を知る意義があったと判断した。
「助かるよ」
「それはおれのセリフだっての。財団に入れて……おまえらと出会えて本当に良かったよ」
差し出されたゼノの右手に、俺も右手をもって返す。
「あらためて言われると臭いし、なんかむず痒いな、ゼノ」
「言ってろ、ベイリル」
交わされた握手は力強く、契約魔術を越える絆を感じさせるのだった。




