#235 大賢しき I
三組織の制圧後に壁内街から戻った俺は、財団支部の個室にて待っていたゼノと二人きりで相対する。
「ようベイリル、早かったな。もういいのか? 休まなくて」
「話してから休むよ。命を削るような闘争もなかったし、断絶壁に来る前から連戦続きだがまぁ……飛行中も休んだりしてたからな」
「はっは~、種族に恵まれた奴はいいなあ?」
「こうも無理ができるのは、これまで積み上げた結実だけどな。ゼノが知識を高めている間に、俺は肉体と魔術を鍛えていただけさ」
つまるところお互いに、どこを伸ばしたかという違いに過ぎない。
俺は天地が引っくり返ったって、ゼノの頭脳には及ばない。
同時にゼノがどれだけ科学魔術具で武装しようとも、俺は負けるつもりなどさらさらない。
人類とはそうした得手不得手を、コミュニティを作って補い合うことで進化してきたのだ。
それぞれが専門的に従事し、少しずつでも知識と経験を継承することで、社会を成り立たせ存続させてきた。
時に短所を長所に変えることもある──シップスクラーク財団もそうした集合体であるがゆえに、優劣こそあれ欠いてはならぬものなのだ。
「つっても技術者だって体力資本なところがあるから、おれもリーティアやティータが羨ましいところだ」
「くっははは、まあそこらへんを補うのが魔導科学ってなもんだろう。いずれは不老にだって辿り着くさ」
実際に現代地球でもテロメアにまつわるアンチエイジングは、SFではなくしっかりと未来の技術として視野に入り研究されていた。
「あいにくとソッチは専門分野じゃないもんでな。おれがまともでいられる間にはたして実現するものか」
「……確かに、遺伝子分野にはまだコレと言った人物がいないからなぁ」
また違った知識体系が求められ、医療分野にも裾野を広げられるテクノロジーである。
だからこそ比して文明が未発達な異世界に人材を求めるのは、なかなかに難しいところであった。
それこそ遺伝子分野に明るい転生者でもいれば話が早いのだが……そう都合よくもいかないのが現状である。
「──"女王屍"がまともじゃなかったのが悔やまれる」
「また懐かしい話を持ち出してきたな。あの屍兵には心底参ったよ、本気でビビった」
「マッドじゃなきゃ財団で最高の環境を用意して、存分に活躍させてやれたのに」
キマイラという形での人体への移植・適合技術に加え、寄生虫を利用した肉体操作なぞ地球でだって類を見なかった。
また倫理観を無視できること、ブレーキがぶっ壊れているということは科学の発展において……ことさら大きな強みとなる。
将来的に人類が発展を続ければ、個人の多様性や人権意識といったモノも当然ながら確立されてくる。
だからこそ現代でも"クローン"技術や、"デザイナーチャイルド"など……現実的視野にあっても倫理観があるからこそ、越えてはならない一線というものが共有されていた。
しかしながら人類が滅びることなく、宇宙へと適応・進出し、生存圏を拡大する為には──テクノロジーの進歩を遅らせることは愚行とも言えよう。
(大局的見地で種の保存を考えた時──)
自らが開発した核兵器や発展していく技術による戦争で、いつ文明は灰燼と帰すかも知れない。
あるいは地球史大量絶滅に代表される地球および宇宙より飛来する天変地異の前では人は無力であり、滅亡すらも十分にありえる。
だからこそ寸暇を惜しんで、宇宙の広大さと時間に比してミクロスケールな生物の倫理観など無視し、一刻でも早く人類は進化していくべきという考え方もまた一つの真理。
知的生命体であるがゆえのジレンマ──自我をもつがゆえに人は、虫や動物と違って発展してきたが……自我が発達するがゆえにそれを阻害する。
現状を維持するという観点で見れば、地球史でも完成された社会性をもって広く長く繁栄する蟻こそが頂点だ。
そうした生物群から脱却したのが人類であり、果てしない宇宙への可能性があるのもまた人類だけなのだから……。
シップスクラーク財団が魔導科学を推進していく上でも、いずれ必ず天秤に掛けねばならなくなってくる問題となるだろう。
どこまで"人間性"というものを維持できるか、どこまで喪失し、どこまで人類に求められるのか──と。
「まあおれは女王屍ってのを直接見ちゃいないけどな、ただ話を聞く限りではおまえらが滅却して正解だと思うぞ。それに無いモノねだりは空しいってもんだぜ?」
「そうだな、学園でゼノたちと出会えたというだけでもこれ以上ない幸運だった」
「……おう。なんかちょっとばっかし照れるがな」
思い出トークを終えたところで……俺は椅子に座り直して重心を前に置いてから、ゆっくりと深呼吸を一度だけする。
これなるは財団とフリーマギエンスの機密にも、大きく関わってくる話になりかねない。
「さて──ゼノ、ぼちぼち本題に入るか」
「あぁ、そうだな……ごまかしはいらないよな、お互いに」
真っ直ぐ据わった目線を向けてくるゼノ。
あるいは……本当に最低最悪の未来としては、ゼノとの離反すらもありえるし──財団の機密保持の為ならば殺さなくてはいけない立場にすら俺はいる。
「なぁベイリル、なんでお前は"血文字"が残した文字を読めたんだ?」
張られた"遮音風壁"の内側で、俺はゼノから単刀直入に聞かれる。
色々と疑問は残るが──眼前にいる男の顔色に浮かぶのは真剣味だけであり、心音も声色にも嘘偽りは一切感じられない。
だからこそ先に問われた俺も、煙に巻くことなく腹を割って話すことにした。
「俺が何故知っているかと言えば……俺と血文字の故郷の言葉だからだ」
「……もしかして、地球語か?」
「あぁ──流石に察しが良いな。地球には言語体系がいくつかあって……正確にはその中の英語というやつで、文字はアルファベットと言う」
財団内でも利用されていて、特に英語と日本語は主筋となっている言語である。
「故郷ってことは……そうか、そういうことか」
顎に手を当てたゼノは、なにやら得心いった様子で何度も頷く。
「おいおい勝手に自己完結するな、ゼノこそどうして地球語が読めた?」
「えっとだな……おれは正確には読めるんじゃない、意味がわかったってだけだ」
「……? 何ぞ違うのか」
「もちろん違う。なぜならおれは発音はできないし、文字そのものの読み方もわからないんだよ」
「意味はわかるが、発音できないし読めないのか……それってつまり──」
俺の言葉の途中でゼノは懐にある、小さな手記を大事そうに取り出した。
「これは"大魔技師"が残した手記……その写本の一部を、さらにおれなりにまとめたものだ」
「大魔技師、だと──?」
ゼノは両者を挟んだ机の上に手記を置くと、俺に向かって開いて見せる。
「もう少し詳しく突っ込むとだな……かつて帝国へと来て魔術具を伝え、後に"帝国工房"を作った大魔技師の高弟がいた。
高弟は大魔技師が密かに残していた手記を勝手に写し取っていて、しかも自分なりに翻訳していたらしくてな。
その高弟のさらに弟子にあたる俺の先祖が、それを受け継いで翻訳し続けていた。それが今おれが持っているコレというわけだ」
大魔技師が残した現代知識のコピーを翻訳したモノが、まさしくこの手記であるとゼノは言う。
「なるほど……それで発音はわからないが、意味だけは知っているチグハグさがあるのか」
「だから実のところ──おれが持ってる知識ってのは、すべて大魔技師の又聞きみたいなモンなんだよ」
俺は手記を手に取ると、そのまとめられた写本とやらをペラペラとめくっていく。
すると英語と異世界言語の意訳、さらにアラビア数字による数式などもメモされてた。
(財団では専門用語などに地球語を使用しているとは言っても、アルファベットやカタカナや漢字をそのまま使っているわけではないしな……)
ゼノが読めなかったのも当然であり、発音だけでなく文字としても流用することも一考の余地があるのかも知れない。
いずれにしてもゼノの"知識の源泉"は大魔技師の系譜にあり、それが幼少期より根付いているに他ならなかった。
あるいは故・セイマールの魔術具製作技術や、他にも数多く存在している技術者達の葉から枝を辿っていくと……。
大魔技師という大樹に行き着くのやもと、俺は考えを致すのであった。




