#232 血文字 III
「ほう……同郷がいるとは思わなんだ」
返された言葉を俺はしっかりと呑み込む──すなわち、同じ"異世界転生者"との初めての邂逅であることに。
「俺のような誰かにわかってもらう為に、伝言として残していたわけじゃないのか」
「違う。詩もね、好きなんだ」
(アイトエルは転生者を俺しか知らないと言っていたが……やはり、同時代にもいたか)
地球からやって来た"異世界転生者"──本来ならば交流を重ね、是が非でも財団に取り込むべき相手。
(そして真の意味で互いを理解し、分かち合える存在……のハズだったんだがな)
しかして眼前の男は、決して相容れないと確信させる。
こんな形で同じ転生者と相対したくはなかったとさえ……さながら不意討ちを喰らったような心地。
「不必要な殺しをやめろと言っても……無駄だよな」
「キミも似た匂いを感じるのだが、他人に指図できる立場なのかな。新たに生を得て、好きにやっているのだろう?」
「──確かに、本質的には変わらないだろうな」
「ではワタシはキミに責められる立場にはないわけだ」
「あぁ勘違いしないでくれ。別につらつらと綺麗事や御託を並べるつもりもない」
「それはつまり……そうか、よくわかった」
「察しは良いようで──」
ギチリッと俺は筋肉を引き絞ってから弛緩させ、殺意を研ぎ澄ませていく。
「危険分子は排除しておく主義なんでな」
「ふむ……異世界に来てより、同郷の者の"死に目"は初めての経験だ」
「やってみろ」
俺は纏っていた"風皮膜"をクロアーネとゼノに分配し、素肌を晒して両手を広げるように構える。
双瞳を見開いて集中を持続させたまま、いつでも"天眼"を使える状態に自身を置いた。
「ただ、今は渇いていないのが残念。できればもう少し早く会いたかったものだ」
いけしゃあしゃあと抜かす"血文字"に、俺は魔力を加速させていく。
「あいにくだがお前に殺る気がなくても、俺はお前を殺すぞ。万が一もないよう、塵一つ残さず消滅させてやる」
俺の右手の人差し指から、螺旋状に回転する風が渦巻き始める。
トロルすら殺し切った"導嵐・螺旋破槍"の小型版──"風螺旋槍"に電離気体をも織り込む。
粉微塵にした血肉片の一切合財を、そのまま圧縮したエネルギーで蒸発させてやる。
「乱暴だな。あまり気はすすまないが……そちらが来るというのなら──これもまたせっかくの機会なれば、その"死に目"を味わわせてもらおうか」
「あぁ、自分の死に目を存分に堪能することだな」
"天眼"──刹那の空隙に差し込むように間合いを縮め、一撃で穿ち貫く……ハズだった。
しかし血文字の体は傷つくこともなく、ただ素通りするのみ。
同時に伸ばされる血文字の右手には、たった一本の短剣が握り込まれている。
それは俺の心臓に最短距離で迫るも、天眼の最中に在る俺には当たることなく相対距離が開く。
「ふむ、キミはワタシを傷つけることなどできないが……どうやらワタシも、キミには触れられないようだ」
(幻像でも幻覚でもないッ──!?)
天眼は間違いなく血文字の存在を見通している、その上で攻撃が当たらなかった。
「"物質透過"──"位相遷移"──あるいは"干渉拒絶"、か?」
俺はパッと思いついたモノを列挙し、疑問として血文字へと投げ掛けた。
「気にしたことはない。ただ異世界に来る前から想い続けていたことだ」
「なにをだ」
俺は少しでも状況を打開すべく、情報を引き出す為にそれとなく話に乗る。
「人には数多くの障壁がある。肉体的にも、心理的にも、境界線を越えるにはどうすればいい。
関係性を深めて、歩み寄ってもらうのを待つのもいいだろう。無理やりこじ開けて、中身を覗き見るのも悪くはない。
しかしもしもだ……すり抜けることができたならば──いったいどんな反応を見せてくれるのだろうかと」
特段の答えらしい答えではなかったが、言を類推するに──"透過"だろうか。
(いずれにしても……魔術の域を超えている)
"読心の魔導"と同じ──物理現象によって立つことなき、超異能の領域。
同時に"天眼"によって知覚する魔力密度もまた、"魔導"であることを心で理解らせられていた。
そしてもう一つ浮かび上がった疑問を、俺は問い質せずにはいられない。
「なぜ魔導を二つ持っている?」
まったく"性質の異なる魔導"を、2種類持つことはできない。それは創世神話の時代より生きるアイトエルでも無理だと言っていた。
なぜならば魔力の色の固定化にも付随することであり、魔導師でない俺でも不可能であると直観的に悟っている。
シールフの場合は"読心の魔導"を基点にして派生させ、あくまで元の魔導に連なるものである。
「はて、そういったことには疎くてな。答える術をワタシは持ち合わせてはいない」
「はァ~……それは"嘘"だな」
俺はさも溜め息のように吐きつつ、"酸素濃度低下"の魔術を仕掛ける。
しかし死域にあっても血文字は平然としていて、まったく通じた様子はなかった。
「嘘を見抜けるとでも言うのかな、キミは」
「ある程度だがな。でも別にいいさ、なんでもかんでも正直に答えてくれるとは思っちゃいない」
「ではキミの前では、なるべく正直にいるとしようか」
少なくとも意識的に発動しているタイプではないのだろうか。あるいは今もそういう状態を持続させているだけか。
呼吸すら透過していて生きていけるのか。普通に喋っているのを見るに、悪意あるそれを選び取っているのか。
『ゼノ、"魔導具"なら二種類はありえるか?』
俺は血文字には聞かれないよう、音の伝播を調整して耳打ちする。
意図もしっかりとわかっているのか、ゼノも俺にだけ聞こえるような小声で答える。
『断言は控えるが、まず無理だ』
『ってことは何かカラクリがある、か……』
『おそらくな』
外付けで自由に使える"魔術具"と違って、使用者に紐付けされる性質が"魔導具"にはあるという。
それは魔力を通じて、魔導具と契約を結ぶような感覚にも近いと聞く。
つまるところ魔導具は一人一つであり、魔導師に魔導具は使えない。
「さて……ワタシはキミの心臓にだって直接手に掛けることができるが、そもそも捕まえることができない」
「──俺はあんたに命中させることは容易だが、干渉することができない」
「つまりキミにワタシは殺せないし、ワタシもキミは殺せない」
「……そのようだ」
"変身の魔導"まであっては、顔を覚えても意味がない。しかして野放しにするには危険。
何がなんでも殺しておくべきではあるのだが、あまりに不確定要素が多く未知数だった。
(魔力を消耗させて、魔導それ自体を使えなくする策もあるにはあるが……)
魔導を二種類も使うような、既知外にいる相手の魔力量もわからない。
敢行するにしても、ゼノとクロアーネがいる以上は危険を冒したくはなかった。
「では今は出会いにのみ感謝し、この場はお互い去ることとしよう」
日常の一コマのように調子を崩さぬまま血文字は告げてくる。
「いやにあっさりだな」
「言っただろう? 今は渇いていない。今回の一件は、これ以上他の輩に"死に目"を奪わせまいと急いでしまったが」
「これ以上奪わせない……だと?」
「そうだ。自分は死なないと思ってる立場の人間を、少しずつ削いで……追い詰められていく死に目を眺める予定だった。
しかしその内の一人の死体が見つかり、片割れが行方不明となっていた。もはや組織間の抗争が目に見える結果となった──」
(もしや……俺が殺した"黒豹兄弟"か)
ともすれば巡り廻って、俺が血文字に殺害を急がせたということになる──これもまた因果とでも言えばいいのか。
「おかげで今回は必要以上に満ち足りてしまっている。この街に留まる理由も既にない、失礼させてもらうよ」
「そうか……次はお前の"死に目"を見られるようにしておく」
そんな俺の言葉に対して、血文字は薄い笑みを貼り付けた。
今の状況で争うべきではない、標的にされない以上は関わらないほうがいいと俺は結論付ける。
「あぁそれと……血文字、最後に一つだけ聞きたい。お前は"アンブラティ結社"の人間か?」
思わずそう口にしてしまったが、俺は少し軽率だったかとすぐに思い直した。
仮に結社の人間であるならバカ正直に言うわけもないし、そうでないなら不用意に情報を漏らしたことになる。
しかし血文字から返ってきたのは、予想外の一言だった。
「あぁ……そういえばそんなのもいたな」
「っ──結社を知っているのか」
「本人は"仲介人"などと名乗っていたが、もう少し関係性を築いてから"死に目"を見ても良かったかな……」
俺は眼光を鋭く詰問するような、底冷えの抑揚で話しかける。
「そうか……殺した人間のことはしっかり覚えているんだな、サイコパスの割に」
「なるべくだがね。物覚えは悪くないほうだ」
「俺たちは名乗りすらしないがな」
「一向に構わない。人は流れのままに、思うままに、生き、死んでいく……また次に渇いた時──
別の街か、あるいは別の国か、はては別の世界か、いずれ巡り会えることを共に祈ろう」
言いながら若い女性の姿へと変化した血文字は、悠々と壁の中へと消えていったのだった。




