#231 血文字 II
「てめェ……ベイリル」
「──ロスタンか」
はたして目の前にいたのは、つい先日ぶちのめしたロスタンであった。
「っ……リウ組もやられてたか」
俺はこれ以上ないくらい怪訝な顔を浮かべ、無言のままロスタンに説明を求める。
「ソーファミリーもやられてやがった、ケンスゥ会もだ。これで幹部は軒並み死んだってことだ、戦争になる」
「手当たり次第かよ」
「てめェの仕業……じゃないんだな」
「あぁ俺じゃない。犯人は"血文字"だろう」
「血文字だあ?」
「色々と風聞のある殺人鬼だよ。他のところもやられたのを見てきたのならわかるだろう、血で文字が書かれていたはずだ」
ロスタンはそれ以上の追求をしてくるようなことはなく、俺は今一度思考を回す。
それにしたって本当に何を目的としていて、なぜこのタイミングでなのか。
(殺しの手際にしても……)
三大組織を標的にしたことにしても──血文字はかなりの危険人物と見る。
こうも無差別に、無造作に、いとも簡単に殺害するなどと……。
(摘み取れる芽は、早めに摘んでおくことも大事なこと──だな)
"人類皆進化"を掲げてはいるが、それが他の成長を妨げるどころか根絶やしにされる可能性があるのならば……。
雑草は早めに根から刈り取るべきだし、害虫や害獣は駆除し、天災すらも吹き飛ばす気概で望まねばなるまい。
「クロアーネ、追えるか?」
「まだ近くにいるのであれば……追いつけるでしょうね」
(まずは会って、話してみないことには始まらないか)
なによりも英語詩を書いた人物であるならば──つまり"転生者"本人か、あるいは家系に血脈を持つ人物である可能性が高い。
俺以外の現代知識を保有している人物から得られる地球に関連した情報は、発展の為に是が非でも欲しいところ。
「よしっ、ゼノも行くぞ」
「おれも!?」
「ロスタンと一緒にいたいか? 他のリウ組に見つかったら?」
数秒ほど沈黙してから、ゼノはそそくさとついて来る意思を固めたようだった。
「絶対におれを守れよベイリル、絶対だぞ!!」
「振りかな? まぁゼノには聞きたいことが山ほどあるからな、それに財団の宝を死なせんよ」
「……さっさと行きましょう」
ロスタンの横を通り過ぎるが、一応警戒こそしていたものの手を出してくることはなかった。
「事態はメチャクチャに動いたが……昨日の財団入職の件は引き続き、受け付けているからな」
「チッ……」
舌打ちを残すロスタンを背後に、俺とゼノはクロアーネの後ろについて走った。
◇
道中で絡まれると面倒そうな組織の構成員らを瞬時に打ち倒しながら、壁外街へと。
猟犬の嗅覚を持つクロアーネは、あれほど織り混じった血の匂いすら的確に追跡していく。
(俺も五感それぞれに自信はあるが、やはり本家本元の特化には敵わんな)
エルフ種は良く言えば万能、悪く言えば器用貧乏の典型例である。
ヴァンパイア種にしても偏りが違うだけで基本は一緒であり、鍛え澄ました獣人種の感覚器官には及ばない。
「……匂いが近いです」
クロアーネの一言に、俺は魔力の加速をさらに上げて備えつつゼノに声を掛ける。
「ゼノって意外とついてこれるのな」
「っ……はぁ……へぇ……技術者といえ……ど、体力……勝負──だ」
肩で息をしながら走り続けてきているが、それでも思考もしっかりとしているようである。
遠征戦でもゴブリン相手にそれなりに戦っていたり、意外とやる時はやる男なのだ。
「っ──!!」
裏路地の途中にてクロアーネが立ち止まったところで、俺はさらに前へと出た。
そこにいたのは──それこそヤナギとそう変わらない年端に見える子供だった。
ボサボサの薄い茶髪に、左目には"三つの泣きぼくろ"が印象的なただの男の子。
無垢にも見える視線がこちらへと向けられ……そこから一切リアクションが返ってこない。
本当にただそこにいるといった風であり、特段の圧力もなくただの身寄りなき少年にしか見えなかった。
「たまたま、ではなさそうだ。珍しいな、追われるなど……いつ以来だろうか」
ゆっくりとした抑揚で紡がれた言葉に、俺は眼光を細めるも少年の表情は変わらない。
ただそれでもこの距離になれば俺でもわかる。複数の血の匂いがごちゃまぜになったのが、微かに匂うのだ。
「"血文字"、でいいんだな」
「ワタシは名前に頓着はない、けれどそうやって呼ぶ人は多いみたいだね」
スッと小さな両腕を広げて、無抵抗でもアピールしているのか。心身の状態も測れない……否、底が読み取れない。
まったくもって実力が測れない相手であることに、俺はわずかばかりの畏れを覚える。
「なぜ殺した」
「なぜか……? 好きなことに理由を求めるのか。でも答えよう、ワタシは人間が好きなんだ」
その瞳には悪意が宿っているわけでもなく──ただただ、何も、なかった。
「好きだからこそ殺すってか、随分と陳腐な理由だな」
「聞かれたから答えたというのに、随分な物言いだ。もっと深く言えば、"死に目"が好きなのだ」
「死に目?」
「好きな人の最期の刻を独占したい、という欲求はおかしいだろうか」
虚無というわけでもない、極々普通に世間話のように語っているだけ。
「だからって自ら手を掛ける、と」
「己のあずかり知らぬところで死なれることは、とてもとても哀しいだろう」
「だからってあれほど凄惨に血液をぶち撒ける意味があるって言うのか?」
「どうということもない……肉に染み込ませる感触も──擦り折れる骨の音も──」
血文字は顔を下に向けながら両手で顔を覆い、くつくつと笑うかのように言葉を続ける。
「漏れる血の香りと温かさも──心が軋み崩れていく声も──」
「──っっ!?」
その瞬間、俺とクロアーネとゼノは揃って絶句し……血文字を凝視せざるを得なかった。
『ぜんぶ好きなんだ』
なぜならば顔をあげた少年の顔は──少年でなくなっていた。
あどけなさが残った顔はしわくちゃとなり、髪を伸ばしきって頭蓋骨ごと変質した老女の姿となっていたのだ。
『あーあーあーあー』
さらにドロドロと歪むように顔と体格までもが、次々に年代も、性差も、種族までも様々に──
一秒にも満たぬ時間で次々と肉体どころか、服装もろとも変化させていく。
まるで調律するように声を出し続けながら……血文字は最終的に初老の男性くらいに落ち着いた。
「やはりこれくらいが一番喋りやすいようだ」
(細胞の超速変性……──"変身の魔導"、だと?)
人間という生命は知恵があり、思考する生物である。
鏡像認知はもとより、己の在り方を自覚し、哲学にも思い耽る。
それは有意識においても無意識においても、自分そのものが存在するに足る理由となる。
だからこそ"変身"というのは簡単なことではない。他者と成り代わることは、すなわち自己を失うということ。
無意識領域によって魔術が補完されるのであれば、その逆──無意識領域によってもまた、魔術の発動は阻害されるのだ。
これは現代知識によって可能となる魔術に対し、逆にイメージしにくくなる魔術も少なくない弊害に似ている。
ゆえに……変身を自在に行える精神性とは、自らの人格すらあやふやにできる、"人に非ざる者"に他ならない。
「そうやって近しい人間に化けて、殺して回ったってわけか」
「たまにはね、そういうやり方もする」
「どうして組織の連中を殺した? しかも三つもの幹部級を全員──」
「別に……ワタシはただいろんな人間のサマを見ているだけに過ぎない」
(あぁそうか……)
「それにしても耳が早いな。いずれかのワタシが殺した組織の人間だろうか」
「いや違う」
「そうか、ならばいささか話が見えないな。どうして追ってきたのだ」
(こいつはどうしようもないほど……)
「誰でも殺すのか?」
「だれでもころすさ、その人の"死に目"に会いたいと思ったらね」
(劇毒だ)
女王屍以来の……否、被害の規模はともかく性質としてだけならそれ以上。
誰にとっても破滅を呼び込み、ただひたすらに他者を蝕むだけの存在。
もはや疑いようがない。安全を考えるなら、先手を打たれる前に奇襲して殺すべきだ。
しかし──どうしたって己の中で消化しきれない──核心に迫った、その疑問をぶつけられずにいられなかった。
「Thirst is taught by blood──渇きは血によって教えられる」
ネイティブっぽく発音した英語の後に、異世界共通語で意訳を伝える。
「ほう……同郷がいるとは思わなんだ」
そこでようやく血文字の目がわずかに見開き、確かな感情を露にしたのだった。




