#225 強き者 IV
「ふぁ……んん」
のんびりと追加のあくびを1つ、"大地の愛娘"ルルーテは地平線を見つめ始めた。
「どうしました? ルルーテさん」
「べつに。ちょっと魔軍がいるな、ってだけ」
「魔領側の軍団?」
俺も地平線を"遠視"してみるが、影も形も見当たらない。何をどうやって捕捉できているのか、まったくもって謎であった。
「ついで」
「……はい?」
次なる俺の疑問符には反応することなく、たった1人で完結しているルルーテはトンッとつまさきで地面を叩いた。
すると遠くから地鳴りのような響きが伝わってきて、大地が空高く舞っているのが視界に映る。
もはや絶句や呆然を通り越して、脳が理解を拒否しようとしていた。
(でも、あぁ……なんか既視感)
理解不能とは別に、頭の中で前世で見たことのあるCG映像が流れていた。そう、あれは……っぽいものを見たことがある。
"地殻津波"──めくり上げられた地深くの岩盤が天空より、質量と熱を伴った運動エネルギーとして降り注ぐ。
それを局所的に発生させ、遥か彼方にいた魔領の軍団を殲滅してしまったのだった。
「それじゃ、しずかに」
シッと人差し指を口唇に当てつつ、片手間で天変地異を引き起こした五英傑ルルーテはトプンッと沈むように消えていった。
(地属魔法……いや、もはやここまでくると──)
"惑星"そのものを掌握しているかの如き、知覚なぞ到底できないスケール。
軍団や国家はおろか、世界そのものすら滅ぼしかねない単一個人戦力。
(同時にもしも仲間にできたなら……)
建築や道路に灌漑設備他、各種産業やインフラ整備などにも圧倒的な土地改善力になるに違いないなどと。
しばらく地響いてくる音を背景に、俺はようやく感情を乗せた笑みを浮かべる。
知己を得るどころか名乗る隙もなかったし、あのマイペースっぷりでは覚えてもくれまい。
この断絶壁を創ったのも頷ける。戦線投入された"魔人"を討伐したという風聞も納得できる。
たった1人で魔領を相手に押し止めているというのも、今まさに眼前で証明してくれた。
そしてやはり"五英傑"は決して敵対してはいけない相手だということを、再々々再認識くらいさせられる。
「まっこれも日頃の行いが良かったということで、結果オーライ受け入れよう」
「ふんふん、そっかぁあれが"大地の愛娘"かぁ……フッフ~ン、なるほどね」
イシュトは何やら意味ありげに笑っているが、正直なところ俺も笑うしかない状況である。
とりあえずは残るロスタンをぶっ飛ばして、リウ組との交渉については帰ってから考えることにする。
「思わぬ中断だったが、再開しようか──五英傑の後じゃ型落ちもいいところだが、決着をつけよう。静かにな」
どのみちロスタンは典型的な白兵戦タイプ。ルルーテにまた不快な思いをさせることはないだろう。
「チッ……なんつーか、正直どっちらけだがなあ」
「やめたいのか?」
「いや、それでも殺す」
「そうこなっきゃな」
俺は六層の"風皮膜"を纏ったまま、全感覚を世界へと溶かしていく。
「死ね」
シンプルな一言からロスタンは脱力した状態から、爆発的な脚力でもって加速する。
一瞬で間合いを詰めながら突き出される右腕──破れた服から覗いたのは、直接肌に刻まれた"魔術刻印"であった。
にわかに光を帯びているが、俺は微塵にも退くことなく迎え討つ。
諸説あるが、闘争とは四機の奪い合いというのが自分の中で最もしっくりくる。
すなわち──先の先、先、先の後、後の先。
敵対者が油断ないし裏をかかれていたり、隙を見せて戦闘準備が整っていない機。
攻撃を仕掛ける上で意識が集中し、攻勢行動の為に肉体も硬直し、防御が疎かになり回避が散漫となる機。
まさに攻撃を繰り出している瞬間の連続、防御や回避行動が不可能となる機。
敵の攻撃を躱すか防いだその直後に、体制を立て直すまでに無防備となる機。
自身の意図や狙いを隠し、敵の意識と思考を掴み、その裏や虚を突いて勝を取る。
"兇人"ロスタンの掴んでくるような掌底が、文字通りその右腕ごと爆発する。
間合いを詰めた瞬発力を含め、四肢に描かれていた魔術刻印の効果なのはもはや疑いなかった。
それはリン・フォルスが扱う"四色炎"と同じ──魔術具ではなく己自身に刻むことで、ノータイムで発動させる珍しい魔術式。
しかし俺は体を捻りながら"六重風皮膜"によって受け流し、五層目の音振爆発ごと巻き込んで全身で加速した。
そうして回転しながら放たれた俺の左拳が、ロスタンの心臓めがけて突き込まれる。
"颶嵐正拳"──先の後をとる、回避不能の一撃。
その内実は、纏いし風と発生した衝撃を織り込み、全運動エネルギーを余すことなく集約させた一打必倒の拳。
殴られながらも掴んでこようとする、残るロスタンの左掌による追撃をしっかりと右手で払い落として締め。
ロスタンの体躯は地面を削りながら、ボロ雑巾のように投げ出されて停止する。
(再生魔術にあかせた捨て身、ってなとこか……)
俺は闘争が終わってから冷静にロスタンを分析する。
両腕の"魔術刻印"に仕込まれた爆破で相手を滅殺し、自分は後から治癒するのが想定していた闘り方なのだろう。
戦法としては理に適ってはいるものの、いかんせん大概のことは対応できる俺の戦型に相性で勝ることはない。
「残念だったな」
心臓をぶち抜くつもりで放ったが、まだ生きているロスタンへと俺はそう投げ掛けた。
今後何度となく掛かってこようとも、幾度となくぶちのめしてみせるという意思を明確に。
「っが、ごふ……くっそが──」
吐血しながらもロスタンは、不発だったことで未だ無事な左腕を支えに両膝ついたまま体を起こす。
再生し始めているが……立ち上がるまでの力はないようで、右腕は垂れ下がったままだった。
「ふむ、再生も限界が近いと見える。さすがに二度も致命傷たりえる攻撃を喰らえば打ち止めか」
苦渋を舐めさせられたロスタンの顔が、自らの敗北を如実に表現していた。
彼は空を仰ぐように顔を上に向けると、実にあっさりとした口調で告げてくる。
「さっさと殺せや」
「なんだ、死にたがりか?」
「殺し合い……っ、だろうが」
「無様に小便を垂れ流し、神様にお祈りしながら、部屋の隅でガタガタ震えて命乞いすれば助けてやるかも知れんぞ」
「そんな甘い奴なのかよ、てめェはよ」
「いや……状況的にお前は殺しておくべきだと思っている」
「だろうな、オレぁ今まで命乞いしてきた奴だろうが関係なく殺してきた。自分だけ助かるとは思っちゃねえ──」
意気を失っていないロスタンに対し、俺はフッと吐息と共に笑って答える。
「そうか、でも生かしてやる例外がある──それが"人的資源"になる場合だ。お前、シップスクラーク財団にこい」
「……ぁあ?」
ロスタンはその言葉に面食らった様子で、意味するところを呆然と咀嚼しているようだった。
ともするとイシュトが近付いてきて、俺とロスタンを交互に見つめてから口を開く。
「ふっふふ~ん、けっこう情け深いんだ?」
「いえいえ、利になるモノは欲張っていく精神なだけです」
「なるほどなるほど、なるほど~。人生では大事なことだね!」
「そうでしょうとも」
ギリッと歯噛みしたロスタンは、こちらを思い切り睨みつけてくる。
「負けたオレに鞍替えしろって、てめェは言うのか──」
「ソーファミリーと"親父"ってのに、どれだけ義理立てしてるかは俺も知らんからな。考えておいてくれ」
「また敵対するとは思わねえのか……」
「そうさな、あと二回までなら改めてぶちのめして勧誘する」
仏の顔もなんとやら──俺はロスタンに慈悲を説く。
「その緩々でふざけきった猶予の間に、てめェの身内を闇討ちするかも知れねェぞ」
「俺の守護領域を掻い潜ってやれるもんならやってみろ。ただし俺の眼が光ってなくても、彼女がいるけどな」
「どーもどーも、わたしも守ってるよ!」
同じファミリーであった"混濁"のマトヴェイをあっさりと蒸発させたイシュトに、ロスタンも閉口するしかないようだった。
「ただし四度目はない、三度の勧誘を断ったらその時は殺してやる。俺が"断絶街"を離れるまでに返答がなくても、念の為に殺す」
オレは断固たる殺意を込めて威圧してから一度視線を外し、今度は軽調子で付け加える。
「あぁそれと一応な、逃げても殺すのであしからず。つまりロスタン──お前は財団職員となるか、死ぬかの二択だ」
「メチャクチャ言いやがって」
「そうだろうとも、標高をより高く見下ろしている勝者は俺だ。財団支部は壁外街にあるから、いつでも訪ねて来るといい」
「チッ……」
「──というわけで、イシュトさんも手出し無用で。襲われたら殺しても構いませんが」
「はいはーい」
俺は子供達が囚われている区画を一瞥し、"酸素濃度低下"の魔術を使うべく集中する。
「んじゃこれ以上は企業秘密だから、少しばかり眠っててもらおうか」
「待てや、オイ」
掛けられた声に、俺は吐きかけた息を中断する。
「……なんだ、財団くる気になったか? 物分かりが良いのは助かる」
「いや、それはまだだ。二回も機会をくれるってんならな、利用しない手はねェ」
「興味を持ってくれているようで結構。待遇でも福利厚生でも、手短になら答えるぞ」
「どうでもいい、てめェの名前だけ教えろ……こっちは負けた身ィだがよ」
俺は偽名で濁そうかどうか一瞬だけ迷ったが、さしあたって姓の方だけ伏せて正直に名乗る。
「"空前"のベイリルだ、はァ~……」
俺はロスタンの反応を待たず、一瞬の吐息と共に昏倒させてからすぐに死域を解いた。
目覚めるまで魔領側の壁外に放置することになるが……いちいち安全な場所まで運んでやる義理まではない。
「さてっと、イシュトさんはどうします? あっちは俺一人でも十分ですんで、支部へ戻ってもらっても──」
俺はパチンッと指を鳴らすと、区画の角が裂けて落ちる。
「んーそだねー、ちょ~っと魔領軍の様子でも見てこよっかな」
「"大地の愛娘"の所為で粉砕されていると思いますが」
「うんうん、そこを見ておきたい。遠目でもスゴかったからね~」
にこやかに笑うイシュトに──どことなく陰のようなものを感じながらも、俺は踏み込むのはやめにする。
「……そう言われると俺も見たくなりますね」
「一緒に行く?」
「観光は一段落したら、ですかね。どうせあんな災害の爪痕は逃げないですし、焦ることもないので」
「そっかぁ~それじゃ、お先に見た感想は控えておくねっ」
「言葉で言い表せる惨状とも思えませんけど──」
「かもかも」
イシュトが軽やかなステップを踏む直前──まだ余裕を残していた俺は……街中ではやりにくいことを、ここぞとばかりに頼んでみる。
「別れる前に一ついいですか?」
「なーに?」
「ふゥー……──白色破壊光線、出力抑えめで撃ってもらっても?」
「んっふっふ、いいよぉ」
言うや否や、息吹と共に"六重風皮膜"を纏った俺の眼前に光が満ちるのだった。




