#224 強き者 III
「ッゥハァ~……殺す、殺す殺す殺す殺す──」
呪詛のように呻く男の服は確かに切り裂かれていて、鮮血にも染まっている。
しかしロスタンは問題なく立っているし、気怠そうに歩いてきている。
「密着状態からのカウンターで確定十割。もしミリ残しでも、出血のスリップダメで死ぬハズなんだがな」
「共通語で喋れや」
戦闘続行に支障もなさそうなその様相は、かつて闘技祭にて相対したレド・プラマバの"存在の足し引き"を想起させる。
俺は半眼になってよくよくロスタンの傷口を凝視すると、今度はトロルを彷彿とさせるような光景があった。
「自己治癒……いや、自己再生魔術と言ってもいいか」
そこには現在進行形で、体に刻まれた裂傷が高速に塞がっていく様子が診て取れた。
実際にはトロルほどではないにせよ、一個人が持つ回復魔術としては破格の速度である。
「怪我した端から超速に──造血までしているのか」
「ここまで殺されかけたのはなァ、もう覚えてないくらい久々だ」
ピョンピョンとステップまで踏み始めたロスタンは、獰猛な笑みを浮かべる。
「てめェの機動力は削いだ、次はその素首を挫いてやる」
ロスタンの言葉に対し、俺は目を瞑って数瞬ばかり集中を内側へと向ける。
「俺の右脚よ、痛みを……を伝えるな」
「はァ……?」
ゆっくりと俺は重心を右足へと傾け、しっかりと踏みしめることを確認する。
生体自己制御──脳内分泌物質──魔力循環加速──強烈な思い込み──
俺が講じうるあらゆる手段を総動員した痛覚遮断、および自己回復魔術の併せ技。
「自己再生魔術の練度は驚嘆すべきだが……まぁ、お前だけの専売特許というわけでもない」
「そうかよ。まっさらな状況なら、それはそれで構わねェサ」
「根っからの武人だな、嫌いじゃない──よッ!」
「あンの野郎ッ──」
俺は喋りながら振り向きざまに、不意討ちしようとしてきたマトヴェイへとリボルバーを抜いていた。
親指で撃鉄をあげながら照準を合わせ、引鉄に人差し指の力が加わる──
よりも早く、一手ほど速く。
『──!?』
俺とロスタンは同時に眼前の光景に目を奪われた。
あまりに唐突に、極太の"閃光の奔流"が空から降ってきたのである。
ただただ純粋な光子を収束させた一発。
まるでインメル領会戦にて五英傑の一人"折れぬ鋼の"にぶちかました、俺の"ガンマレイ・ブラスト"が如し。
それは愚かにも奇襲しようとしたマトヴェイを包み込み……影一つなく消失させてから、地面に大穴を残して光も消えていく──
「わたし参上!! いやぁやってんねぇ~」
また新たにやって来たのは敵ではなく、白い髪を風に揺らす"イシュト"であった。
「イシュトさん……なぜここに?」
「お守り役が戻ったから預けて来た」
「なるほど」
俺は持て余したリボルバーをスピンさせながら、ホルスターへ納めると同時に頷いた。
要するに帰ってきたクロアーネにヤナギを預け、街まで響いたであろう爆発音の好奇心に勝てなかったといったところか。
うずうずとしている表情を隠しきれていない、実に素直な人だった。
(それにしても……)
マトヴェイを一瞬で消し炭一つ残さなかったイシュトの光属魔術──"白色の破壊光線"、半端ない威力だった。
(真剣に俺よりも強い、か?)
もしあれを連発できるなら……なるほど、七色竜を相手にできると豪語した実力にも納得できようというもの。
俺の"歪光迷彩"の空気密度操作による光線の捻じ曲げでも、あれほどのエネルギーでは逸らせない。
同時に光熱衝撃波の威力を見るに、まともに喰らってしまえば残る"六重風皮膜"の装甲もぶち抜いてきかねなかった。
決着がついていないロスタン相手よりも、俺は仲間である彼女との戦闘を脳内でシミュレートしてしまう。
"光属魔術"──雷や爆発ほどではないものの、氷属と並んで使い手が少ない魔術。
それでも精々が閃光を放つといった補助的な類のモノで、攻撃に特化させた魔術士は稀である。
(なにせ光速だからな)
視認した時には回避は不可能。ゆえに前兆を察し、先読みして回避することしかできない。
そういったことは得意分野なので、暇ができたら少しだけ手合わせしてみるのも良いかも知れない。
「ねぇね、そっちのは?」
「俺が相手するんで、大丈夫です」
「んっん~~~わかった。手出ししないよー、ほんとにしないからねー?」
「だからしなくて大丈夫ですって」
イシュトに苦笑しつつ、俺はじんわりと染み込ませるように体ごとロスタンへと振り返った。
「マトヴェイは死んだぞ」
「だからなんだ? 生きてたら俺が殺してる」
「正直なところ俺としては別に闘ってもいい、逃げてもいい、降参してもいい。さぁどうするね?」
「このまま終われるとでも思ってんのかァ……あまりオレを侮ってんじゃあねェ」
「オーケイ、理解らせてやろう」
俺は半身に構えて手の平を広げ、またグッと握るのを繰り返していると……唐突にポンッと肩に手を置かれた。
「うるさい」
「えっ──?」
開口一番、明らかに俺に向けて発せられた言葉。どうしようもなく間の抜けた声をあげてしまう。
その人物はイシュトではなかった──ただ新たに"見知らぬ女性"が、俺の隣で自然に立っていた。
黒豹兄弟に気取られ、ロスタンが現れ、マトヴェイも加わり、イシュトまで参戦し、この期に及んでさらにもう一人。
あまりに突然の出来事すぎて、俺は二の句を紡げぬまま息が詰まってしまう。
ロスタンとイシュトもそれぞれ驚愕し、息を呑んでいるのは同じであった。
「知らばっくれても、ダメ」
俺は"生体自己制御"で必死に心身を平静へと向かわせつつ、ゆっくりと口を開く。
「その申し訳ありません、何のことを言ってるのでしょう」
「壁上で何度も鳴らしてたの、君でしょ」
黄色が強い薄茶色の伸ばしっぱなしの長髪に、寝ぼけ半眼がこちらへと向けられる。
(まったく気付かなかった……? この俺が?)
ここまで無防備に接近を許すなど、未だかつてありえない。
改めても幻像などでもなく、確かに空気の流れも心音も含めて存在を告げてきている。
ただなんというか、空気ともまた違う。本当にそこに在って当たり前のような、そんな雰囲気を感じ入る。
「っと……"反響定位"──のことでしょうか」
「知らない。もうしない?」
「えぇっと……まぁ、ゴタゴタが片付いたらもうちょい続けたいかなと」
「なんで?」
「事情がありまして」
「なんの?」
俺は言うべきか迷ったが、思考が巡るにつれて"彼女の素性"について一つの予想が浮かんできていた。
そして同時に俺だけがこうして普通に話せているのも、経験があるからに他ならない。
ロスタンもイシュトも本能的に、会話の邪魔をしてはいけないと感じているハズだった。
(しかし今までに会った三人ともまた違って、圧のようなものも一切感じないのが不思議だ)
初めて会った老人は──そこにいるだけ威圧され、彼の規範を破ればたちまち踏みにじられる畏怖が根底にあった。
次に会った男は──ひたすら研ぎ澄まされていて、対峙するだけでその実直さと不断の意志に貫かれるようであった。
最近会ったばかりの彼女は──気の置けない家族のようで、超然としながらも包み込まれるような感覚があった。
そして今隣に立つこの人は──不気味さのようなものはない、まるで大自然とでも話しているような印象を受ける。
言動には子供っぽさが残るものの、ただただ純粋で不可侵ともいえるのやもと。
「壁内部の子供たちを探していたんです。助ける為に、今少し調べる必要がある」
俺は顔色を窺いながら、彼女にだけ聞こえるように耳打ちをする。
「こども……数は?」
「21人がまとまっています。場所は大体──」
指を差し示しそうとする俺は、彼女の言葉によって遮られてしまう。
「そぅ、わかった」
そんな唐突すぎる理解の一言から、矢継ぎ早にじんわりとした微動が地面から伝わってくる。
ともすると──少し離れた場所に、"巨大な四角い構造物"がたちまち盛り上がっていた。
「もぅうるさくしないでね」
「あっはい、大丈夫です。ありがとうございました」
"それ"は子供達が囚われていた区画がまるごと、ここまで移動してきたモノだった。
もはや"反響定位"を使うまでもなく、中には子供がいるのだろうと確信させられる。
(常識を求めるだけ無駄、よな)
大スター演者の乱入アドリブによって、俺が書いている途中だった脚本は容易く紙切れと化した。
もはや探索はおろか、奪還も……予定していた交渉の必要すらなくなったのだから。
「その……お手数お掛けしました、"ルルーテ"さん」
「うん、別に。また次しないならいい。今度やったら……どうしよ、まぁいいや」
のんきにあくびをする彼女は、当の本人が名乗っていない、"その名"を否定せず受け入れた様子。
そうでなくとも"断絶壁"の内部にあっさり干渉し、一部区画を十数秒でここまで届けるなんて超芸当ができる者など……。
円卓の魔術士を倒した俺でも遥か及びつかないほど強い。
"七色竜"と戦えるというイシュトよりも間違いなく強い。
おそらくは"無二たる"よりも、"折れぬ鋼の"よりも、"竜越貴人"よりも強い。
(そうだ、この世界で誰よりも強き者──)
五英傑が一人、"大地の愛娘"ルルーテその人であった。




