#222 強き者 I
「異世界の"万里の長城"──半端ねえ」
人領と魔領の境界線──断絶壁の頂上にて、俺は世界に自分一人しかいない感覚に酔いしれる。
ほぼ垂直に近い高壁は登ってくる人間もほとんどいない。マジノ線のような兵器運用も見当たらない。
「飛行魔物がたまに上空を越えていく程度で済むわけだなこりゃ」
ただひたすらにド巨大く強固な壁だけで、魔領の人領遠征軍はどうしようもなくなってしまう。
"大地の愛娘"のスケールがいかに桁違いなのかを、再認識させられる異様さにして威容であった。
「ハズレ」
俺は逐一、手の平を下に反響定位繰り返しながら歩いていく。
400メートル弱の壁は、地下深く埋没していたワーム迷宮よりも範囲は狭いので御しやすい。
「ここも……ハズレ」
しかしワームの外郭の位置を探るのと違い、壁内部の構造把握はなかなかに骨が折れるというもの。
逆走攻略という実践にして実戦で鍛え上げ、"天眼"を経た今の己であろうとも、脳内処理と容量には限界がある。
だからまずは必要最小限の情報だけ──複数人にまとまった子供に集中して探索していく。
何度も、何度も、壁上を歩きながらひたすらに。
「ハズっ、ん──」
違和感を覚えた俺はうつ伏せに寝そべって耳を当てながら、もう一度だけ音振波を放つ。
返ってくる残響を半長耳から直に聞いて、頭の中でパースを構築する。
「っぽいな。ぽいぽい……」
小さく捉えたシルエットの数は21人、一所に寄り集まってるのがわかる。
(っし、後は道筋を把握して──)
そこで俺の思考は中断され、反射的に息吹と共に魔術を発動させた。
「ふゥー……」
"六重風皮膜"を纏って、姿を隠し、匂い消し、音を遮断する。
さらに魔力加速器操法による循環を、体の隅々に行き渡らせた。
「弟ォ、アレゃなんだと思う?」
「とりあえず調べればわかるじゃねえの兄ィ」
俺は壁下から垂直に登ってきた"2人組"を視認する。
黒い毛並みが美しい、スラリとした筋肉を備えた中背の豹獣人が2人──おそらくは話に聞いていた"ケンスゥ会"の猛者だろう。
(獣人種は感覚が鋭いから、気付かれたとしても想定の範囲内だったが……)
今からこの区画壁の一帯をさらに多角的に精査し、内部構造の確度を高める必要がある。
ウロチョロされると邪魔であり、リウ組と交渉もしなくてはならないので、いなくなるまでのんびり待つというわけにもいかない。
(他に登ってくるような奴の気配はない、な)
とりあえずあの2人だけを増援を呼ぶ前に打ち倒せば、追加の人員はなくなるだろう。
「……気付いたか?」
「もちろんだ兄ィ、匂いが不自然に途切れてやがる」
すると兄弟はそれぞれが静かに、斧と長槍を構えて臨戦態勢に入る。
既に存在自体は勘付かれているようだし、俺は堂々と一層目の"歪光迷彩"を解いて姿を現すことにした。
『──っ!!』
驚愕を表情に張り付けてはいるが、互いに言葉を交わさぬまま刃先をこちらへと向けてくる黒豹兄弟。
俺は彼我戦力差を分析した上で、仮に獣身変化されようとも問題ないと判断した。
(あくまで手合わせとはいえ、バルゥ殿とバリス殿との三つ巴に比べれば──)
所詮は辺境の裏組織で鳴らす程度、お山の大将の域を出ない。
似たような裏組織でも、ゲイル・オーラムがあまりに例外な"強者"だっただけである。
「こんなところで何してんだ、長耳野郎」
「お前が雑音の原因か?」
兄と呼ばれていた方が斧に炎を宿し、ギリッと鋭い牙を剥く。
弟と呼ばれていた方はブンブンとウォーミングアップするように、長槍を振り回し威嚇してきていた。
「一応言っておく。争う必要はあるか? 俺がこれからすることも含め、全てに目を瞑って地上へ戻ってもらえないか」
「お断りだね」
「つーかなんでいきなり現れた? どうやった?」
俺は闘争および殺害へと完全にスイッチを切り替えると、軽い口調でのたまう。
「残念だ、それじゃぁ俺の──」
俺は続く言葉を、先んじて投げた。
『糧となってくれ』
バッと反射的に黒豹兄弟が後ろを振り向くのが見える。しかし声がしたその方向には……誰もいない。
すぐに視線を戻した兄弟の前には──無数の俺が立って、一様に薄ら笑いを浮かべていた。
『これなら勝てそうだな』
『10秒だ』
『気楽にいこうぜ』
『俺が出るまでもないね』
『冥府巡りの片道切符は貴様らの命で買ってもらうとするか』
"撹乱擲声"──音の方向性を操作して、判然としない音源を擬似的に作り出す魔術。
非常に単純ではあるが、通常戦闘はもとより奇襲においてはことさら効果的なもの。
さらに俺は空気密度を調整し、"虚幻空映"による無数の蜃気楼にそれぞれ喋らせるように見せたのだった。
「はあァア……!?」
「なんっなんだこりゃッッ!!」
黒豹兄弟はそれぞれ虚像に攻撃するも空を切り続け、俺自身は紛れるように相対距離を悠々詰めた。
「続きは下で」
撹拌された大気によって蜃気楼はかき消えたが、既に俺は白兵の間合にて告げる。
「っおらァ!!」
虚を突かれていようと反射的かつ的確に攻撃してきたのは、腐っても一組織の猛者であろう。
薙ぎ払われた炎斧は、俺の肉体へと無慈悲に襲いかかる。
しかし2層目の"風力衣"に炎を吸われ、3層目の"真空断絶層"に熱を断たれ、4層目の"液体窒素鎧"によって刃が凍り止まってしまった。
(そうそう、普通はこんなもんなんだよな)
「っぐご──!?」
俺は左手で兄の方の頭を掴みながら、いたって冷静に手応えを咀嚼する。
"六重風皮膜"──その名の通り、6層の魔術を組み合わせた超複合装甲。
密度差で光や放射線を捻じ曲げ、風速を纏いて攻撃を流し、真空を挟んで断熱・絶縁・遮音。
液体窒素で運動エネルギーを喪失させ、音圧振動による接触爆発反応で反射し、固化させた窒素および酸素で止めきる。
さらには過程で発生したあらゆる衝撃エネルギーを、自身に転嫁して加速などに用いるという超がつく高級術技。
回避行動をしたのに5層目の音振爆発をも無視して、一撃で斬り込んできた"筆頭魔剣士"テオドールの斬撃こそ異常だったのだ。
「お別れだ……」
"空投哭"──俺は言葉と共に握った顔面から全身へと、彼自身の炎によって燃え上がる竜巻を叩き込んだ。
さらに壁外街がある人領側ではなく、魔領側の壁下へと半円軌道を描くように投げ飛ばす。
黒豹・兄は指向性の火炎旋嵐によって運ばれるように、地べたまで墜落したのだった。
「シァッ──シァッ──!!」
黒豹・弟は肺から漏れるような獣声に乗せるように、超高速の槍捌きで空間を蹂躙し続ける。
尋常者の目には決して映らぬであろう攻撃を、俺は風の流れに乗せて回避しつつ……一歩だけ踏み込む。
そうして右手で黒豹弟の首根っこを掴むと、俺は体ごと引っこ抜くように揃って空中へと飛び出した。
「馬鹿ッかてめェ!!」
「毎度どうも、シップスクラーク運送です。お届け先は地上、お届け物は死体一つ、超特急便の追加料金は命となります」
俺は大気を蹴るように爆燃させると垂直落下方向へ飛び出し、電離したプラズマを纏いながら超加速していく。
「ライッッディィィイイイイ────ーィインッ!!!」
雷光がごとき流星が地面に直撃すると同時に爆発し、魔領側の地上にはクレーターが形成されたのだった。




