#218 契約 III
「よしっ、これからお前の名前は"ヤナギ"だ」
「キュゥア!!」
すると足元にいた幼灰竜もいなないて、くるくると周りを回りだす。
アッシュと同じように即興の名ではあるが、フィーリングというものは大事だ。
「……何か意味のある言葉なのですか?」
「あぁ、地球語の植物の名だ──ヤナギ」
「や……あ、ぐ……」
「そうだ、ヤ・ナ・ギ」
「や・ぁ・い」
「ベイリル、クロアーネ、アッシュ、ヤナギ」
「べぃぅ、くあー、あし、やーぎ」
俺は順番に人差し指を向けていきながら、それぞれの名前を言っていく。
「ベイリル、クロアーネ、アッシュ、ヤナギ」
「べいる、くろー、あっし、やぁぎ」
何度も、何度も、何度も──
まずは自分を認識し、自己を確立し、自身を肯定することから始まる。
そして他人と向き合い、他者と交わり、相手を理解することで前へと進む。
何度か名前を呼び続けたところで、俺はふと思い至る。
「ん? ところで……この子の性別はどっちだ」
「女の子ですよ」
「よくわかるな?」
「私は貴方よりも鼻が利きますから。子供であろうと汚れていようと、それくらいは」
ハーフエルフの強化感覚には自信があったが、さすがに犬の獣人であり料理人であるクロアーネには敵わない。
「なるほどね、まぁ女の子の名前でも問題はないか」
どのみち地球の発音だし、異世界的には少し物珍しいといった程度である。
「んじゃ俺はヤナギにもう少し魔力操作を教えるから──」
「……調理は私一人でしろと」
「労働力が足りないというのなら、手伝おうか?」
クロアーネは幅広の腰帯で体にくくりつけていた調理セットを、華麗にバラリと広げる。
「それは愚問というものです」
◇
廃屋から出ると雨はすっかり明けて、陽光が雲間から差し込んでいた。
まるで新たな門出を祝福するかのように、覗く青空が未来を暗示しているようにも思いたくなる。
俺は溶け落ちたロウソクの乗った石台へ、指をパチンッと鳴らすと"風擲斬"で破壊した。
(素晴らしい収穫だ、と言えるだろう)
回収した資料・魔術具多数。救出した子供奴隷の数はヤナギを含め、のべ24名に及んだ。
地上の護衛2人は廃屋に縛って放置。地下管理所は崩壊させて、再利用は不可能とした。
とりあえず応急的に身奇麗にし、食事も摂った身寄りなき子供達。
人族はもとより、亜人種に獣人種に魔族まで多種多様。
そして当然ながらこれで終わりというわけではなく──むしろここからが本番とも言えた。
「まずは財団に連絡して、この子らを引き受けてもらわないとな」
「戸籍も必要になりますね」
「サイジック領民にしちゃえばいいから、そこらへんは俺たちの時よりも楽な手続きだな。なんならモーガニト領民にしてもいいのか」
モーガニトの屋敷は空いているし、土地もかなり余っている。
ただ今しばらくはジェーンに頼んで、結唱会と一緒に基礎教育からしてもらう方がいいだろう。
「とりあえず残る保管所の子供らを救出しないとならんな、"アーセン・ネットワーク"も掌握しなくちゃいけない」
「人員が足りますか? 保管所は四つもあるようですが、制圧にはそれなりの戦力が必要でしょう」
「俺が直接行くから大丈夫だ」
眉を顰め、眼を細め──怪訝な表情を浮かべるクロアーネに俺は言を加える。
「俺一人なら最速で行ける。財団員には回収だけ依頼する、それなら戦闘要員もいらない」
「……そうですか、ではここでお別れですね」
喜んでいるのか、少しは惜しまれているのか、俺は彼女の心情をはかりかねる。
どちらとも言えない、むしろ本音を隠すような印象を受けるに……悪くないとポジティブに考えよう。
「実はそうでもないんだな、クロアーネは一番近い奴隷保管所へ向かって欲しい」
「なにをわけのわからないことを──」
「ここから一番近いのは……"断絶壁"か、丁度いいからソコで落ち合おう。場所、わかるか?」
「あそこは"特殊な場所"ですし、なにより財団支部だけでなく開発部門もあります」
「そうだったな、さすが元情報部。いらん世話だったかな」
「その通りです。しかしながら……」
するとクロアーネは、一拍置いてから意思を示す。
「お断りします」
「ヤナギとアッシュも連れていってくれ。二人とも懐いてるようだしな」
「お断りします」
「他の子供たちに関しては、とりあえず俺が最寄りの財団支部へ連れていくから」
「お断りします」
「つい最近、栽培・増産に成功した素材の新レシピ」
「っ……この貸しは大きいですよ」
俺はほくそ笑むように口角をあげ、しばらくはお預けになるだろう舌戦に興じる。
「了解、俺の一生を懸けて返し続けるよ」
「やっぱりお断りします」
「色々な人に貸しを作って、その利息だけで余生を過ごすとか、すっごく憧れないか?」
「……後年ボケますよ、他のエルフみたいに」
「そうならない為の"文明回華"さ」
懐から取り出した最新の小冊子を、俺はクロアーネに投げ渡す。
「これは……?」
「フリーマギエンス"星典"だ」
「そんなことは知ってます。幼児と幼竜のお守りだけじゃなく、教育までしろと?」
「まぁまっ、美味いモンをたらふく食った栄養分は有効に使わないとな。掛けた代金は全部払う」
「破産させてやりましょう」
「腐っても領地持ちだぞ。いや……もしかして土地ごと召し上げてモーガニト姓を名乗りたい?」
「一っっっ言もそんなことは言ってません」
「そんな面倒なことしなくても手っ取り早い方法があるのになぁ、クロアーネ・モーガニト──んっ、語呂は悪いか」
「本当に減らない口ですね」
「くっはははは、まぁよろしく頼むよ」
「はぁ……まったく」
クロアーネの大きな嘆息を了承と受け取って、俺はしゃがんでヤナギに伝える。
「ヤナギ、クロアーネについてくんだ」
「くろー」
「そう、クロだ。このお姉ちゃんと一緒にいるんだぞ。アッシュも一緒だ」
「クゥゥウァゥ」
バサバサと屋内で飛ぶアッシュは、もはや諦めた表情を浮かべるクロアーネの肩に止まる。
「それとぐるぐる」
「ぐーるぐーる」
指で体全体に円を描くと、ヤナギもそれを真似して自分の前で小さな手を回す。
「そうだ、ぐーるぐる。魔力の循環を忘れないようにな」
「……ん、べいる、ぐるぐる」
コクリと頷きながら俺はポンポンッと頭を撫でてやる。
(愛いのう、ただなんというかもう子供でもないな……"孫"だこれ)
変則的とはいえ既にジェーンらを相手に、子育てをしたようなもの。
そこから学生生活を経て色々と感性は若返ったが、本来の精神年齢からすれば孫がいるような年である。
あとは彼女を手ずから育てつつ、他にも部隊となるべき人員を選りすぐっていこう。
(しかしまっ、郷に入ってはなんとやらか……)
果てしない野望もあるとはいえ、俺がセイマールと同じようなことをやることになるとは。
時既に異世界の倫理や常識というものに染まりきっているし、人間性も大いに変わってきたから受け入れるより他はない。
ただそれもまた変化であり、枯れるのではなく環境に適応していることを前向きに喜ばしく生きていこう。
「ふゥー……」
俺は"六重風皮膜"を纏い、魔力加速器操法で循環を高める。
子供の重量とはいえ23人の安全な輸送、緻密なコントロールを要求される芸当である。
「"六枚風"──賽!」
固定化された大気の壁が地面からせり上がるように、合わせて6面で包み込む。
全員に風を付与してゆっくりと慎重に飛ぶよりは、一箇所にまとめて輸送する方が楽という判断。
さらに光の屈折率を操作して、大気の結界は周囲の風景と同化していく。
ワーキャーと子供らの不可思議と楽しさの混じった声が聞こえてくるので、追加で遮音もかけた。
「それじゃクロアーネ、"断絶壁街"で」
「えぇ、不本意ですが……早めに戻ってきてもらえると助かります」
クロアーネは澄ました様子でそう告げ、俺は笑みだけで返す。
「アッシュ、クロアーネについていけ。それとヤナギを守ってやれ」
「クゥァア!」
再び勝手についてこられてもアレなので、しっかりとハンドサインと共に言葉で伝えておく。
「ヤナギもまた後でな」
「んっ!」
ちゃんと理解しているかは疑わしいが、とりあえずは良い返事だった。
そして俺自身も"歪光迷彩"を纏って姿をくらまし、大気の六面結界を押し出しながら空へと舞い昇った。
四部1章はこれにて終了。
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