#13 暗殺
持ち出した物品を一度全て元の状態に戻してから、俺は注意深く部屋を出た。
既に朝日が差し込み始めていて、起き出して来る者も出てくる時間──
この屋敷を恒常的に使っている者は、さほど多くない。
季に一度ある巡礼時には人が増えるが、そうでなければ使われてない部屋は多くある。
一時来客用にも使われていない物置部屋を見つけて、中に死角となるスペースを作る。
準備を終えてから近くの廊下の片隅に立って、俺は静かに詠唱した。
「歪曲せよ、投影せよ、世界は偽りに満ちている。空六柱改法──"虚幻空映"」
空気を歪ませて光を屈折させる。俺の姿は消え失せて、周囲の景色と同化した。
あくまで静止している状態でしかまだ有効ではないが、今はそれでも十分な効果である。
後はただただ人が通り掛かるまで待ち続けた。
「はァー……」
俺は一人の道員が歩いてきた気配を感じると、肺の中の空気を吐き出していく。
それが"魔術"発動のトリガー行為。肺を空っぽにして、呼吸を止めている間だけ効果を発揮する。
すると道員は、その領域に差し掛かった瞬間に崩れ落ちるように倒れた──瞬間に俺は音が立たぬよう、その肉体を抱え止める。
この魔術は目に見えず、音もなく、匂いもなければ、素肌でも感じられない。
それは空気中の約21%を占める、地上で二番目にありふれた気体。
生命活動の源にして……この世で最も強力な毒ガス、と言えるかも知れない。
目視して特定範囲を狙い、肺から絞り出せば──たちまちそこは"死域"と化す。
(──答えは酸素。わかった時には、もう遅……異世界ではわからんか)
"酸素濃度低下"。空気中の酸素の割合を、一定値以下に分解・消散させる空属魔術。
真空を作り出してかつ状態を維持するよりも、遥かに容易く露見しにくい。
それは元世界の過去……派遣先の酸欠講習で学んだこと。
一般的に、人は食べなくても3週間は耐えられる。水を飲まなくても3日は生きていられる。
だが呼吸できなければ3分ほどで意識を失い、そのまま死に至るケースもありえる。
そして酸素濃度が一定より下回れば、たった一呼吸で意識は途絶する。
さらには連鎖的な内臓と脳の機能停止に、よって絶命に至らしめる。
原因に気付かずに助けに行けば仲良くお陀仏になる、危険な労働災害の一つである。
俺は死んだ道員をすぐに倉庫へと運び込む。
物陰に隠れるように死体を置いて布を掛けてから、初めて人間を殺した実感を確認する。
(ここから始める。まずは最初の踏み台、ご苦労さん──と)
野生動物には何度か使ったものの、人間に対して使ったのは初めてだった。
ひとまずはしっかりと通じたようで──安堵するような心地が強かった。
あとはこれを機に、魔術を練り上げていく実験台とさせてもらう。
(魔力配分も注意しないとな……)
巡礼でやって来た道員達は、自由裁量で動いているゆえにいなくなってもバレにくい。
仮に死体が見つかっても、死因も謎であるし俺がやったという証拠もない。
それで洗礼が先延ばしになったり、内部紛争にでもなれば──それはそれで儲けものである。
あくまで計画的にステルス迷彩と空気暗殺と死体運搬とを繰り返し、淡々と隠し積み上げていった。
◇
(ぼちぼち切り上げ時、だな──)
太陽が上空を迎えてより、俺は魔力の回復まで計算に入れて頃合いと判断する。
2階部にあたる物置部屋の窓から地上を観察すると、とりあえず人影は見当たらない。
俺は物置部屋の扉の建て付けを破壊して簡単には開けられないようにし、窓から外へと踊り出た。
パルクールの要領で屋根の上まで登り、煙突の頂点でしゃがんでもう一度広い視野でもって周囲を探る。
地上で喋っている二人の道員の位置を把握し、近くに他の誰もいないことも確認する。
「ふゥー……」
息吹と共に"風皮膜"を纏うと、二人に狙いを澄まして飛び降りる。
道員と着地衝突する瞬間に、左右それぞれに細く形成した風螺旋槍で脳幹を突き刺し、降下暗殺を決めた。
三寸切り込めば人は死ぬ。
必要充分な威力だけで絶命した二つの死体を抱えて、俺は厩舎まで疾走する。
積まれた藁山の中に死体をぶち込んで隠し、"風被膜"を解いて装いを整えた。
(纏っていた風のおかげで血の汚れもナシ、っとマズ──)
俺は気配を感じて、咄嗟に物陰に隠れる。
すると一人の男が、音のしたこちらの方へキョロキョロと見回しながら近づいて来ていた。
「鳴響尽く、遮り鎮めん。空六柱振法──"凪の気海"」
俺は魔術を使って特定範囲の音の伝達を遮断した。
3人と内密な話をする時に使っていたが、暗殺にも非常に有効な空属魔術。
これでいくら叫ばれようとも、問題はなくなった。
「……誰かいるのか?」
俺が使う魔術は、基本的に異世界言語ではなく日本語による口語詠唱である。
その為一聞したところで、異世界人には魔術を使われたことはバレにくい。
「あぁどうもすいません、少し落とし物をしてしまって……」
「そうか、何を失くしたんだ? 一緒に探そう」
「いえいえお手を煩わせるほどの物では……。ところで"アーセン"殿がどこにいるか知りませんか?」
「アーセン? 聞いたことないな。道員は結構いるから、いちいち名前を覚えてなくてな」
「そうですか……残念だ」
アーセン。セイマールについてきていた、自分達の先輩にあたる男。
結構な実力者だろうから、調べて始末しておきたったのだが仕方ない。
俺は用済みとなった道員へ指をパチンッと鳴らして、"素晴らしき風擲斬・捻燕"を放った。
それは凝縮し螺旋回転を伴う貫通力に振った形態で、心臓を穿たれた死体を、同じ藁山に突っ込んで隠蔽しつつ外へ出る。
何事もなかったように歩き出しながら、俺はフードを脱いで自分の力を再認識する。
「やれるもんだな」
──俗に言う、"現代知識チート"バンザイ。
それは魔術や技術を習得する上で、大きく寄与してくれた。
魔術は一定の化学反応プロセスを無視して、直接的に影響を与えることができる。
分子や原子という存在を知っているがゆえに、異世界の常識よりも広く深い発想で魔術を使える。
普通に使うよりも消費対効果に優れた物理現象として放出することができる。
(とはいえ元々持っている知識や観念が邪魔をしている部分もあるから一長一短なわけだが……)
自由奔放なリーティアの多彩な魔術を知っていると、余計にそう思う。
なんにせよ地球史のにおける発想が──積み上げられた集合知が──俺と異世界との差異になっていることは確かだった。
根本的な思考方法が違う。模倣可能な絶対数が違うのは、間違いなく大きな強みであった。
──そしてそれは……なにも勉学で得た知識だけに留まらない。
(娯楽として楽しんでいたモノが、俺の血肉になっていく──)
前世の様々な媒体で得た知識やら魔法やら能力が、異世界で有利要素として活きる。
"術技"を使う時に必要な想像力を、外付けで多種多様に富んだ補強をしてくれる。
「それに、元世界とは規格が違うからな」
転生前のロクな運動もしてなかった、中年の肉体とは違う。
自分が望むように体が動いてくれることが、ただただ単純に楽しい。
血は半分ながら魔力の循環に優れたエルフ種、さらに成長期にしっかりと鍛え上げた肉体。
前世において動画で見たような、体操選手や陸上選手の動きや記録をも易々と超える性能。
明晰夢で散々妄想して鳴らした超人的な動きを、魔術も併用することで体現できる。
感覚器官も強化され、脳の処理能力も違うのか……意識し集中させた五感で、モノをよく把握できる。
訓練の成果を──鍛えれば鍛えた分だけ──はっきりと実感できるほどに伸びていく愉悦。
元の世界では苦痛を伴う努力だったことも、この異世界では努力の内に入らないのが最高だった。
歴史上の英雄クラスともなれば、単独で巨大な竜すらも打ち倒すらしいスケール。
それが異世界の基本水準。元世界の不自由を知るからこそ、圧倒的な爽快感を得られるのだ。
「喜楽&興奮異世界。結局のところ俺も……ご多分に漏れることなく男の子ってことだ」
別館へと歩を進めながら、自嘲気味にひとりごちる。
"強さ"という一点に、憧れをどうしたって捨て切れないのだ。
力を比べ、力を示すという、原始にして本能に根ざした行為。
転生して過ごしていく内に、我ながら随分と精神性も変わってきたように思う。
異世界と、魔術と、ハーフエルフと──"闘争"とは最高の娯楽の一つなのだ。
前世では大晦日に格闘技の試合を見たりして「痛い思いまでしてなぁ……」なんて考えていたのに。
異世界で本格的に鍛え始めてからは、戦闘狂の気持ちの一端が共感できてしまう。
漫画で見たあの能力を。アニメで見たあの技を。映画で感動したあの動きを──
自身の肉体で模倣すること。魔術として再現できた時の充実感たるや……。
夢想を現実にするという名状し難い悦楽には、抗えないのが本音であった。
(どんな形であれ強くなれば可能性が広がる、だが選択肢が増えれば……)
──その分だけ、間違える可能性も増えてしまうことを忘れてはいけない。
いつだって今の選択こそが、最善だと信じて行動している。
間違いだった、失敗だったと、結果論で語っても詮無いことだ。
ただ少なくとも、選べなかったことによる後悔だけはしたくない──とも思っている。
だから必要なのは失敗をも、最低限現状回復できるだけの選択肢を用意すること。
一つ一つの選択がどれも成功へ繋がるように、確率を上げられるよう常に備えておくこと。
「俺の選択、まずはこのふざけた宗道団をぶち壊す。家族と明日の為に──」




