#210 我がゆくは領地の空 I
連邦西部にある、アーセンがいるとされる街に向かう途中──
「バランス悪いんだよなあ」
俺は風の波を掴んでサーフィンするように空を飛行しながら、背面の人物へと愚痴るように言う。
「貴方に抱きかかえられるくらいなら、私は地上から行きます」
クロアーネは自前の有線誘導の金属糸を使って、俺と腰部を中心に最低限固定して随伴飛行していた。
戦争で制空権を確保していた間に散々っぱら時間があったので、普通の飛行機動も可能にはなった。
しかし何も考えず一番具合が良いのは、やはりこの飛行型に落ち着いた。
空を道に見立てて滑るように飛行するからこそ、咄嗟の事態にも対応しやすく"お姫様抱っこ"も可能となる。
俺としては是が非でもやろうと思ったが、しかしてクロアーネに断固拒否された。
いくら飛行練度が上がったとはいっても、空中で抵抗されては彼女を落としかねないし俺も墜落しかねないので諦めるしかない。
「地上からって……それじゃ大幅に遅れるだろう」
「その時は私の責任をもって追跡します」
風に溜息を混ぜて流しながら、俺は彼女をどう攻略していこうかと考える。
とりあえず困った時は料理の話題を振ればいいのだが、そればっかりでは食傷になる。
最初の頃と違って険悪というわけではないのだが、お互い第一印象が第一印象なだけに踏み込みにくさは残る。
(はからずの好機なわけだし)
フラウ、ハルミア、キャシーのパーティも一時解散し、それでいてクロアーネと共に過ごせる状況。
これを活かさない手はない。長命種相手ならのんびりといけるが、獣人種はそうもいかないのだ。
恋愛の駆け引きを楽しみたい部分もあるのだが、想定よりもさらにクロアーネのガードが固い。
イケそうな時には躊躇なく突っ込んだ方がいいのも、また事実なのである。
「まぁそれならそれで、俺はクロアーネと一緒にいられる時間が増えていいし……地上から行くとするか」
「この状態のまま街へ行けば問題ありません」
「今の密着状態も悪くはないからいい……っぉおオーイッ、吊られっぱは姿勢制御が危険すぎるからやめてくれ!」
ワイヤーを緩め始めて宙ぶらりんになろうとしたクロアーネに、俺は懇願するように叫ぶ。
「余計なことを言わず、黙って運べばいいんです。荷物を置いてきてしまったのも貴方の所為ですから」
「大事な調理道具一式は持っているだろう、他のモノは調達すればいいさ」
「財団の封蝋印なども入っていたのですが」
「それは俺も持ってるから大丈夫。残したのはフラウたちがちゃんと持って帰ってくれるさ」
俺はベルトに装着されてる専用ケースから、財団とモーガニト伯爵家の印璽リングをそれぞれ見せる。
「というかベイリル貴方こそ、何か持っていくモノはなかったのですか」
「武具一式は完全装備だったからな、他には何もいらない」
"竜越貴人"が最初に圧力を放って臨戦態勢に入ってたので、必要な物は揃っている。
腹が減ったら狩猟すればいいし、多少の水なら汎属魔術で生み出せる。
天空を駆ける機動力があれば、どこかしらの村なり街なりを見つけて降りられるから野宿する必要もない。
「旅程をなめくさってますね」
「いやいやさすがに人里からも遠く離れた未開拓地に踏み入る時は、相応の準備はするさ」
「現状の行動範囲なら問題ないと?」
「そりゃもう"天空魔術士"ですから。強化感覚をもってすれば迷うことも滅多にないし、探索範囲も広いぞ」
「天空……? 飛空魔術士とは違うのですか」
「一般的に飛行できる魔術士はそう呼ばれるけど、俺は"天空魔術士"を名乗る。なぜならそっちのが好みだから」
「そうですか、私の知ったことではありませんが」
軽口を言い合っている途中で、俺は背後に感じた気配に気付いて速度をわずかに落とした。
「クゥゥゥァアア!!」
「おいおい、アッシュ──ついてきちゃったのか」
はたしてくるくると周囲を飛び回るのは、幼灰竜であった。
(あー……そういえば、フラウについているようアッシュ自身には言い含めてなかったか)
話の中で自然と人語を解している節こそあっても、やはりまだまだ完全理解には程遠いようである。
「しかしまぁ……人を一人分だけ余計に抱えているとはいえ、俺の巡航速度に追いついてくるか」
「なっ!? ちょっ、なんで私にまとわりつくのですか!」
すり寄ってくる灰竜の扱いに困ったような様子で、クロアーネは珍しく狼狽した声をあげる。
「俺たち以外で物珍しかったか、料理の匂いが染み付いてるんじゃないか」
「くっ──」
「まぁまぁ、懐かれているなら良いことだろう」
「はぁー……まったく、竜は雑食でしたね」
「あまり美食家になられても食事代が嵩むから、ほどほどに頼む」
「妥協はしません」
「ですよねー」
「キュゥゥアッ!」
クロアーネはどこからか取り出した干し肉を投げると、アッシュは空中で器用に口でキャッチする。
完全に餌付けされるのも時間の問題か──などと考えていると、遠く空に影が見えた。
「んー……? 歪曲せよ、投影せよ、世界は偽りに満ちている。空六柱改法──"虚幻空映"」
俺は指をパチンッと鳴らしてこちらを見たアッシュに、"傍を離れるな"のハンドサインを出しながら詠唱をする。
クロアーネとアッシュの周囲ごと空気密度を変えて、まとめて背景と同化したまま飛行を続ける。
「何事ですか」
「空の彼方に踊る影アリ、だからとりあえずの警戒」
いきなり攻撃を仕掛けてどこぞの飛空部隊などだったら大問題になる。
まずは未確認飛行物体を見定める必要があった。
相対距離はどんどん縮まっていき、数とシルエットまで把握する。
俺はそのままクロアーネとアッシュを連れてステルスを解き、減速を掛けながら軌道を変えて迂回した。
そうして影の進行方向を正面に捉えたところで、俺は"圧縮固化空気"の足場を2つ作る。
クロアーネも鋭い眼光にその敵影を映したのか、いつも通り淡白な様子で口にする。
「……空飛ぶ魔物ですか、珍しいですね」
「明確な境界線はわからんが、とりあえずまだモーガニト領だろう。少しは領主っぽい仕事をしようか」
それぞれ固化空気の足場に立ったところで、俺は左右のリボルバーをダブルでガンスピンさせながら体内の魔力循環を加速させていく。
「自領の治安を守る体制を作るのが領主であって、自ら出張って討伐するのは早々いませんが」
ごもっともな意見に俺は肩をすくめつつも、開き直った表情で返す。
「"戦帝"に比べれば、なんだって可愛いもんさ」
あれこそワンマントップの生きた見本にして、それらのさらに頂点である。
財団という組織体系がしかと形になってきた今、現状で俺が役に立てることなどほとんどない。
精々が誇れるのは隠密高機動の武力だけであり、発揮する機会があるのならば存分に振るわせてもらう。
「手伝いは、必要なさそうですね」
「無論。それとアッシュも待機な」
「クァウゥゥゥ」
少しだけ名残惜しそうな鳴き声を残したアッシュは、大人しくクロアーネのローブの下に潜り込んでいく。
「んなああっ──このッちょっと!」
クロアーネに悲鳴をあげさせながら、もぞもぞと動くアッシュに俺は少しばかり羨ましさを覚える。
(さて殺すのはいいが……墜落させたら処理が面倒、か)
そう考えを改めて自己完結してところで、俺は二挺拳銃をホルスターへとしまう。
「……なぁ、クロアーネ」
しばらくモゾモゾとしているのをクロアーネを眺めつつ、ようやくアッシュを落ち着かせた彼女に俺は声を掛けた。
「っはぁ……はぁ……なんですか、領主の仕事など手伝いませんよ」
「でも料理なら?」
ほくそ笑むように尋ねた俺を、みなまで言わずとも理解したクロアーネはバッサリ否定する。
「あの種は初めて見ますから、今は無理です」
「おっ調理が無理だとは、意外な発言」
「まずい食材はない、と私も言いたいですが……実際の腕にはまだまだ未熟な部分がありますから」
「将来的にはできる、わけね」
本格的に調理道を進み始めたのは学園に通い初めてからであるし、まだ5年にも満たない。
元々の下地はあるとはいえ、クロアーネも道半ばであることは大いに自覚しているようだった。
「知らぬ素材の調理は、新鮮さをとるか熟成をとるかに始まり、適切な調理法を見つけるのにも時間が掛かります。
魔物の料理が領分であった"レド"なら、経験と勘でやってしまうかも知れませんが……どちらにしても数が多すぎます」
「アーセンのとこに行かにゃならんし、暇なしか」
「そういうことです。わかったのならばさっさと討伐してください」
俺はフッと嘆息を吐きつつ、迫りくる敵影に向かって感覚を傾けるのだった──




