#206 竜越貴人 VI
「──貴方を財団に勧誘してはダメですか?」
創世神話より生き続ける五英傑。味方となればこれ以上心強い人物はいない。
しかし返ってきた答えは、非常にシンプルなものであった。
「断る。儂はいつだって自由に生きるでな──世界がどう転ぼうとも、それとてまた人の成り行きじゃ」
(なるほど、らしいな)
にべもなく断られてしまったが、特段の驚きもなかった。
まさしく長命のお手本であり、それだけ生きていてなお精神が枯れることのない気質。
こうして改まった知己を得たのに、味方にできないのは残念だが──同時に彼女は敵にもなるまい。
("竜越貴人"アイトエル、彼女を知れたことそれ自体が大きいから良し)
当然ながらシールフは知っていただろうが、これまでの態度からして関連することは口止めされていた感じ。
しかし俺がこうしてアイトエルと改めて話したことで、財団の方針として示すことができる。
なにせ世界を変革していくにあたって、"五英傑"の存在は常に留意しておくべき最重要事案。
時として最大の障害となりかねない彼らの動向には、慎重を期して当たらねばならない。
戦争行為においては"折れぬ鋼の"が目の上のたんこぶだし、領域を荒らせば"無二たる"も黙っていない。
そして数多くの組織を設立し、各所に多大な影響力を持ち、魔王具で身軽に転移できる"竜越貴人"。
ある意味で最も敵に回したくない彼女が中立でいてくれるのならば、それだけで十分である。
彼女自身を害することがないよう注意だけしておけばいいし、多少の被害であれば直接会って弁解できるかも知れない。
「話も尽きてきたかの、"脚本家"の死体と結社の存在で必要な用事は終わりじゃ。皆に何を話すかは自分で決めるがよい」
「このたびは本当にありがとうございました」
俺は心の底からの想いを言葉に込めて、アイトエルに向かって深く一礼する。
「礼には及ばん」
ポンッと下げた頭を童女に撫でられ、俺はなんとなく母の姿を想起した。
もっとも彼女から見れば、世界に生きるほとんどこそ童子も同然なのだが。
俺は意味深な言葉を胸裏に刻んで後、顔を上げて最後の最後に……一つ問いかける。
「──お姉さん、ひょっとして凄腕の魔導師?」
俺は舌っ足らずで高めの抑揚でそう言った──それはかつて……初めて会った時に発した疑問。
あの時の教えがあったからこそ俺は生きているし、こうして強くなれたと思っている。
「うん……? んっ、ふむ──」
一瞬虚を突かれた表情を浮かべたアイトエルは、すぐに察したように言葉を続ける
「まぁそれなりに自信はあるつもりじゃ。おんしはそんなに"魔導"を使いたいのかの?」
まさか覚えているわけがないし、十中八九流されると思った戯れだったのだが……あの時とほぼ同じ返しをされる。
一体全体どんな記憶容量を持っているのか、もとより常識が通じない相手だから気にするだけ無駄かも知れない。
「突然……すみません」
「構わん構わん、なかなかおもしろい余興じゃ。じゃから特別に教授してやろう」
柔和な表情を浮かべたアイトエルは双瞳を閉じて、一拍置いてから真剣な面持ちで見据えてくる。
「なにゆえ魔導を望むか──」
「より天空へ昇る為に」
「その果てに何がある──」
「さらなる宇宙へと辿り着きたい、いつまでもどこまでも」
「それが苦難の道であってもか──」
「苦難であっても辛いとは思わない、好きで選んだ新たな人生なので──」
覚悟を質すような問答を終えると、アイトエルは腕を組んで満足気にうなずく。
「うむ! 良き面構えに力強い言葉──申し分なし」
「今のはなんなんです?」
「気分じゃ」
俺はギュッと強張らせていた神経を弛緩させ、問われ答えた言葉に志を熱くした。
「それじゃあ講釈を垂れるとするか」
「よろしくお願いします」
「そうさの……魔導と魔術の境界線は知っているかの?」
「一般的に──現象それ自体を起こすのが魔術であり、物理現象によらない効果が魔導と習いました」
俺は学園生時代に、魔術部魔術科で習ったことを思い出して答える。
非常に曖昧な定義だったが……一般的な認識ではそういうものだった。
それほどまでに魔導師は少なく、また行使手本人も秘匿するのが常である。
実際にシールフも自分自身の魔導については、基本的に隠している。
「認識としては間違っていない。そしてそこを語るにはまず、魔力について教えねばなるまい」
「魔術でも魔法でも、肉体・感覚の強化から魔道具の発動まで──全ての根源、ですね」
異世界における元世界との決定的な相違点。謎のエネルギー源たる魔力。
人体──主に血流と共に循環しているようであり、使ってもまた自然に回復していく。
貯留される魔力は個人差があり、魔術として放出するのみならず肉体や感覚器官を強化せしめる。
「魔力には固有の"色"がある、これは初代魔王──あの子なりの表現の仕方じゃったが、儂も今はしっくりくる」
シールフの講義でもそんなようなことを説明していた気がする。
彼女がアイトエルからそのことを聞いていたのならば、その大元はさらに初代魔王だったということか。
「つまりは個々の色がついた魔力が血液を通じて全身の隅々に行き渡り、様々な恩恵をもたらすわけじゃな。
よって相手の肉体内部に、直接作用させる魔術は使えない。なぜなら魔力の色同士が反発してしまうゆえ」
「まぁ……脳の血管を直接切断したり、空気を発生させれば小さい労力で殺せますもんね」
あくまで物理的な現象を起こし、外部から破壊するのが魔術の基本。
内部から直接爆発させたり、中毒を起こさせたりといったことは不可能である。
また財団医療部門の研究でも、輸血をされた場合に魔術が使えなくなるといった症例も確認されている。
(逆にヴァンパイア種のような例もあるから、わからんことだらけだな)
遠い過去に血液を飲むことで魔力を取り込んだことから、現在も吸血種と呼ばれ続けている。
本当に取り込めていたかどうかは謎を残すところだし、経口摂取だからこそ成し得た非効率的なやり方かも知れない。
いずれにせよ実際に試すのは、いくらなんでも憚られる。
「"魔導"とは他者の色に干渉する。すなわち色を混ぜることができる領域のことを言う」
(ふぅ~む、その説明だと……色? 同士がぐちゃぐちゃに──)
「混ざってわけわからなくなる、と思っておるじゃろ?」
「あっはい」
「ゆえに自身の魔力の色が混ざらんように、より強く固定化する必要がある」
「なるほど、言わんとしてることは……ぼんやりとわかります。非常に興味深い」
魔力に長じたエルフ種の血を半分継ぐばかりでなく、俺はシールフの"読心の魔導"とその魔力に誰よりも触れてきている。
またフラウやハルミアと素肌を通じて流れを感じ、魔力の操作も常日頃から意識している。
ゆえにこそ魔力の濃淡や密度という概念も直観的に理解できた。
「シールフからも教わっとるじゃろうが、あやつはもっぱらの感覚派。あまり参考になるまい」
「……正直に言うとそうですね。よくあれで魔導コースの講師を任せていたと思います」
シールフが魔導を使えるようになったのは今の俺よりも若く、それこそプラタやケイらの頃。
完全に天才の部類であり、多少なりと記憶を共有しようとまったく参考にならなかった。
「それでも講師職はあやつなりに恩返しの気持ちじゃったからのう、それを無下にはできんよ」
「他にも何かしらやれることあったんじゃないですかねぇ」
「っはははっはは!! 儂にとって助けになることなんて無いからしょうがない」
シールフほどの魔導師でも必要とするポストがないとは、それはもう贅沢な話であった。
(そんな彼女に清算させるほどの借りを作った"BlueWhisper"──まじで何者なんだか)
五英傑である彼女に貸しを作るほどの人物なのか。
あるいは長命種で大昔に作った借りということも考えられるが……。
答えてはもらえない質問ゆえに、さしあたって胸の内にしまっておくことしかできなかった。




