#196 清く正しく都市計画 IX
俺は飛行しながらも、空中まで地響いてくるような振動に胸中を震わせる。
(んーむ、半端ない)
"それ"は一種の天災とされるモノの類であり、本来は断固として回避すべき現象とも言える。
眼下に見えるのは、"バカ巨大くて歪すぎるザリガニ"──と言えばいいのだろうか。
変異進化を逆に辿っていけば、あるいは近い生物に行き当たるのかも知れない。
「うっひゃーぁ……」
隣で同じように鳥瞰するのは、ツバメの鳥人族にして商会情報員である"テューレ"。
彼女も初めて見るであろう光景に舌を巻きつつ、絶句しているようであった。
(──完っ全っに、特撮やハリウッド映画に出てくるような"大怪獣"だな)
硬質・肥大化させた盾殻を備え付けたような、マダラ模様の前腕が4つに体を支える足が8本ずつ。
形状は違うものの同じ材質であろう薄い青緑の甲殻で、体全体が覆われている。
そして縦に割ったような二叉の口腔には、ビッシリと牙が並んでいた。
外骨格ではなく内側には肉質が見え、ぬらぬらとした光沢の体液が表面を濡らしている。
それは潤滑油のような役割もありそうで、乾燥を防いで熱変化にも強そうであった。
ヤドカリのように、甲殻を外付けで纏っているようにも見えるが……どうにも一体化しているようである。
黄竜よりも遙かに大きい巨体は、全長100メートル近くは及ぶだろうか。
ワームのスケールに比べるとさすがに見劣りはするものの、それでも一個生命としては規格外である。
「"魔獣メキリヴナ"──ワーム海の水底に潜む悪夢、か」
「数十年に一度ほど……迷い込んだように陸上へ揚がっては、沿岸都市を壊滅させる──まさに生きた災害ですねー」
"魔獣"──神族を襲った魔力の暴走による成れの果てのさらなる果て。
かろうじて人型を保っていれば"魔人"と呼ばれ、そうでなければおおよそ"魔獣"とひとくくりにされる。
暴走が止まることなく異形化し続けた姿に加え、侵された精神性はもはやまともな思考能力を持たない。
過去存在した個体によっては、"七色竜"すらも凌ぐとも噂される超個体。
他には極東を挟んだ外海に巣食うとされる"海魔獣"などは、話を聞き及ぶに現存する最強の魔獣であろう。
(まぁそれを超越する"五英傑"もいるわけだが……──)
実際にワームを討ち滅ぼして、ダンジョンに改装してしまった"無二たる"カエジウス。
あるいは地上最強の生物という風聞が、もっぱら音に聞こえし"大地の愛娘"ルルーテ。
("折れぬ鋼の"は……やはり身一つじゃ対応できない、といったところかね)
あの救世主幻想をこじらせた男が放置しておくには……あまりに凶悪な存在。
彼が討伐してできていない理由を考えるのならば──
一つに"折れぬ鋼の"が活動し始めた頃と、魔獣の揚陸時期が単純にかち合わなかったこと。
そして能動的に探すにはワーム海は広すぎる。時間を浪費している間に、どれだけの人が救えるということである。
「普通なら国家が保有する"伝家の宝刀"級でも、二の足を踏んでしまう化け物だが──」
「水陸両棲らしいですけどー、ああなってしまっては……えーっと、まな板の上のー?」
「鯉だ」
「そうそれですー」
俺は日本のことわざを異世界言語で付け加えた。
眼下にそびえるメキリヴナは──最初こそ器官を震わせて鳴いているようであった。
しかしそれもいつの間にやら、身動きごと完全に止まってしまっていた。
沿岸に打ち上げられるようにして、見えにくい"金糸"によって絡め取られて鎮座させられているからである。
さながら地引網漁のように、水中から釣り上げられて雁字搦めになっているのだった。
「いんやぁ~ちょっとでも力の掛かり方がズレたら、あっさり抜けられるよん」
そう言いながら浮遊して来たのは、"黄金"ゲイル・オーラムその人であった。
シップスクラーク商会最大の暴力装置にして、最強の切り札。
「その割には随分と余裕があるように見えますが?」
「ここらへんの位置がちょうど良いんだヨ」
ゲイル・オーラムは当たり前のように、魔獣を抑え込みながら飛行している。
──どころか、海中にいた魔獣をここまで引き揚げて運んでくるという荒業を見せたのだ。
(飛空魔術士は……そう多くはない)
なぜならば、単純に飛行出力と空中制御を両立させる難度が高いことが挙げられる。
さらに並列処理で防御魔術を使い、飛来物などを回避する必要もある。
鳥人族や一部の魔族であれば羽翼を使うことで補助できるが、純粋な人型はとにかく魔術的障害が多いのだ。
また大きな街の周辺上空では、各国とも法的に強く規制している。
街中の出入りはしっかりと管理しないと、治安の維持が困難となり無秩序になってしまうからである。
例えば手配犯が我が物顔で侵入してきたり、逆に犯罪者が飛んで逃亡したりとありえるゆえに。
許可なき飛行は最悪の場合、撃ち墜とされるという危険も伴う。
よって能力的にも社会的にも飛行魔術を覚え扱うのは難しく、魔術士を専門とする中でもさらに1割もいない。
しかしてゲイル・オーラムはそんな飛行魔術すらも、極々平然とした様子でこなしてしまうのだった。
「しかしまぁ……さすがのオーラム殿でも止めておくのが精一杯ですか」
「運んでくるのに結構疲れたからネ。でもその為にベイリルゥ、キミがいるんだろォ?」
「まがりなりにも黄竜をぶった斬りはしましたけど……アレはイケるかなぁ?」
"重合窒素爆轟"は効果が薄そうであるし、放射殲滅光烈波は俺自身と周辺が危険過ぎる。
"烈迅鎖渾非想剣"も不安定なのは変わらず、殺し切れず糸だけ切断して解放してしまう恐れがある。
「あのー質問いいですかー?」
「あぁテューレ、答えられる範囲でならなんでも答えるよ」
「なんでわざわざこんな危険を呼び込むマネしてるんですー?」
テューレが発した疑問は、よくよくもっともなことであった。
なにせ"魔獣メキリヴナ"は、たまたま襲ってきたわけではなく……こちらから仕掛けたということ。
ソディアから聞き出した情報から、現在の回遊域を見繕って"反響定位"で探し出した。
そこから追い込んでいくように誘導していき、それも難しくなるとオーラムが捕えて水底から陸まで引っ張ってきたのだ。
「首都が完成し、領内が形になってきてから襲撃されたら面倒だからな」
「なるほどー、ルクソン市をはじめとした沿岸都市は特にやばいですもんねー」
「対処できる天災であれば、先んじて潰しておくのが危機管理というものだ」
有事に際して、いつでも主戦力が領内にいられるとは限らない。
藪をつついて竜を出すような行為ではあるが、後の安寧を考えるのならば必要なことだった。
「んで、どうするねェ? ボクちんはこのまま動けんよ」
「どれくらい保ちますか」
「あまり長く見積もられても困るネ。拘束を解くにしても、ワタシの火力であれを殺すなら余裕もって一日くらいは欲しい」
「その間もずーっと暴れ回られたら、損害はかなりのモノになっちゃいますねー」
「……それ以上にオーラム殿の金糸の被害の方がデカい」
「だろうネ」
(シールフにとって魔獣は苦手分野だし──結局は俺がやるしかない)
"読心の魔導"から付随する術技は、知性ある人間には凶悪極まりないが、意思なき魔獣には効果が薄い。
フラウの術技は黄竜の時もそうであったが、巨大生物を相手にしてはあまり向いていない。
("双術士"相手に張り合った質量巨人も、あのあと一度だけ見させてもらったが……まだマジモンの怪獣には通用するモノでもない)
数週間単位で魔力を貯留した上で、"諧謔・天墜"を使うのなら宇宙空間まで追放することは可能だろう。
しかしあれはどうにも、貴重な"生物資源"となりえる天下の魔獣サマである。
(あの甲殻もなんか色々使えそうだもんなぁ……)
むざむざと打ち捨てるような真似は、もったいない精神が許してくれなかった。
「んじゃあ、また水底まで戻して策を練り直すかね?」
「……いいえ、その必要はありません──今度こそ俺もイイところを、お見せしますよ」
俺は不敵に笑いながら、ゲイル・オーラムへと告げるのだった。




