#171 不折極鋼 III
「そんじゃ闘っちゃうかネ」
そうあっさりとオーラムが言った瞬間、"折れぬ鋼の"は立っていた場所から飛び退っていた。
一方で"黄金"の名を持つシップスクラーク商会三巨頭の1人は、その場から動いていない。
「不意討ちか?」
「躱されたンだから、討ててはないんじゃなあい?」
「おっほおぉぉおお……──」
俺は感嘆の声を漏らしながら、何度も地面を蹴ってその場から退避していく。
ポケットに手を突っ込んだままのオーラムの周囲は、キラキラと陽に輝くもので覆われていた。
──"金糸"。
オーラムは魔術も使えるのだが、彼が直接的に武器とするのは金糸のみ。
しかし魔力を通わせたそれは、並々ならぬ恐るべき強靭性を誇る。
あらゆる魔術を超える速度と範囲をもって敵を屠り去る、商会最強の暴力装置。
(人が使う武器は実に様々だ──)
必要に合わせて進化していった武器は機能美すら感じ入る。
鈍器。誰もが自身の肉体を最初の武器とし、調達も容易な石や棒などを単純な武器とした。
斧。棒に尖った石をくくりつけるだけで、武器だけでなく様々な用途に扱えた。
槍。明確に殺傷を目的として作られた、最初の武器とも言えよう。
弓。石などを投擲するだけでなく、より遠くから確実に狩猟する武器が様々な文化の中で産み出された。
剣。取り回しの良さと攻防に優れ、古今東西で使う者の誇りなり、象徴とする武器にまでなった。
それ以外にも枚挙に暇がなく、一見しただけでは使い方がわからないものまである。
そして異世界にはなかった弾薬式の銃、いずれは爆弾、装甲戦車、潜水艦や戦闘機、ミサイルから核兵器に至るまで。
人類と文明史にとって武器・兵器と戦争は常に共に在り、なくてはならないものだった。
そして異世界にしかない魔術文明。
物理的な炎・水・空・地、氷や光や雷に重力に爆発。読心の魔導まで実に多種多様だ。
それらは文明や生活を支えるだけでなく、絶えぬ争いの為に"武器"として使い続けられている。
"糸"。本来は武器ではない。
武器として使うことがあっても、精々太めのワイヤーで首を締めたり切断する程度だろう。
なぜ使われないか……主に強度的な問題と、なにはなくとも扱う人間の練度が最大の障害である。
一度絡んでしまえばすぐに使い物にならなくなる。本数が増えるほど混線しやすく、糸の役割を失わせる。
だがもしも十全に使えたとしたら……糸ほど汎用性に優れた武器があるだろうか。
まず射程が長く、手数も多い、さらには目に映りにくい。
魔力によって人体を引き裂くだけの強度と速度を持った線が、全方位から無数に襲いかかるのだ。
されども相手を殺すだけではない、行動を制限し無力化することもできる。
どんな形状であっても、がんじがらめに縛り、締め付け、拘束する。さらに設置罠にも利用できる。
技術があれば縫合することもできて、操り人形のように操作することも可能。
束ねれば鎧にも盾にもなるし、刃としてだけでなく鈍器にすらなりうる。
糸電話の要領で声を伝達したり、張り巡らせた網から受け取る微細な振動から情報収集も可能。
糸を伸ばすことで摩天楼をすり抜けるように立体機動し、材質によっては伝導体としても優れる。
俺の籠手に仕込まれている"グラップリングワイヤーブレード"にも通じる。
クロアーネの"有線誘導"魔術もオーラムの模倣であり、プラタが使う"糸術"もオーラム仕込み。
単純単発の破壊力で言えば、筆頭魔剣士テオドールには及ぶまい。
しかし一瞬にして広範囲の空間内を、微塵に変え続けてしまうその超攻勢。
そんな埋め尽くすほどの金色の幕を回避し、また防御する──"折れぬ鋼の"が異常極まるとしか言いようがない。
(……"既視感"?)
2人の化物の闘争の中で俺が"折れぬ鋼の"に対して感じたのは、五英傑たる彼が戦帝を相手にしていた時の"それ"と同じだった。
数え切れないほど地割れのような爪痕を残し、さらに束ねられて奔流のように撃ち出される金糸群。
そこに織り混ざるゲイル・オーラム本人の体術を含めて、あくまで"折れぬ鋼の"は様子を見ている。
「──って、おいおいオイオイちょっ待……!?」
"様子を見ている"──ただし闘争領域が加速度的に拡大しているのだった。
(早々に使うハメになるっとはッ──)
空属魔術で退避するのも困難になりそうなほどに、地上は原型を留めなくなっていく中で……。
俺はあれこれ考えるより先に"風皮膜"を解きながら、世界に身を委ねるように意識を天空へと浮かせた。
円卓二席を相手に覚醒したばかりの"天眼"。
領域内を掌握・支配するように糸の軌道と隙間を知覚し、受け入れながら距離を詰める。
そして闘争の最中にある2人の間へと、割り込むようにその身を投じていた。
「……!?」
「──おっとォ!!」
オーラムの振るう手は止められたものの、勢い余りながら暴れる撓んだ金糸を"折れぬ鋼の"が全て絡め取る。
冷や汗がブワッと噴き出すよりも先に、発汗それ自体が完全に止まってしまうほどの暴威。
はっきり言えば自殺行為だった。ただ……自分自身が理解できていないほどに、何故だか信じられた。
「どういうつもりだあ、ベィ……キミぃ?」
久々に見たオーラムの射殺すような冷ややか視線に、俺は顔布の下で薄ら笑いを浮かべて口にする。
「いや……焚き付けといて本当に申し訳ない。ただこれ以上やられると土地がなくなるので」
"天眼"を通して確信できた──"折れぬ鋼の"の勝利は揺るぐまい。
ただし彼がオーラム相手にいわゆる見切りをつけるまでに、一帯の土地が消し飛びかねなかった。
インメル領の土地も大事な大事な資源である。人民が住み、文化が根ざす場所なのだ。
そこを修復不可能レベルに破壊させてしまうことほど、愚かなことはない。
「わかったヨ、どっちみち戯れだ」
「……こちらとしても、戦う気がないのであればそれでいい」
"折れぬ鋼の"が離した大量の金糸を、オーラムは数瞬の内に回収してまたポケットに手を突っ込む。
一体どこにどうやって隠しているのか、謎は深まるばかりであった。
とりあえずゲイル・オーラムの強度でも、"足止めが限度"ということがわかっただけで収穫というもの。
しかし──それだけで終わるつもりはない。
「そんかわしィ……ワタシを楽しませてくれたまえ」
ポンポンッと肩を叩かれた俺は、顔を隠す布の下の薄ら笑いを──不敵な笑みへと変える。
あの金糸の暴風圏に無傷で立ち入った俺を、オーラム殿が認めてくれたような気がした。
「はい、野次馬を楽しんでどうぞ」
「とりあえず"黄竜"を倒したって実力くらいは見せてもらおうかネ」
オーラムの代わりと言っては難だが、俺とてただで負ける気など毛頭なかった。
◇
ゲイル・オーラムと"折れぬ鋼の"との闘争の所為で、無茶苦茶になった戦場から少し移動し──
改まったところで、五英傑が1人──"折れぬ鋼の"と俺は真正面から相対する。
「それじゃ手合わせ、よろしいか?」
「我は何人も拒まない。発散したいならばいつでもこい」
(発散、か……。ほんと誠実そうな人だが、はてさて)
心苦しいものはあるが、"殺せるもんなら殺してみる"……というのもアリか。
不殺を貫く為に手加減し、相手の強度を測ってから決め打ちする。
そんな過信・余裕・油断・慢心・驕りと言えるモノがあるのなら──
(付け入る隙も、あるのかねぇ)
音圧で変声までして偽装する俺の正体を見抜けるのは、商会でも数人だけだ。
他人にはまず誰かなどわからないし、露骨な空属魔術でも使わない限り結び付けることなどできない。
周囲には見物人もほとんどいなくなって、終戦ムードまっしぐら。
仮にやらかしたところで、すぐにこの場から逃げれば露見するようなこともないだろう。
("文明回華"の邪魔となる存在は……)
先んじて消しておくに限る。
「はァ~……」
俺は肺の中の息を吐き出しながら、空っぽにするイメージで"酸素濃度低下"を発動させた。
完全に空気を絞り出し、呼吸を止めている間だけ……"折れぬ鋼の"周囲は死域と化す。
しかし眼前の英雄は、一瞬だけほんの少し長めのまばたきをした──それだけだった。
「面妖な」
間違いなく発動している手応えは感じる。
しかし返ってきたのは、腑に落ちないといった風な"折れぬ鋼の"の一言のみ。
まるで学園生時代、遠征戦で被寄生ゾンビ相手に使った時のように──全く無意味だった感触を思い出す。
「っは──普通は意識失うんだが……本当に人間?」
俺は発動を中断させて冗談抜きの抑揚で尋ねる。殺すつもりだったとはさすがに言えない。
"折れぬ鋼の"は別段呼吸を止めているということもなく、平時と変わらぬ様子であった。
「よくわからんが……気合だ」
個人的に好感の持てる熱血人間の清々しい言い切り方に──内心で大いに戸惑う。
こっちのわずかな意を察して反応して先手を取るとか、テオドールのように揺らぎを感じ取って対抗するとか。
そういう次元を超越していた。ただただ普通に効かない。
(血中酸素濃度の問題、か? いや……こういうのに御託を並べ立てるだけ無駄ってもんか)
"読心の魔導"による精神攻撃も跳ね返すと言ったシールフの言葉にも、いよいよもって現実味を帯びてくる。
(う~ん……デタラメ超人ここに極まれり)
理屈抜きで通用しない無敵さ。その理不尽さには舌を巻くどころではないのであった──